第10話 僕らは生まれる。完璧ではない存在から
確かに言う通りだった。
エイのいうイシコリドメ。巨大なんて言葉では言い表せないくらい巨大な建物のエントランスを抜け、エレベーターで地下に向かった先にある、これまた広大な食堂で出る食事は、見た目こそ高級と言った感じではなかったが、その味は万人が万人とも美味しいと言うのではないかといったものだった。
舌鼓を打ちながらも、オリは料理を美味しいと感じられるこの体に不思議な思いをしながらも、そういえばコーヒーの味も感じていたなと今更ながらに思った。
ムクムクと咀嚼しながらも、向かいに座るエイを見る。美味しそうにも不味そうにも見えない顔で、ただただ料理を黙々と口に運ぶエイ。オリとしてはコーヒーを美味しそうに飲んでいるエイを見ているからか、食べ物の味にはうるさいと思っていた。
オリの予測ではもう八割がたコーヒー狂の信者で間違いなかった。
だが、もしかしてこの料理が美味しく感じていないのだとしたらという考えに至り、この先料理を作ることを求められたらまずいと思い、内心冷や汗を垂らしていた。
その内心を感じさせないよう殊更笑顔で料理を食べていると、エイが箸をオリの顔に向け揺らしながらいった。
「ここの料理に慣れるんじゃないぞ。今日はミヤウシロの払いだから特別だ」
「ここの料理は特別美味しいんですか?」
「あぁ。そして特別に高い。毎日こんなところで食べてたら一般庶民は破産しちまう」
「内装はそんな高級店には見えませんが」
まさに社食といった様相の食堂であった。二人がけと四人がけの真っ白いテーブルはともかく、ブラウンのソファーは社食にはあまりないだろうが。
それらがそれぞれ十分な間隔をとりながらも数え切れないぐらい並ぶ様子は、清潔感はあるが、装飾といった意味ではほとんどなく無機質で、効率的にヒトを収納し、効果的に食事だけをさせる空間に思われた。
その無機質さを助長しているのが、このエリアを縦横無尽に動き回っている円筒形の体をもった機械たちであった。
そもそも、注文、給仕方法もオリにとっては近未来的なものであった。席に着くなり浮き上がってくるホログラム。そのホログラムをタップしてする注文。キッチンの方から時折聞こえてくる声を聞く限りだと、料理自体は人間が作っているみたいだが、料理を運んでくるのは今まさに横を通り過ぎていく円筒形の機械であった。
ここイシコリドメに来るまでの道中でも、見上げるほどの無数のビル群であったり、洗練された地下鉄であったりと、思った以上に文明が発展しているものだとは感じてはいた。前世の首都の中心部とさほど変わらない文明度、またそれ以上に清潔感がある街並みに、これからここで暮らしていかないといけない身としてオリは安堵していた。
しかしながら、このビルの常識外れの巨大さと、食堂の近未来感を見た、事ここに至っては、さほど変わらないどころか、百年は行かないまでも数十年は先に行っている文明の様子に、うまくやっていけるのかと逆に萎縮させられていた。
それが想像以上に美味な食事により、これ幸いとオリの意識の舵を現実逃避の方へとらせていた。意識の逃亡者だった。
「イシコリドメは飾り気というものに重きを置いていないからな。たまにミヤウシロの姫さんが爆発して、異常に華美になる時期もあるが、あの姫さんも気分屋だから長続きはしないんだ」
「その姫さんが待ち人ですか?」
「あぁ。お前の制作者。昨日の説明の時には前世の記憶の説明なんてものは受けてないからな。まずはあいつに聞いておかないとな。不具合なのか、説明不足の事柄なのかな」
不具合という言葉や、制作者の不手際を咎める言葉に、その人の顔も知らないのに、オリは少々の気の毒さと、当然の苦言だという思いを持っていた。
昨日のサルメの言葉からも、何か今のオリの体は特別性らしい。それがこの巨大なビルを所有する企業の偉い人の趣味の産物であることは事実であり、その成果を親族でもない人間にホイとあげるような人物は常識人ではありえなかった。聖人か狂人だ。そして聖人も狂人も常識というものを顧みない。
「朝はいつも通信にでない。寝ているのか、起きているのに無視しているのかは、知らないし、調べる気もない」
「どういうご関係で?」
尋ねた後エイにぼんやりと見つめられ、すわ余計なことを聞いたかとオリはヒヤリとしたが、
「偶のクライアントだ」
というエイの言葉は、常と変わらない平坦なものでほっとしていた。
「クライアントというと?」
「質問ばかりだな」
「……はい。わからないことだらけなもので……」
自重自重。と思いながらも、昨日の夜からの情報不足や、エイが必要なこと以外を話してくれないことが、オリに不満を溜めさせていた。
「わからないこと……ね」
どう判断していいかわからないと言った声音に、こっちこそ流されてばかりだと言葉を挟もうとしていたオリであったが、口を開きかけたところにエイが突然立ち上がったので、機先を制される形となった。
「いくぞ」
こんな調子で良い関係を築いていけるんだろうかと、オリは不安に思いながらも、マイペースな背中についていくしかなかった。
それは優美な扉だった。
おそらくそれは前世のオリには感じることのできない印象だった。今の見えすぎるぐらい見える目で視るその扉は、単純な線で描かれているにもかかわらず、全体の文様としてこれ以上ないぐらい整っていて完成されていた。
その紋様に気を取られているうちに、エイは部屋の主に声をかけ扉を開けさせていた。慌てて視線を部屋の中に向けるオリの頭の中に、こんな優美な扉の先に居を構えるヒトというのは一体どのようなヒトなのか、と怖れにも似た思いが湧き上がっていた。
扉から真っ直ぐに見える透明な椅子にその人物はあった。
ヒトならばいるというべきなのだろう。だけれどその時のオリには誰かがいるのではなく、その存在が在るようにしか感じ取れなかった。
その人物はマーメイドラインの純白ワンピースに漆黒のストールをふわりと纏い、足を揃えて座っていた。その透き通る表情は、他の何色にも犯されない漆黒の髪と瞳の色にとてもよくマッチしていた。
オリは人工生命体らしい。
人工生命体であると言われ、確かに頭の中の働きやよく見える目や耳から、そうなんだと理解はしていたが、実感はなかった。
だけれど、今ここに存在する人間を見た瞬間、ヒトがヒトを作り出す、作り出せるということをすんなりと納得していた。
自然発生するモノから、これほどまでに完璧な造形が生まれるとは到底信じられなかった。
この存在は確かに、誰かが人型を完璧に造形する意思を持ち、それを寸分の狂いもなく成し遂げるという極地でしか、達成し得ないものであるとしか思えなかった。
その確信はまさに、
「オリーーー! ブベッ」
その完璧な存在が喋りだし、立ち上がって駆け寄ってこようとしてつんのめり、潰されたカエルの鳴き声のような音をあげるまでの泡沫の間に過ぎないものではあったが。
そのまま沈黙が支配するはずだった間は、数瞬前まで完璧だった存在がその身を立ち上がらせることで破られていた。
「あいたたた」
何事もなかったというよりは、今の失敗ぐらいは何事でもないというような自然な態度だった。
その様子だけで、ゴシゴシと床にぶつかって赤くなった額を擦る完璧ではない人間が、先ほどよりもよほど尊く感じられて、知らぬ間にオリはその手をとり額に手を当てていた。
冷たい手になっていた。手を当てる前までは確かに体温を感じさせていたオリの手は、炎症を癒す程度の温度まで下がり、その打身を癒していた。
自分を癒す手を、びっくりしたような顔をして上目で見ていたその女性は、ふと肩の力を抜くと目を閉じ、困ったように眉を寄せ静かに幸せそうに笑った。
と思ったら、オリの背中に手を回して重心を崩し、のしかかってきた。
「オリーーー!」
いきなりの大声に自分で息を切らせながら、オリの胸に頭を擦り付けてくるジェットコースターの擬人化のような女だった。
そんなジェットコースターな状況に思考を停止させられていたエイであったが、ようやく目を覚ましたかのように状況を確認して、徐ろにコートの中から通貨ではない見た目のコインを取り出して指で弾いた。
キンッ。耳鳴りのような音が広く響く。
「ヒャい」
「ッーー」
女性は背中に氷を突っ込まれたかのように、身を張り詰め立ち上がる。エイは耳を塞いでその波が収まるのを待ち、呆れたような顔で言った。
「ミヤウシロの姫様は客も満足に迎えられないのか」
「そんなことはないよ。……ご機嫌よう」
そうして済ました顔で、その女性ミヤウシロ・ユイは、ようやく客人を迎える挨拶をしたのであった。
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