第9話 二日目。初めての朝。
そうしてオリが世界に生まれ直して、二日目の朝がきた。
サルメとの会話が終わった後はボケーとしていた。いつの間にか朝になっていた。
オリが頭の中で記憶を反芻するに、睡眠扱いにはなっていて、便利なものだと新しい体に感心していた。
そんなココロここに在らずでも、窓から差し込むかすかな日の光にオリの感覚器官は敏感に反応し、その動作を開始していた。
前世ではそこまで寝起きの良くなかったオリにとって、不機嫌にならない自然な目覚めというものはどこか不思議な感覚であり、オリの意識的には自分の体がほんの二日前とは違っていることを感じさせて、どこか居心地の悪さを覚えさせるものだった。
そんな落ち着かなさを感じさせる朝を、体も動かさずに意識の中心からずらせるほどには、オリも年齢を積んでいたので、この朝の時間に自分が何をすべきかに思考を向けるのだった。
頭の中でそうこうして、この部屋の家主であるところのエイの寝室につながっている扉を見て、昨日の微かな記憶を呼び起こす。まさにそのものを映像で呼び起こせることに、喜べばいいのか悲しめばいいのか葛藤しながらも、一つの答えを出した。
エイに不必要だと思われないこと。不可欠だと思わせること。
オリが少しでも理解しているこの世界は、今いるこの部屋と、昨晩の頭ハッピーな情報集積体が教えてくれたことのみだった。
確かにサルメが教えてくれたとおり、この頭はサルメが持つ知識につながっているのか、情報を瞬時に検索して、その答えを導いてくれる便利なものではあった。けれども、微睡の中で試していたところ、その実重大な問題を孕んでいることを課題として突きつけていた。
検索ワードがわからないと意味がない。
確かに前世においても、必要な情報を検索するには、検索ワードの巧みさが必要ではあった。よく知らない物事を調べるのに、その情報に繋がりやすいセンテンスをどうやって思いつくのかが鍵であった。
しかしながら、世界の表層、知っているべき情報すら知らない、わからない。この状況では何ともしようがないのが現状であった。そのことに気がついた後に再度サルメと繋がろうとしたが、あの突撃情報集積体はオリからのリクエストには答えなかった。いつもいつでもというわけにはいかないみたいだった。
多分向こうからの接触は、いつもいつでもになりそうになりそうなのに。自己中情報集積体め、と心の中で悪態をついたが、この考え方もオリが自己中になるだけなので、それ以上考えるのをやめた。
他人に過託してもしょうがないので、その後も何度か前世での一般的な用語を検索してみたが、何ともいえない結果になった。あるものは前世と同一であると思われる情報であり、あるものは前世とは違うものかと思われるような情報、またあるものは検索結果、なし。似通っているところもあれば、全く違うところもあるなんて、異世界だったらそりゃあそうですね。まだ似通っているところが少しでもあることにホッとしていた。
サルペディアが使えない点は他にもあった。昨日初めて検索した、三柱、ウズメのことをもっと詳しく知ろうとしてみたが、これについても現状では難しいと結論づけざるを得なかった。
何についてもっと詳しく知るかを、定義づける必要があるのだと理解するに至った。
このサルペディアでは、検索していないワードの説明までは示してくれなかった。
例えば、ウィキペディアでコーヒーと検索すれば、コーヒー豆を焙煎して粉にした粉末を、湯で抽出した飲料、とでも出ると思うがーサルペディアでもそんな具合で出たーそれ以外にも歴史、成分、加工品など様々な情報が付帯してでてくる。
しかしながら、サルペディアでは単純にコーヒーと検索するだけでは、概要だけを返してくる。コーヒーに歴史とタグをつけて検索すれば、コーヒーの歴史を返してくれるのだが。前世と同じかどうかは、前世のそれについて知らないのでオリにはわからなかった。
この世界の情報がほとんどない現状では、つけるタグも前世の情報から引っ張ってくるしかなく、この世界を知る上では不十分と言わざるを得なかった。
この体たらくでは、一人で生きていくのは不可能としかいえない。この部屋を追い出されたら野垂れ機能停止するしかない。前世ではおおよそ生きてる意味も見いだせず、惰性で生きているだけではあったが、何も積極的に死にたいわけでもない。また、この世界のことを何にも知らないうちから前世の諦観に捉われ続ける必要もない。この世界は生きるに値する世界かも知れなくて、端的にいうとワクワクもしていた。
なので、
オリは昨日のエイの発言から有効だと思われる自分の有用性を示そうと考えた。
『旨いコーヒーの余韻を台無しにされたらお前を殴って機能停止にしそうだ』
そんなわけでコーヒーを淹れることにした。
(……あれ? 俺が頼ろうとしている人物は簡単に拳が出てきそうなヒトだぞ?)
オリは自分の決断に悩みながらも、それに代わる解決策が思い浮かばなかったので、とりあえず一度決めた方針に従い、コーヒーを淹れることにした。作業内容は昨日と同じ。昨日のその時点では意識も曖昧ではあったが、自分がコーヒーを、今この場にある器具で淹れたのであればこうする、と言った動作はもう確立されていた。
コーヒーを美味しく淹れる秘訣を他人に教えるのならば、オリは分量と作業の丁寧さと速さだと答える。その通りのことをするだけだ。
そんなふうにキッチンでカシャカシャと物音を立てていたからなのか、それとも起きてくる時間に偶然かち合ったのか、ゆっくりと寝室へのドアが開いた。
そこから顔を出すエイの顔は、肌から窺い知れる年齢の割には、覇気のない人生に疲れたような顔をしていた。
もしやエイは無類のコーヒー好きではないかと、密かに期待していたオリは、キッチンから香る会心のコーヒーの香り毛ほども反応していないようなその表情を見て、内心怯みながらも声をかける。
「あの、朝のコーヒーを」
「まて」
切って捨てられる。
オリは慌てる。すわ、失敗したか。実はそんなに好きではなかったか。朝は紅茶派であったか。などと様々な考えが頭の中をよぎり、数瞬止まってしまったオリのことなど気にせずに、エイは寝室からリビング・ダイニングに続く途中にある部屋に入っていく。
その姿を目で追っていたオリは、思わず呼び止めようと手を伸ばしかけたが、中から聞こえる水音と、何かを手にとりチューブをひねり、シャカシャカと硬いものをブラシで擦るような音を拾い、手をおろした。
(洗顔……。にしてもこの距離でよく聴こえるな、この耳は)
タオルで顔を拭いているであろう音と、それを放る音の後に再度ドアが開いた。
「コーヒーを……」
「ああ。助かる」
カウンターに座り、置いてあるカップを手にとる。
寝起きだからかと思っていた覇気のない表情はそのままであったが、感謝の言葉とカップを受け取り、香りを楽しむその表情は、オリに自分の行動の正しさを確信させた。
そんな確信とは別のところで、誰かにコーヒーを振る舞うのも昨日の出来事を除くと久方ぶりのことであること。ましてやこんなに旨そうに飲んでくれている様子を見るのは初めてだな、と妙なところで納得とも感動ともつかない感情を覚えていた。
そんなふうに茫とその姿を見ていると、エイがオリを真っ直ぐに見ながらカップを持ち上げて声をかけていた。
「お前は?」
飲まないのか? と言いたいのだと気づいた時には、相手のカップがオリに寄せられた。
飲めと? カップを覗くと空だった。オリはほっとする。
指がテーブルを静かにコツコツと叩く。なるほど、おかわりを要求していた。
「いただいてもいいんですか?」
聞くと、エイは自分の言葉に疑問を覚えたようであったが、続けた。
「確かに惜しい豆だが。自分ではこんなに上手く入れられたとは思えないから、必要経費だな。ミヤウシロを怒らせたくもないしな」
それでは。と再度注がれたエイのカップと、もう一つ黒い液体が注がれたカップがカウンターテーブルに並んだ。
「それで」
一杯目よりはゆっくりとカップを傾けていたエイは、立って体をテーブルに預ける格好で、同じようにしているオリに話を向ける。
「昨日の話だが」
昨日の何ともいえないような顔からは、エイは少し落ち着いた表情を見せる。とはいえ未だ色濃く残る戸惑いを払うように、オリは勢いよく首肯する。
「はい」
「前世がどうのと」
「前世の記憶があるんです」
聞き逃されないように、はっきりと告げる。
何か否定的な反応があるかと身構えるオリに対して、エイは興味なさげにいう。
「俺にはよくわからんから、製造元に問い合わせだな」
「製造元?」
「イシコリドメ……いや、ミヤウシロか。向かう先はイシコリドメだが」
言いながら、エイは首の後ろ半分に巻きついている、昨日も見た人工物に人差し指と中指を揃えて当てる。
「まぁ出やがらないんだけどな」
そういえば朝はいつもそうだなとぼやきながらも、不快には思っていない声音。
話についていけないオリは、何かを聞こうとするも、何を聞けばいいのかわからない様子で曖昧な笑みを浮かべる。
それを興味なさそうに見ながらも、カップの中身を味わい、最後の一啜りを終えると、カップを置いて立ち上がる。
「ご馳走様。カップは食洗機に突っ込んで後で洗ってくれ」
「あの、どこに……」
「イシコリドメ。待ってても仕方ないからな。お前のことだと分かれば、予定は全部キャンセルだろ。それなら向こうで待ってたほうが効率的だ」
外出の用意をするのか、壁のモニタを見ながらコートに手を伸ばすオリの様子に、慌ててカップを片付けながら間の抜けた言葉を投げかける。
「朝ごはんはいいんですか?」
「イシコリドメの食堂の方が旨い。今回はミヤウシロが出してくれるだろうから一層な」
ケチ臭い言葉とともに出ていく一人に慌ててもう一人もその後を追った。
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