第4話 ヒトの間に立つ柱

 エイは白亜の柱の入り口に立っていた。

 限りなく円柱に近いが、間違いなく多角柱であるのっぺりとした簡素な柱。簡素でありながらその大きさから感じる偉容は、外観から感じる無気質さを補ってあまりあるほどの、ある種の畏敬の念を感じさせるものであった。

 真白ではない。オリーブ色を気持ち混ぜたかのような白。外から認識できる要素はその程度と、遥か上の柱の一部が微かな日光をキラリキラリと反射していること。そこが一体何階になるのかは内部の人間にしか分からない。

 そのフロアにあるのは、この都市の中では滅多にお目にかかれない緑豊かな公園。とはいっても、さすがに一から育てられた自然のものではない。それでも、遺伝子操作されているモノとはいえども、一般人には一生の内一度でもお目にかかれれば、望外の幸福とでも言うべきシロモノであることは疑いようのない事実である。さらにそれが富裕層向けの有料の施設では無く、この企業の研究者たちのための一種のリラクゼーション施設なのだから、この企業の突出ぶりもわかろうというものであった。

 だがこの柱で真に重要なのはそのようにヒトが立ち入れるところではなかった。

 ヒトが使う会議室、研究室などは重要ではない。この柱の中ではこの企業の生産品の材料が、ひいてはそれを貯蔵するスペースが最も重要なのであり、この企業の従業員はただ一人の例外もなくそれを理解していた。

 自分にとっては大層不釣り合いな場所にきているものだ、とエイはここに来るたびにいつも思う。

 不釣り合いだからこそ利益をもたらしてくれるこの場所に幾ばくかではあるが感謝をし、エイは正面入口から、いつもの無駄口が大好きな男が住処とする外来受付に歩を進めた。

「ハナガスミさん、お待ちしていました。いつもとは違ってお早いお仕事で」

「お前たちが急ぎの仕事と言ってきたんだが」

 それにあの時点で男を確保できていなかったら、見つけるのが不可能になっていた可能性も高い。

「ははは、なんと言いますか挨拶の枕詞ですよ。知っていますか、転換期以前は万能な切っ掛け作りの話題として、今日の天気を感嘆していたらしいですよ」

「気が滅入るだけの天気を褒め称えるとは、なかなか難儀な時代だ」

「いやいや、転換期以前は天気というものもいろいろあったみたいですよ。晴れ雨霧雪晴れのち曇り晴れ時々雨……。今日はいい天気ですね……。あぁ、これは一般的に晴れの時のことのようですが。こうして話し始めるんです。今日はいい天気ですね、それで例の件は……なんて。イイですよね。人との対話の中でなにが難しいかというと、どう話しかけるかと、ふとした瞬間の沈黙の後に繋ぐ言葉と、話を打ち切るタイミングだと思うんですよ。天気の話というのは何も考えずにきっかけを作り、話しかけることに関しては万能の言葉だと思うんですよ。特に私みたいな話し下手には」

「成る程」

 耳に入ってくる言葉のどこにも納得していないような平坦な声色をしながらも、特に話題を止めるようなことはしないエイ。

「晴れ……雲が少ないか全くない天気のことをいうようなんですが、昔の人間は青い空を見ていたみたいですよ。雲が無いと白い光の中の短い波長である青の光が、空気中の微粒子によって散乱して広範囲に広がり、人の目に他の色よりたくさん届くなんてことが理由らしいですが、イイですよね。青の空なんてうちの空庭の緑と組み合わせたら、なかなか壮観な景色になりそうだとは思いませんか。まぁリラックスするための場所で毎回感動なんかしていたら、存在意義を問われそうではありますが。まぁでも毎日ともなれば日常になって、ベンチに座りながら動物たちを撫でる憩いの時間も、今よりもっとリラックスできる時間になりそうですが」

「動物なんかもいるのか。初耳だな」

 自分で納得しているのかエイへ疑問を投げかけてきているのか、男の話にははっきりとした間がないため判断しずらい。

 初めのうちはエイも口を挟んでもいいものなのかと悩んでいたが、こちらを見てくる目の動きと、その時々の反応から最近ようやく、この男は話の内容を理解してもらうことよりも会話をすることの方が好きなのだとわかってきていた。

 であれば、もっと会話の間というものを身につけてはどうかと思っているのだが、エイは今までそのことを口にはしていない。無駄なことはしない主義であったし、このなんというかトランプの遊戯のひとつであるスピードで例えるなら、相手の出す連続したカードの間に自分のカードを刺し込むような会話が、エイも自分の気持ちが理解できないながらも気にいっていた。その気持ちは決して会話を楽しんでいると言った類のものではなかったが。

「そうですね。社の実験製品みたいなものではありますが……イヌ、ネコ、ウサギ、リス、ヤギ、ヒツジ、……シカなんかもいましたか。もっとも社員を使ったモニターのようなものなので、それほど数はいませんけどね。でもイイですね。うちでもイヌを飼っているのですが、家に待っていてくれる存在がいるというのは、心の支えになりますからね」

「流石天下の三柱の一柱である社員様は高給取りであらせられる」

 その言葉は嫌味でもなく、嗜好品である動物……たとえ機械式のリステロイドであったとしてもその値段を知っているこの都市の誰もが思うことの代弁であった。

「しかし、待っている人間といえば、お前最近結婚したとか言っていなかったか。動物よりも奥方様に癒しを感じるべきじゃ無いのか」

「もちろん妻にも日々癒しとともに感謝を感じていますけれど、妻は玄関を開けた瞬間に飛びついてきてはくれませんし。頭はともかく、お腹なんかをベッドの中でもないのに撫でた日には、顔に拳が飛んできますよ。愛しているからこそ私の心の内を素直に曝け出せないんですよ。『あぁ、君のことを誰よりも何よりも愛しているから、僕のありとあらゆる愛情表現を君にしてあげたいんだ。君が望む事か望む時かは関係なく』」

 はっはっはっ。なんて笑い声をあげながら品の無いことを言う。この男の悪い癖だった。下品なことはエイも決して嫌いではないが。綺麗なものだけが正しいわけでも、楽しいわけでもないことを知っている。

「それで私たちが望むものについては」

 だけど、頭を使わない会話の後に、急に本題を振ってくる、性格が綺麗ではないこの男のことは、間違っても人間的には好きになれなかった。

「これとこれと。もう一つは回収しているよな?」

「もちろんです」

 当然の返答を聞きながら、エイは書類束と記録媒体をカウンターの上に置く。

「いい加減これを着けるのも嫌なんだがな」

 エイはカウンターに置いたーー首に沿うようなU字型をしたーー機械を指先でコツコツと叩く。それを相手との中間地点よりほんの僅かに自らの方に引き寄せながら言う。

「証拠書類と当人の身柄だけで十分だろう。捕まえる一部始終を映像と音声で提出させるのはプライバシーの侵害だと思うんだが」

「勿論構いませんよ。提出が必須というわけでもありませんし。証拠書類と犯人だけでもー」

 続く言葉はエイには勿論予測できていた。決してそれを受け入れられないことも。加えて、それを相手が理解していることも。

「ただ、報酬の4割は我慢してもらうことにはなりますが」

「はぁ……分かってるよ。もうチョット常連に優しくなれないものかね」

「いやいや。常連なんてまだまだとてもとても」

「嫌味な奴だ」

 それでも精一杯の抵抗の意志を込めて、強目に記録媒体を滑らせて放る。

「お疲れ様です。依頼完了ですね」

 危なげなく手に納めながら嫌味な笑顔で告げる男から逃げるように、エイは素早く身を翻しその場を離れていく。

(昨日の珈琲を楽しむためにも早く帰らないとな)

「あっそうそう。統括長からラボに寄っていくようにと伝言を預かっていたんでした」

「何の用で」

「詳しいことは何も。ですがいつもの様に試作品の横流しではないですか」

「横流しとは人聞きの悪い。契約に基づく労働の正当な対価だ」

「他の依頼人にはそんなことしていないんですから、こんな言いようにもなりますよ。うちの技術者でも統括長の試作機なんてお目にかかることはほとんどないんですから」

 私はともかく、技術者連中は大層嫉妬しているらしいですよ。奪い獲る算段を立てているなんてこともまことしやかに……なんて恐ろしいことを続けてくる。

「誰も直談判していないだけだろ。その為に俺がどの程度の報酬を犠牲にしているかも理解して欲しいもんだ」

 時に役に立ち、時にガラクタとなるものにエイは報酬の5割を犠牲にしていた。それがなければ今頃もっと悠々自適な生活を送れているだろうと思いながらも。

 そうであってもエイは決して当時の決断を悔やんではいないし、現在も取り下げようとは思っていなかった。あの統括長が都合の良いモルモットをそう簡単に手放す筈が無いことは棚の上に置いておくとしても。

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