第12話 死んだ桜子
桜子は自分で、自分の気持ちで、あの見知らぬ土地の籠を選んだ。自由のない籠を。
千紘にはどうすることもできなかった。
そして数ヶ月後、理央から千紘のもとに一本の電話が来た。
──桜子が死んだ、と。
なぜどうしてと問う千紘に理央は、感情のない冷たい口調で言ったのだった。
──理由は聞かないでくれ、察してほしい、と。
葬儀は親族だけで済ませたこと、暫くはそっとして欲しい旨だけを一方的に言って、電話は切れた。
千紘は呆然とした。
察してほしいとは──命を絶ったということか。
桜子自ら、自分の命を。
一番悪いのは理央だ。理央が桜子を追い詰めた。
だけど千紘もまた、桜子を追い詰めたに違いない。
千紘は理央の電話以来、何度も自分を責めた。桜子は自分のせいで、命を絶ったと。
何故あの時、助けられなかったのか。
結局は自ら死を選ぶほどだったのに、何故あの日新神戸の駅で桜子は千紘の手を振りほどいて逃げ出したのか。
どこか千紘のなかで、桜子を蔑んでいた感情を見透かしたのだろうか。何も知らない桜子を嘲笑っていたくせに、真実を知った途端哀れみの感情で救おうとしたと、桜子は絶望したのだろうか。
──そんなことはない。
矛盾しているのかもしれないが、あの時桜子を救い出したいと思ったのは、紛れもない真実だったのだ。
『もういつ生まれてもおかしくないよ、めちゃめちゃ緊張するー!』
同期同士で授かり婚をした
由香には桜子のことは伝えていない。出産を控えた由香には、あまりに衝撃的なことだと思うし、『そっとしておいてほしい』という理央の言葉に従って誰にも言う気になれなかったのだ。
また、千紘も桜子の死を伝える気力はなかった。いつかは伝えなくてはと思うが──
『私、里帰りの途中で誰に会ったと思う?』
突然、由香から難しいクイズが送られてきて、千紘は首をかしげた。
由香は結婚して野口が赴任している和歌山に引っ越したが、里帰り出産のためにQ県の実家に帰省中だった。
クイズにする限りは、答えは共通の知人──会社関係だと思うが、範囲が広すぎて見当がつかなかった。
『なに? Q県勤務の同期?』
千紘は質問に質問で返したが、その後の由香の返事に目を丸くした。
『桜子だよ! 旦那さんの親戚の法事があって、Q県に帰ってたんだって。大阪駅で旦那さんと二人でいてさ、本当にびっくりしちゃったよ!』
びっくりしたのはこっちの方である。死んだ桜子が? 理央と一緒にいた?
『ねえ、それ本当に桜子?』
『うん、大分太っちゃってたけど、すぐ分かったよ! あれは幸せ太りだね。いいねー相変わらず旦那さんと仲良くてさ』
会社にいた頃の桜子しか知らない由香は、当然今の体型の桜子を見たことはない。それでも桜子だと分かったということは。
『それで結婚式出られなくてごめんね、元気な赤ちゃん生んでね、だって』
会話も成り立ってる。間違いない。由香が会ったのは桜子本人だ。
──どういうことだ。
千紘はスマホで理央の番号を呼び出し、かけてみるが繋がらない。呼び出し音すら鳴らない。ブロックか。
千紘は慌ててサンダルを突っかけ、家を飛び出した。確か駅前に公衆電話があったはずだ。
さっき会社から帰ってきたばかりの道を十分近く走り、駅前に電話ボックスを見つける。
──繋がらない。
息切れしながら、何度も何度もかけるが繋がらない。
ブロックか、番号を変えたか。無論、桜子のスマホは理央に取り上げられた日から繋がらない。
桜子の結婚式の席次表、あれには確か実家の住所が書いてあったのに! 式から帰ってすぐに、ビリビリに破り捨てた自分を思い出す。
千紘は指を唇に手を当て、下唇を噛み締め顔を歪める。
──嘘、なのか。桜子が死んだというのは。
何故そんな嘘を。桜子も一緒になってついているのだろうか。
なんのために?
私を罪悪感で苦しめるために?
死んだなどと、たちの悪い嘘までついて──
千紘は公衆電話を握る自分の手が、小刻みに震え白くなっていることに気がついた。
私は怒っているのか。嘘をついた理央に。
私が助けようとしたのに、手を振り払った桜子に。
関わった六年間、結局無駄な歳月を過ごしてしまったことに。
──許さない。
千紘の目から止めどなく涙はこぼれた。それを拭こうともせず、賑わう駅前のアクリル板で閉ざされた電話ボックスのなかで、千紘は一点を睨むように見つめていた。
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