第9話 冷めたクアトロフォルマッジ
「わかっててどうして──」
「どうしようもないでしょ。行く場所もないのに」
再びピザを食べ始める桜子を、千紘は見つめる。視線が揺れる。
実家は理解がなく、自由を奪われて別居もできない桜子──
「ねえ、東京来る? うちは1LDKだから一応ソファで寝られるし、慣れたらどこか部屋を借りるとか」
「そんなこと」
案の定、桜子はすぐに首を振った。千紘だって分かってる。千紘の家に逃げるなんて、現実的じゃないと。だけどこのままでは──
千紘は指を唇に当てて、考え込む。目線は千紘から、店の中のあちこちを彷徨い、一枚の張り紙を見た途端、はたと動きを止めた。
「取り敢えず、何か仕事してみるっていうのは?」
千紘の提案に桜子は手を止め、眉をひそめる。
「仕事?」
「旦那が帰ってくる前に、家事をこなしていればいいんでしょ? だから例えばこういうランチだけのバイトだったら、2時か3時くらいまででしょ?」
スタッフ募集の貼り紙を目にした時に、思いついたのだ。
桜子にないのは自由だ。理央以外の人との関わりだ。
部屋とスーパーだけじゃなくて、少しでも働きに出れば、人間関係も築けるし充実感も得られるだろう。お金を稼げたら、それで好きなことに使って気分も変わる。
──今の生活から脱出しようと思えるかもしれない。
「だってりぃくん、絶対いい顔しないよ」
「だから仕事してる時間に黙ってやるんだよ。さすがにバレないって」
うーんと桜子は唸りながら首をひねる。本当は旦那の許可などいらない。桜子の人生ではないか。
「私にできるかなあ。四年も働いてないんだよ」
「できるって、桜子なら!」
千紘の説得に桜子は一瞬目を丸くし、そして嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「そうかなあ」
今日、初めての桜子の嬉しそうな笑顔だった。
「このままじゃいけない、変わりたいなとは思っていたの」
少しはにかんだように、桜子は前髪を引っ張り頬を赤らめて千紘を見た。千紘もつられて微笑む。
急に空腹を覚えて、千紘も今更のようにピザに手を伸ばした。ピザのチーズは冷えて固まってしまっていた。
こんな風に手遅れでないようにと祈る。
まだ間に合うだろうか。今なら離れることもできるだろうか。
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