第11話 決別の選択

「前世ねぇ」

 オリを椅子に座らせながら、自分も向かいに座り、手元のデバイスのデータを見ているユイの顔にはよくわからないと描いてあった。

「そんな要素を味つけたはずはないんだけどなぁ」

「それじゃあこいつが嘘をついているってことか?」

「その可能性は否定できないけど、そんな嘘をつく必要性がないよね。むしろ生まれたばかりで嘘をつくなんて複雑なことをしていたら、それこそすごいことだねっ!」

「……じゃあ、おまえ御禁制の意思回路が欠陥品だったってことか」

「何をいうか、この万年不機嫌便利屋さんは。このわたしがオリのために手ずから作って、その身としたものに欠陥品なんて万が一にもあり得ないでしょ!」

「……凄いご自信で」

「それはもう! その程度には自分の能力を確信しています。そうでないと部下のみんなもついてきがいがないってものでしょ」

 ユイというこの女性が継ぎ、発展させ、今なお成長を続けているこの巨大な企業のことを振り返ってか、エイはまだ少し訝しそうな気配を滲ませながらも、概ね納得の様子を見せていた。

 その様子を感じているのかいないのか、ユイは会話の中で自分の頭の中が整理されたのか、その表情は不可解なものから何とかなるでしょと言わんばかりの楽天的なものに変化していた。

「オリ、いい? 花さんにも言った通り、今見てみてもオリの体に問題は一切ない」

「はい。でも……」

 そうだとしてもオリの頭の中には確かにあるのだ。本物だとは証明できないが、前世の記憶が。

「わかっているよ。オリが嘘をついているなんて思ってないから。きっとホントのことなんだって私は確信してる」

 嘘をついていてもかまわないだけだけどね。なんてユイは笑いながら言い、そうだとしても何の問題もないよねと続ける。

「何でそんな……」

「さっき言った通り、私の産んだものは完璧だし」

「それだけだと、俺が嘘をついていることの反証にはならないかと」

「いいんだよ。さっきも言った通り前世の記憶を持っていたとしても、話を聞く限りだと、この世界で生まれたわけではないキミが、生まれたばかりの状況で嘘をついていたら凄いことだ」

「凄い? 少しの頭と喋れる口があれば誰だって嘘ぐらいつけます」

「そうだね。でも今の状況下でそれは凄いバカだ。少しの頭もないね。わかる?」

「それは……」

 呟きながらオリは自分自身でも何でムキになって反論なんかしているんだろうと思っていた。目の前の人たちを納得させることが重要なのか。自分の言っていることが全て正しいと相手に認めさせなければ満足できないのか。自分はそんなに傲慢だったのか。

 それとも、とオリは思う。

 自分は信じて欲しいのか。怠惰な無力感を抱えながら、誰にも仮託しないと我を張っていた自分が?

「加えて言えば、バカでもいいんだ」

「……?」

「キミはね、私の夢の具現なんだ。私の一番そばにいて欲しかった存在。キミがどう成長していくかも楽しみではあったけれども、いきなり異なる世界の知識と成人としての情緒を獲得したというのも実に喜ばしいことだね」

「夢?」

「自我を持った人工生命の友人を持つことが私の夢なんだ」

 オリにとっては途方もないものだった。未来を見ても影すら見えないほどに。

「それはまた……この世界では普通のことなんですか」

 話の先をエイに向ける。

 夢と言うからには、自我を持った人工生命というものが、この世界でも存在しないものだと言うことは間違いがないはずだ。世界に存在しないものを友人としようとなんて、ぶっ飛んでいると言っても過言ではない。また、それを自分で作ってなんて……さらにぶっ飛んでいる。

 エイは肩を竦ませながら、諦めたような顔でいう。

「俺の知り合いでは、そこのお姫様だけだね。まぁ、そこのお姫さんは俺の知り合いの中……、いやこのエクスタット中でも最高峰の傑物で、それ以上の変わり者だが」

「私のどこが変わり者だって」

 ユイは憤慨した様子で続ける。

「こんなにドロイドたちが人権を認められている世の中で、この子たちと仲良くなろうとしないことの方が不自然だよ!」

「変わり者ではないヒトは、今ここにあるものだけで生きていけるんだよ」

「使えるかどうかもわからない試作品を、お金を払ってでも集めているヒトの言うことじゃないね」

「……俺は他人よりも優位にいたいだけだ」

 ユイはいやらしい笑顔になって言う。

「花さんのそれも十分変わり者だと思うけど」

 自分の周りに現れた二人がどちらも変わり者なのは、幸か不幸かどちらなんだろうと考えているオリに構わず、ユイは続ける。

「ともかく私は自分で作ったなんてのは抜きにしても、加えて前世なんて不確定要素を加えても、オリが好きですきでスキで大好きなのは変わらない」

「……はい」

 突然の好意の告白にオリは戸惑いを隠せない。

「それは絶対だけれども、この先この好意が持続するかは私にもわからない」

 笑顔のままでユイは続ける。

「今のオリは私の理想の始まり。でもこれからオリがどう成長していくかで、私の好悪は変わっていく。それは初対面の印象が抜群でも、一緒に長い時を過ごしていく中で、綺麗なところも汚いところも見えてきて、どちらがより自分の心に残るかによって変わっていく他の人との関係性と何も違わない」

 その考えは、世迷言を言う機械に、それでも第一印象が最高だと言う、ユイしかわからない心持ちとは違って、すんなりオリの心に落ちついた。

 詰まるところ、その行動が好ましいヒトかムカつくヒトか。それだけだ。

「オリがどういう人生を積み重ねるか。私とどういう関係を積み重ねるか。そしてそれをオリがどう思い、私がどう思うか。それがヒトとヒトとの間を構築してく関係性だと私は考えているんだ」

 真摯な顔でいつの間にかオリの両頬に両手を添えながらユイはいう。

「その中でキミは私を嫌うかもしれない。何でこんな形で生まれさせたのかと私を呪うかもしれない。その逆で産んでおきながら私はキミを殺したいほど憎むかもしれない」

 そんなことはあって欲しくはないけどね、とそんな未来を思ったのか垂れ目がちの眦を一層下げてユイはいう。

「でもそれが自然なことで、私が思い望む希望につながる唯一の方法だと私は確信しているんだ」

 その穏やかながら矢継ぎ早に紡がれる強い意志の言葉に、オリは口をつぐんでしまう。

 こんなに強い思いは、今の自分はもちろん二十数年を生きていた前世の自分にも持ち合わせていないものであったと情けない確信をし、それを向けられている後ろ暗さを感じてしまうが故に。

「そこで私から悪い提案」

 悪戯っ子のような笑顔なのにどこか泣きそうな顔だな、とオリは自分の感覚を不思議に思った。

「オリの前世をフィルターすることを提案する」

「……フィルター?」

「うん。オリの前世は聞いた限りでは、しっかりとしたエピソード記憶と意味記憶によって保持されている」

 読んだことがあった。エピソード記憶は、個人が経験した出来事を基にした記憶で、経験そのものとそれに付随する情報、つまりは誰といつどこでその出来事を体験したかの両方が記憶されているもので、意味記憶は、その付随する情報が削ぎ落とされ、その出来事のみが知識として保管されている記憶のことだったはずだ。

「だけど、この世界で生きていく上でエピソード記憶の付随情報は、私には邪魔なものなんだ」

「……邪魔」

「そう。オリじゃないオリが大切にしていた時間や場所、特に大切にしていた誰かなんて記憶は、オリが私を一番大切にする未来にとっては邪魔なものだよね」

 今までの短い会話だけでも、その言葉を真に受けるのは無理があった。それを額面通りに受け取って欲しいのならば、ユイは言わなくてもいいことを言っていた。

 実は今までの会話でオリに幻滅していても、気持ち悪いと思っていたとしても。

 嫌いなヒトが罪悪感を感じないように、自分が嫌われる言葉を馬鹿正直に告げて、嫌いなヒトの大事なものをなくすことに、いちいち注意点を述べる。

 そんなヒトが、そのヒトを大切に思っていないなんて、いったい誰が信じるというのだろうか。

「だから私は、オリのエピソード記憶にフィルターをかけることを提案する。私は責任を負いたくないから、決めるのはオリだけれどね」

 でもね、ユイは続ける。

「それがいいと思う。現状ではオリは前世の世界には間違いなく戻れない。いや……聞く限りだとオリはもう死んでいて、いわばこの世界に転生している状態だ。記憶はともかく、前の人間関係を覚えていても、一害あって百利なしだと思う。私のためにも」

 思い出したかのように付け加えられた自己中心的で露悪的な言葉は、この場にいる他の二人に本当に通用するものだと思っているのだろうか。

「どうかな? 私を味方につけておくことは悪いことじゃないと思うよ。無料のメンテナンスもできるし」

 オリに口を挟ませない怒涛の言葉はオリを圧倒しながらも、必要とされている実感を与えてもいた。前世でこんなにも真剣に言葉をかけれられたことがあっただろうか。もちろん両親には肉親としての愛情を与えられていた実感はある。

 ユイは産みの親とは言え、自分が唯一の製造物というわけでもない。彼女はその気になれば、前世なんて不確定要素を持たない、新たなオリをいくらでも製造できる揺るぎのない力を持っていることは間違いがない。

 今この時だけのものだとしても、そんなヒトのその真っ直ぐな好意に、オリはなんとなくではなくしっかりとした自分の意思で頷いていた。

「そうですね。俺もそれがいいと思います」

 自分の望む答えが引き出せたにもかかわらず、ユイは上品に笑みの形を維持していた口を瞬間、震わせていた。オリはその誰にも気づかれないはずの震えを、確かにそのセンサーで知覚していた。

 それは本当に須臾のことで、これがもし映像として残っていたとして、どれだけの人間が気づいただろうか。

 そんな様子を全く感じさせない様子で、今見たことは間違いであったかのように、ユイは椅子から立ち上がり、オリの手をひき部屋の奥へと誘いながら言う。

「花さんも問題ないよね」

 疑問ではない問いかけ。

「俺はどうでも。姫さんと……オリがいいならな」

「そう」

 エイの不機嫌さが移ったかのような無表情なその顔に泣き顔を見ながら、オリは自分の答えが正解だったのかわからず、狼狽えながらもその手に引かれ、ついていく。初めてエイに名前を呼ばれたことを気づかないままに。

「時間がかかるようなら、飲み物だけ勝手に入れさせてもらうぞ」

「ご自由に」

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