第5話 染めない髪

 週末に行こうと思ったのだが、土日は家を出られないと桜子が言う。その週の金曜に有給を取って、朝から神戸に向かった。

 紅葉にはまだ早い十月半ばだが、指定席は千紘の母ぐらいのグループが多く、賑やかであった。


 神戸のどこかで会おうとしたのだが、桜子は神戸はよく分からないから家に来てと言う。四年も住んでいて分からないことはないだろう。でもこの前の電話の様子からしてまた突然泣き出すかもしれない。人前よりは、家で会う方がいいかと思った。


 新神戸で新幹線を降り、私鉄を二つ乗り継いで着いた小さな駅の改札口に桜子はいた。

「千紘!」

 名前を呼ばれて立っているのが桜子なのだと分かり、千紘はぎょっとした。


「千紘、元気そうだね。あの頃と変わってない」

「あっ、うん、いや、変わってなくはないよ・・・・・・」

 22歳で入社した千紘も、今はもう29歳だ。変わってないはずがない。前まで履いていたパンツがキツくなったり、ほうれい線が目立ってきたり。笑うと目尻に皺もできる。が──


「私は変わったよね。ちょっと太っちゃってね」

「そうなんだ・・・・・・」

 促されて並んで歩き始める。ここから家まで徒歩で十五分ほどだという。


 太ったのは『ちょっと』ではないと思う。

 桜子は元々ぽっちゃりしていたが、女の子らしい丸みを帯びた身体といった感じで、決して太ってはおらず標準的な体型だった。それが・・・・・・10キロ、いや20キロ位太ったんじゃないだろうか。

 不自然なまでに色白の肌。確かに肌は白かったのだが、なんだか病的なまでに青白いのである。黒の花柄のワンピースを着ているから、白さが更に目立つ。

 そして後ろにひとつにまとめた髪に、沢山の白いものが混じっていた。今回のことが心労となって、白髪が沢山生えたのか。

 千紘が眉をひそめて桜子の髪を見つめて考えていると、視線を感じたのか桜子が振り返って苦笑した。

「白髪目立つよね。お母さんが早くから多かったから遺伝だと思うんだけど」

「髪があるだけいいじゃん。沢田くんなんてもう全然なくて、坊主にしてるんだよ」

 なんと言っていいか分からず、同期の男子の話を引き合いにしてその場をしのぐ。ごめん沢田くん、と千紘は同じ東京支社で働いている沢田に、心のなかで手を合わせた。


「実家に帰るときは、りぃくんが家で染めてくれるの。苦労させてるように見えて嫌だからって。でも最近帰ってないから・・・・・・」

「・・・・・・」

 桜子の言っている意味がよく分からず、千紘は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。


 家で染めると言うことの意味は分かる。ドラッグストアで売ってる薬剤を使うのだろう。でも理央が忙しくて出来ないのであれば、自分でやればいいだけだ。それに実家に帰るときだけというのも解せない。例えあまり知り合いがいないのだとしても近所の目もあるし、理央だって並んで歩くなら白髪頭で大分老けて見える桜子より、昔のようにふわふわの髪を肩下まで垂らしている桜子の方がいいのではないか。


「ごめん、言ってる意味分かんないよね」

 桜子が千紘の心のなかを読んだかのように言う。勿論言葉の意味は分かるのだが、話が一本に繋がらないというか、何故そうなるのだといった感じなのだ。


 二人は片側二車線の少し大きめの道路に出る。横断歩道を渡ると、目の前にはスーパーがあった。ショッピングモールのような大きなものではなく、中規模の路面店。そこに小さなドラッグストアが隣にくっついていた。

 辺りは五、六階建ての中低層のマンションが建ち並び、学習塾や小さな会社がスーパーと同じ通りに面していた。


「このスーパーから家は歩いて五分くらいなの」

 桜子の言葉にじゃあまだ十分しか歩いてなかったのかと思う。知らない道ということもあるが、駅からずっと坂を上ってきたので体感的には倍くらい歩いた気分だった。

「スーパーが近いなんていいね」

 当たり障りのないことを千紘が言うと、桜子は歩きながら隣の千紘の顔をじっと見つめた。

 無表情。大きな瞳をまばたきもせずにこちらに向けるものだから、千紘は居心地が悪くなる。

「えっと・・・・・・」

 千紘が戸惑っていると、桜子は目をそらした。うつむき、アルファルトの道路に目線を落とすと、ぽつりと言った。


「私ね、いつもこのスーパーに出かけるだけなの」

 

 

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