第7話 生後半日、一世一代の告白
ゾロリとオリの中で何かがみじろぎした音がした。物理的な音であった。けれども誰の耳にも届かない微かな音でもあった。
しかしその音の前後でオリの意思は確かにガラリと変わっていた。オリの頭の中は今ここに立っていることをこう感じていた。四方を囲っていた舞台の書き割りが割れ、しかもその中にいた自分は素っ裸だったなんて、味わったこともない心持ちを感じていた。羞恥よりも恐怖を覚えた。それまでの経緯が分かっていれば羞恥で済んだだろう。しかしなんの前触れもなく、例えばそれが目が覚めた途端の現実であったならば、そこでまず覚える感情は羞恥だろうか。きっと違う。それは今オリが覚える恐怖に違いない。
その上で叫び出すことも、どこかに隠れることもしなかったのは、きっと初めてかけられた言葉がポジティブで嘘のないものだったからだ。
オリにとってそうして変わった意思が喜ばしいものなのかは現状ではわからない。
でも確かにコーヒーの香りとエイの言葉で、オリはその瞬間この世界で生まれて初めて目を開いたような気がしていた。
それと同時に機械の体の決して埋まらないはずの隙間に、丸くほのかに光る数十グラムの物体が確かに収まっていた。
そうしてついさっきまでの物理的な閉塞感と、長い時間付き纏っていた精神的な閉塞感の記憶が、オリの今はもう自然発生的ではない、工業製品の脳に蘇った。
「マジかぁー」
しゃがみ込みつつ先ほどの執事然とした態度を崩すオリ。
いきなりのその反応にエイも怪訝そうな顔でカウンターを周り、オリを見下ろしながら言葉を投げかける。
「おいおい。どうした」
頭を抱えながらその顔を下から仰ぎ見ると、同時にオリの視界には幾つかのウインドウが開く。オリにとってさっき初めてあったばかりの男のパーソナルデータや表情の変化の様子を伝えてくる頭の中のどこか。驚きの感情とともに、当たり前のことだと受け入れているオリ自身の知識を同時に感じる。
「ハナガスミ・エイ……さん」
「何だ改めて」
様々な知識がオリの頭を廻り、そのせいで混乱しながらも、他方ではオリの頭は、泡のように無数に湧き上がる疑問を次々に空白の本棚に規則的にそして強制的に収めていく。オリの自意識とは違うオリの機能の発露。オリ自身にもままならないその感覚に翻弄されながらも、これだけは初めに伝えておいた方が後から面倒もないだろうと、打算的な考えでオリはヒューマノイドが浮かべるものとは根本的に異なるであろう愛想笑いをエイに向け、伝えた。
「俺、前世の記憶があるんです」
その言葉によってエイの頭の中もオリに負けず劣らず大混乱だった。ぼんやりとはしているが今の今まで普通に動作し、受け答えしていたエルロイドがなんの前触れもなく訳のわからないことを言い出したのだから無理もない。
まだオリの方が自分の訳のわからない状況を場所や自分自身からだけでは理解できないことが理解できていた。
場所はオリが居た筈のつい先ほどと連続していない。自分自身からはなぜか機械の駆動音がする。そのことから短絡的ながらも結論を捻り出し、口に出していた。ここは異世界であると。
そしてその短絡的結論は間違っていない。短絡的だからといって不正解というわけでないのはどこの世でも同じようだった。
その未だ短絡的結論も出せていないエイであったが、こちらはオリとはまた異なった方法でこの場を収束させようとしていた。
エイは首のジャックに繋がっているつるりとした機械を震える指で撫でつつ、ユイに通信を投げかけていた。
他人への問いの丸投げ。つまり思考の放棄であった。
エイの名誉のために付け加えるのならば、指の震えは訳のわからないことをいう正体不明のエルロイドへの恐怖ではなく、故障させていた場合の損害賠償の額の方に対してであった。
「あー。繋がらないな。多分もう寝てやがるなあいつ」
エイのいう通りユイは一仕事ーー仕事ではないと彼女は言うがーー終えた満足感とともに、自身のラボで穏やかな睡魔に身を任せていた。二人が見ることは叶わないが、とても幸せそうな顔で。
「えーと」
オリは自分の境遇をどう伝えればいいものかと、その様子を見ながら考える。まずは今わかることだけでも伝えようと声をかけようとしたが、エイに掌を向けられ止められた。
「いや、今日はもう疲れた。旨いコーヒーの余韻を台無しにされたら、お前を殴って機能停止にしそうだ。だから話はミヤウシロに連絡がついてからにしてくれ」
そうオリにいいながらエイは服に手をかけ奥の部屋に入っていった。そして部屋の扉を再び開けたエイは、浴衣のような上下一体の服を羽織りながら、面倒臭そうにオリに告げた。
「まぁ、そこのソファは好きに使ってくれ。ヒューマノイドには必要ないんだろうが、前世の記憶持ちのヒューマノイドには会ったことが無いから、念のため」
オリは呆気に取られていた。正体不明なモノを一つ屋根に置いておくとエイが決めたことにも。その決断スピードにも。
オリが収集済みのエイのパーソナルデータは、放り出される確率の方が高いと言っている。いや高いはマイルドに言い過ぎで十中八九そうするはずだと警告を発していた。そうであったからオリは何とか説明、……誤魔化してでも居座ろうと考えを巡らせていたのだった。
そんなオリの頭の中は露知らず、エイは一方的に言い放ち、返事を聞く気もない様子で身を翻す。そうして扉を閉じようとする。
「……はい。おやすみなさい」
慣れない機械の頭ではそのスピードについていけず、オリは無意識のまま習慣通りに今日の終わりを告げる挨拶をする。
その言葉にオリはふと足を止める。そんな言葉を最後に聞いたのはいつの頃だっただろうか。子供の頃なのは間違いないが、その子供の時代が終わったのはもはや何年前のことだったのかを思い出せない。だから、そのもはや耳慣れなくなった言葉を聞き返すことも、そんな顔を扉の先に向けることも、今のエイは良しとはしなかった。しなかったはずだった。
だから、扉の隙間から再び向けられた顔を、オリが目にするはずはなかった。扉はオリが瞬きをしている間に閉まっていたし、エイは後ろ手にドアを閉めていたのだから。
閉じられた扉をじっと見つめながらもオリは、だとしたら耳に届いた返答もきっと気のせいだったのだろうと結論づけた。
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