第6話 目覚め

 朝に目を覚ますように、そのエルロイドーーオリは目を開けた。

「おはようございます」

「おはよー」

 幸せそうにオリを見つめるユイとは対照的に、エイはユイの後ろから何の感慨もなさそうな、いつもの覇気のないぼんやりした顔で向き合う二人を眺めていた。

「調子はどう? 元気?」

 体を軽く動かし、全身を一通り見回した後、オリは答える。

「問題ないみたいです」

 その答えに少し驚いたようにユイは目を見開き、ふつふつと嬉しさが湧きあがってきた様子でエイに言う。

「それじゃあ後は花さんにお任せ。お任せ」

「あー……。了解。了解。……でも、コイツは成功なのか? なんかボーッとしているが」

 エイが普段目にするヒューマノイドと比較すると、オリは動作が緩慢でドロイドーー主にヒューマノイドとアニマロイドからなる人工生体の総称ーー達に基本的に見られる人間の役に立とうとする能動性が欠けているようであった。

「何いってるの! 成功も成功。さっきの聞いていなかったのか!?」

「口調変わってるぞ」

 ユイには自分の喜びに水を差された時に口調が雑になる癖があった。

「『問題ないみたいです』っていってただろ! ないみたいですって。自分の状態については自己診断すれば間違いなくすぐにわかるのに。ヒューマノイドがあんな曖昧な返答をすることはないんですよ。間違いなく」

「ほー。それでそれはどんな状態で、なにが成功なんだ?」

 意思回路にはほとんど造詣が深くないエイは、多少興味を惹かれながら尋ねる。

「それはわからない」

「…………」

「このわからないことがとても重要なんです。私たちも他人がどう考えて、どう答えるなんてわからないでしょ。でもヒューマノイド達に対してはそうじゃない。こう問うたらこう返すなんてものはわからないけど、どういう意味合いの答えを返すかは分かる。それに反していることはオリがオリの十分を得るために、ものすごく重要なことだと私は考えてる」

 早口でのたまうユイの言葉を理解することを早々に諦め、呆れた様子でオリを指差しながら忠告する。

「何でもいいけど。コイツに早く服を着せてやったほうが良いんじゃないかと思うぞ」

 ユイははっとした様子で、いそいそとホロスクリーンを呼び出し操作する。

 すると床に光る線が走り、長方形を形取るとアンティーク調の木製クローゼットが迫り上がってきた。

 オリを手で呼び、クローゼットの扉を開く。

「好きなのを選んで」

「はい」

 オリが服を選んでいる様子を興味深そうに見ているユイに、エイが呆れた声で再度忠告する。

「異性の着替えをそんなジロジエロ見るもんじゃないぞ。……異性を感じていないというなら別にいいが」

「わわっ」

 慌てて後ろを向きながらエイを睨みつけるユイ。

「感じていないわけがないでしょう! 興味が先行していただけです!」

「はいはい」

「服は全部持っていってください。全部似合うと思って買い揃えたものなので。花さんみたいな辛気臭い格好ばかりさせられたらかわいそうですから」

「……この女」

「んー?」

 なんだ文句があるのかといいたげな挑発的な顔をするユイ。この唐突に出てくる気安さはなんなのか二人にも決して理解はできていないだろう。都市有数のコングロマリットの代表と一介の便利屋。類似点は一つの団体の頭であることぐらいで、それもその規模を考えれば相違点と言っても差し支えがない。けれども仲がいいようにしか見えないのは何が作用しているのだろうか。それは誰かに理解できるものではないのかもしれないが、立場だけが関係を作るわけではない証左になるのかもしれない。

「着替えました」

 その声にユイはぱっと勢いよく振り向き、二人の方に向き直っていたオリの全身をしげしげと見て、ウンウンと頷く。

「いいね。いいね。カジュアルになりすぎないセミカジュアルな感じが似合っているね。それじゃあ今度こそ花さんにお任せ」

 クローゼットに残った服を丁寧に積み重ねる。その上にシートを被せ、三辺を指でなぞることで袋に詰め、エイに渡す。

「おー」

 袋を受け取りながらユイに気だるげな返事をする。

 それまでは嫌そうにしていたエイではあったが、逆らっても今後の立場が不利になるだけだと、諦めの気持ちで受け入れる心の準備を整えていた。様子を見、話を聞いていて、諦めだけではなく多少の興味も湧いてきていたこともあった。

「じゃあいくぞ」

「あっそうだ」

 オリに声をかけ、部屋を出ていこうとするエイに、ユイが思い出したように言った。

「これも渡そうと持ってたんだ。はい。花さんコーヒー好きなんだよね」

「何だ?」

「ドリッパーとサーバー。ペーパーフィルター……とミル。賄賂の意味で作っといたんだ」

「賄賂なら頼み事をする時に渡せ。ありがたいが、……俺は備え付けのメーカーでしか淹れた事がない」

 胸を張るエイに対してユイは言う。

「それならオリに頼めば大丈夫。オリも普通のヒューマノイドと同じように、知識の蔵につながっているから。ねっオリ」

「はい。任せてください」

「コイツを預かるモチベーションが五割は上がったな」

 ユイから紙袋を受け取る。二つの袋で塞がった両手を眺めた後、服の詰まった袋をオリに差し出す。

「自分のものは自分で持て」

「はい」

「じゃあ。またご用命があればよろしく」

 わずかながらの商売っ気を出して帰ろうとする。が、二人のやりとりを茫と見て、返事のなかったユイを振り返りエイは声をかける。

「どうした?」

「……んー。今のところ花さんに任せて間違いはないなって」

「わけがわからん」

 そうして二人は帰路についたのだった。


 イシコリドメを出て、歩いてすぐの駅からエイのアパートメント最寄りの駅まで地下を通るアンダーチューブに乗る。多くの商業ビルと中流、下流向けのアパートメントが立ち並ぶエリアの大通りを歩く二人。昼前の時間ではあるが、ある程度以上の人通りがあるのは日常であった。

 成人になると基本性能のヒューマノイドが無償で一人に一体支給されるエクスタットでは日々の糧を得る程度の労働はヒューマノイドに任せることができ、人間はそれ以上の金銭か趣味のために仕事をする。

 とはいえ、ヒューマノイドの仕事にしても、基本的な都市機能は意思回路を持たない機械群により維持されているため、人間の為に無理やりヒューマノイドが働かされているということではない。人間の善意より強固で、本能的にドロイドが持つ、人間の為になりたいといった気持ちを満足させ、機能不全を防ぐ意味合いが強い社会時流であった。

 ドロイドは必要とされるシーンにより様々なスペックの肉体がイシコメドリで製造され、その肉体を十二分に活かす意思回路がオモイカネによって製造、調整される。機械的に製造されるものではあるが、ドロイド達にも個性はあり、外に発露される個性の一つで最たるものが、人間への奉仕の気持ちの強弱である。強弱とはいっても、その気持ちが全くない個体は未だかつて現れてはいない。そのことをオモイカネが意図的に制御しているかどうかは、その恩恵を享受している誰も知る由もないことである。

 兎にも角にも、このような理由により、望まない仕事をすることもないため、時間に限らず街中には、したいことをする人間やドロイドがのんびりと過ごしていた。

 騒がしくはない程度の賑やかさが、人間とドロイドにより作り出されている通りを、覇気のない様子のエイと背筋を伸ばした生真面目そうな様子のオリが話もなく歩いていく。オリの様子はともかく、エイは不機嫌なのかといえばそういうわけでもない。エイは会話嫌いというわけではないが、基本的に相手から話題を提供されないと積極的に会話をしない。いわゆるヒトに気が使えない男であった。

 未だ心ここに在らずといった様子のオリも、そんなエイを気に止めるでもなく後ろを追っていく。程なくして大通りから少し外れたところにある、少し薄汚れた木材とレンガを組み合わせた外観をしたアパートメントビルに足を踏み入れた。

 北側に備え付けてある階段を二フロア分昇り、階段そばの三〇一の札がある部屋の前に立つ。扉横に備え付けられたカメラとマイクスピーカーにより虹彩、眼球血管、耳形、耳音響が複合的に認証され、重い音を鳴らしてロックが解除される。

 古めかしい蝶番型の外開き扉を開けるとそこがエイの住処であった。

 3LDKの大の大人一人では持て余しそうな広さの部屋ではあったが、物が多くそれらを収納する棚やら何やらでスペック上の広さは実感できない。しかしながら、部屋はそれなり以上に整理され散らかっている様子は伺えなかった。

 エイは羽織っていたコートを玄関そばのコート掛けにかけると、日常的に見ているであろうことが伺える動作で壁に取り付けられている小さな液晶モニタに目をやる。そうしてキッチンのカウンターに鞄からコーヒー豆が入った紙袋とユイから帰り際に渡された紙袋を置いたところで、玄関に茫と立ったままのオリに気づき声をかけた。

「鍵を閉めて……ってお前じゃ閉まらないか。ロック」

 鍵をかけるためのキーワードを玄関脇のマイクに届くように心持ち大きな声でいう。鍵が開いた時に聞こえた重いガシャガシャ音と共に重厚な四本の閂それぞれが絡まり合うように締まっていった。

 その様子を少し驚いたように見ているオリの様子に何を思ったのか、エイは続けた。

「あー。この部屋にはミヤウシロから貰った物も置いてあるからな。用心のためだ。決して趣味なわけではない。事務所の方は普通の鍵だしな……って何で弁解しなきゃならんのだ」

 普段こっちに他人を入れないからな……なんて独り言を呟きながら、コーヒー豆を取り出しキッチンのメーカーにセットしようとしたところで、もう一つの紙袋の方に目を向けた。紙袋の中身を取り出してみると幾何学模様と金属光沢を持つ立方体三つと直方体の筐が出てくる。それを手にとって眺めていたエイが直方体の三辺の縁をなぞると、なぞった箇所が結合を解き自然に蓋が空いた。

「これが、ドリッパー、サーバー、ミル? で、これがフィルターか。おっクリエイターも入っている……が、キューブが入っていないぞ。あいつめ、せめてどのキューブを使うかメモでも入れておけよ」

 エイがクリエイターと呼んだ差し込み口のある金属の棒を手で弄びながらぼやく。

 そうしてまだ玄関の前で立って部屋中を見回していたオリに声をかける。

「コーヒー入れられるんだろ。頼むわ」

「はい」

 軽く頷きながら小走りでキッチンに向かっていくオリ。流し台に立ち四角のバルブを回そうとして触れた瞬間、電子音声が鳴る。

「交換時期です。キューブを交換してください」

「おっ……と。そろそろ一年経ってたか」

 いいながらエイはオリの横にしゃがみキッチンの下の棚を漁り、バルブと同じ形の立方体を取り出した。バルブを取り外し、キッチン下から取り出した方の立方体を同じように取り付け、その上部をタップする。そうすると蛇口から水が流れ出した。

「お湯の方がいいか?」

「……はい」

 オリの返答を聞いて、もう一度バルブ……キューブをタップする。

「じゃあ頼む。ポットはコンロに、カップは……お前も飲むか?」

 聞きながらも水切り籠からカップを二つ取り出し、テーブルに置きながら聞くエイ。

「……見ててもいいか? いつもはそっちので淹れているんでな。興味がある」

「どうぞ」

 オリは答えながらポットにお湯を入れ、少し悩みながらキューブをタップしてお湯を止める。コンロにも大きさは違うが同様に取り付けられているキューブをタップして、火がついたことを確認し、ポットを置き、火にかける。

「いいですか?」

 コーヒー豆を指差しながらエイに是非を問う。

「ああ。いい豆らしいから大事にな」

 頷き、豆を手に載せ二人分である18gを測り、ミルに投入し極力熱が伝わらないようにゆっくりとだが一定の速度で均一に挽く。ペーパーをドリッパーの形に沿うように側面と底部を交互に折り、ドリッパーにセットする。ミルから粉を取り出しペーパーに入れ、軽く揺らして粉を水平にする。同時に沸いたことを知らせるポットの火を止め、少し待つ。ポットを見ながら軽くその側面に触れ、何かに納得したのか軽く頷き、ポットを持ってカウンターテーブルに向かう。少し緊張した面持ちで、低めの位置からポットを傾け、細い水流を作り粉に一投目を注ぐ。ゆっくりと一巡し粉を蒸らす。すかさず二投目を中心から外側へ円を描くように注いだら、表面が膨らんでくるのを確認する。

「……おぉ」

 感嘆の声を上げるエイに目を向けながら軽く首を傾げるオリ。エイはそれに手を振って気にするなと伝える。

 エイという男はコーヒーに目がなかった。いや、コーヒー中毒一歩手前と言った方が正確な表現であろうか。そうはいうものの量だけを求めているわけでもなく、味の良し悪しは普通のヒトよりもよほどうるさかった。作っているヒトにとっては一番ありがたく一番めんどくさい愛好家の類であることは間違いがなかった。

 目を離しながらも、しっかりと四十秒を測定していたオリは、粉が平らになり中心が窪んだことを確認し、四投目を注ぐ。膨らむ粉が溢れないように、きっちり八分目で止め、お湯が落ち切る前に次を注ぐ。そうしてサーバーに二人分のコーヒーが湛えられるだろうことを確認し、ポットを置き、ドリッパーに手をかけたところで、瞬間動きが止まった。慌てた様子で顔がドリッパーと流し台を行き来していたが、お湯が落ち切りそうなのを確認したところで素早くドリッパーを外し、滴が落ちないように手で受けながらドリッパーを流し台においた。

 多少ではあるが淹れたてのコーヒーで濡れた手を水で流し、エイに尋ねる。

「手拭きを使ってもよろしいですか」

「構わない。問題ないか?」

 エイの指していることが手の具合なのだとオリはその視線の先を確認して答える。

「そのようです」

 不思議そうに熱湯がかかったはずの手を見ながらオリが頷く。その様子を不審そうに見ながらもエイも頷く。

「まぁミヤウシロの特製だ。それくらいじゃ跡もつかないだろうな」

 言いながらも目線は淹れたてのコーヒーに釘付けになっていた。

「どうぞ冷めないうちに。……砂糖やミルクは?」

「いや、いい。いただきます」

 手に取り、オリにというよりは習慣になっている様子の文句をいいながら、まずは香りを楽しむためにカップを鼻に寄せる。

「……? いつもより香りがいいな。豆のおかげか……?」

「いつもの豆を私は知りませんが、先ほど話していたようにいつもそこのメーカーで淹れてらしたのなら、きっと粉にする段階で熱が伝わりすぎていたのではないかと。熱が加わるとどうしても香りが飛びますから。今回はいつもよりその度合いが抑えられていたのだと思います」

「よく知っている……のは、当たり前か。お前たちはサルメに繋がっているんだから。俺たちにはどんなモノなの分からないから忘れちまうな」

 一通り香りを楽しんでから、さて本番といった様子でそろそろとカップを口に近づけていく。

 その瞬間の顔はエイを少しでも知っている者が見たらさぞ見ものであったことであろう。香りと香りによる微かな笑みの余韻を残したままの口で、コクリと一口味わう。舌で味わい、笑みが深くなる。喉に落とした後にもう一口を含み、今度は一口目よりゆっくりと味わう。目を閉じてもいる。昨日の仕事からずっと張っていた肩の強張りが、氷が溶けるようにじんわり緩んでいき、それに促されるようにカップがテーブルに置かれる。

「………あぁ」

 きっとエイ自身も気付いていない息をつき、自然に口から言葉が出る。

「うまい」

 目を瞑っていたことにようやく気付いたかのようにゆっくりと目を開け、オリの顔を見つける。

「うまいな」

 その何とも幸せそうな顔に、今まで答えていたように平坦な返答を返すはずのオリだったが、何故か言葉が出なかった。「ありがとうございます」の形に口は動く。だけどその喉は音を発してはくれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る