気心知れた仲間同志は大した用事もないのに、なにかにつけよく顔を合わせる。携帯電話で話せば済むことでも、互いに連絡し合い集まるのだ。その後のことがちょいと気になったのか、阿部が佐久間に連絡してきた。

「この前はお疲れ。如何だった?」

「おお、お前、飲み過ぎたんじゃねえのか?」

「ううん、たしかに乗り過ぎてチャンポンしてたからよ」

「そうだろう、村越と結構バトル繰り返していたもんな」

「そうか?あまり覚えてねえな。ところでよ、電話じゃなんだから、今晩空いていねえか?」

「うん、別にいいけど」

「そうか、それじゃ村越誘って、また会わねえか」

「それじゃ、何時もの喫茶店でいいか?」

「ああ、それじゃ七時頃待ち合わせだ」

こんなやり取りで、三人がまた顔を合わせた。マイアミの喫茶店の片隅に陣取り、村越が口火を切る。

「しかし、この前はよく飲んだな。翌日気持ち悪くて参ったよ。完全に二日酔いになっちまってた。ところで阿部、お前は?」

「俺か。俺だって同じだ。頭が痛くて翌日は一日中なにもする気が起きなかった。それに、如何やって帰ったか、あまり覚えてねえんだ。気づいたらコタツで寝ていた。明け方近くに寒くて目が覚めたぜ」

そこに佐久間が口を挟む。

「ううん、参ったよな。しかし、どれくらい飲んだか。かなり開けたからな。朝起きた時、目がくらくらして如何にもならなかった。それで、結局、夕方近くまで寝込んじまってよ」

己も参ったと嘆いた。

居酒屋で飲み明かした日から数日が経っていた。

喫茶店での会話もこんな挨拶から始まった。

話が進む。

「いや、如何も身体の調子が今ひとつなんだ。むず痒いというか、なんていうかしっくりこないんだよな。阿部、お前は?」

村越が尋ねた。

「おお、俺も、ここんとこ、何故か気持ちがもやもやしてな。これといって、身体の調子が悪いわけじゃねえんだが・・・」

阿部が訝り返した。

「そうか、お前らもか。いや、じつは俺も、なんとなく気が抜けたようで、しっくりしねえんだよ」

「そうか、佐久間もそうなのか」

「ああ」

煙草を吸い、冷めかけたコーヒーをすすり、ため息交じりの会話が続いた。そして次の話題へと移る。結局、山の話になっていた。

「ところでよ、佐久間。如何なんだ?」

阿部が問うと返す。

「えっ、如何って?」

「いや、別に大したことじゃねえが。如何も俺は、この前行った八ヶ岳のことが思い出されてよ。それで、お前はと思ってな・・・」

未練そうに尋ねた。

「ああ、そのことか」

「ううん」

「俺もじつは忘れられなくて、ことあるごとに甦るんだ。本当に、よかったな。あの雪景色といい、八ヶ岳連峰の連なる山々の輝きが、今でも目を閉じると浮かんで来る」

しみじみと募った。すると、しぼんでいた阿部の目が輝き出す。

「そうだったのか。俺もそうなんだ。忘れられなくて、この前、お前からもらった写真を見る度に、あん時の感触がこの肌に蘇る。すると、むず痒くなってな。くそっ、また行きてえな」

遠くを仰ぎ見る目になっていた。

「思い起こすと、なんだか身体が疼いてくるな。ああ、あの雪の感触といい、稜線での緊張感。それに見渡す限りの絶景・・・。威厳を放つ主峰赤岳の凛々しい姿。なんだか目に浮かべただけで身震いしてくるぜ」

阿部が思いを告げると、隣で村越が涼しげな顔で見下す。

「しかし、なにをお前らは未練たらしく思い出に浸り、仲むつまじく目を合わせ、涙ぐむような話してるんだ。そうやって、うじうじする様を見ていると片腹痛くなるぜ」

「な、なにが片腹痛えだ。お前はなんとも感じねえのか。この前、行ったばかりなのに、もう忘れちまったのか?」

阿部が反発すると、村越も思い巡らす。

「いいや、そんなことないさ。今でも鮮明に覚えている。素晴らしかったよな。朝日が昇り出した時の、あの峰々に冠雪した雪がピンク色に染まって行く。そして、やがて真っ白に輝き出すんだ。目を閉じ思い出す度に胸が熱くなる」

それ見たことかと同調する。

「そうだろ。お前だって、そう感じているじゃねえか」

「ああ、思い出す度にな。けどよ、如何もお前らを見ていると、しっくりこねえんだ。というか、辛気臭くていけねえ」

むず痒そうに村越がほざいた。

「なにが、辛気臭えだ。俺らが懐かしさに浸っているのが、お前のと何処が違うんだ。阿呆なこと抜かせ。あの素晴らしさを、感情の趣くままに表現しているんだぞ!」

目を剥き口を尖らせた。

「それは分かるよ。でもな、やっぱり違うんだよな。俺の場合はもっとクールだ。お前らと違ってよ。どちらかと言うと、お前らはドン臭いが、俺の場合はスマートだと言うことだ」

「おいおい、村越。また、そんなこと言ってら、お前だって俺らと大して変わりねえと思うがな」

「いいや、大いにあるぞ」

ここで、聞いていた佐久間が口を挟む。

「しかし、お前もげんきんな奴だな。今まで八ヶ岳の話で、同じように感動していたのによ」

「ああそうだが。でも、俺はげんきんというより、ドライと言ってもらいたいな。げんきんなんて言われると、なんだか君たちみたいにせこく聞こえるからよ。それより、何時もの僕の行動から見れるように、スマートにドライと言って頂いた方がぴたっと来るんだ。なあ、佐久間君」

村越がすまし顔でほざいた。

すると、阿部が惚ける。

「そうかいそうかい、ドライね・・・。と言うことは、ドライアイスみたいに冷てえ奴ということだな」

「ああ分かった。阿部、これから村越をアイスマンとか呼ぼうぜ。それでいいだろ、村越!」

佐久間がにやつき頷く阿部を見つつ、澄まし顔で言った。そして、ことさら強調して呼ぶ。

「なあ、アイスマンの村越君」

すると、村越が慌ててなじる。

「待てよ、そんな言い方ねえだろ。なんだか、俺が凍傷になっちまったみてえじゃねえか。もとはと言えば佐久間、お前がなりかけたんだぞ。幸いにも鼻がなくならずにすんだのによ」

「いいだろ、格好よくアイスマンといわれた方が、そうだろ、感動して胸震わせる俺らのように潤いがあるわけじゃなし、あの素晴らしい景色を見ても、クールにしてるんだから。それでいいだろ。その呼び名がぴったりだ」

阿部が冗談ぽく追称した。

「なにを馬鹿なこと言っている。意味合いが違うわ。まったく、減らず口叩きやがってよ。なにがアイスマンだ!」

ぷいっと横を向いた。

「まあ、いいじゃねえか、村越、気にするな。それより、ほら、八ヶ岳の山行記録を整理して持ってきたんだ」

佐久間が鞄から取り出し、テーブルの上に置いた。すると、村越が身体を乗り出す。

「おお、そうか。ちょっと見せてくれよ」

ノートを手に取り、じっと目を通す。

「そうか、多少の誤差はあるが、概ね予定通りだったんだ。それにしても計画通り上手くいったな」

感心しつつ頷いた。

「どれ、俺にも見せてくれ」

阿部がそう言い、村越から手渡された記録ノートに見入る。

「うむうむ、そうだな。これでいいわけだ。でも、多少無理しているところもあるな・・・」

多少疑問視するように呟いた。

「阿部、どこが無理してんだ?」

村越が食いついた。

「ああ、何時も我々三人で行く時は、同じように行程スケジュールを組み、予定所要時間をあらかじめ決めてるよな」

阿部が推測し佐久間に振る。

「ああ、そうしているが。今回だって、そうしたじゃねえか。なあ佐久間?」

 さらに村越が確認する。

「それでだ、今まで行った結果は、どのように記録が残されている?」

「ううん、まあ、所要時間より短縮して下山していたな。大方の場合はそうなっているぜ」佐久間が答えると、

「そうだろう、何時もそうなっていたよな。それはガイドブックの時間取りにゆとりがあるからだ。それと、大切なことは、今回の山行が冬季と言うことだ。ガイドブックでは、積雪や風雪、そしてアイスバーンの岩道など考慮してねえことだ」

的を得たように村越が頷く。

「そうか、ガイドブックの所要時間は、どちらかと言えば春から夏を基準にしている。今回の山行はそこいら辺が、充分コース取りの所要時間に考慮されていなかった。ううん、やはりガイドブックに頼り過ぎたということか?」

「その通りだ」

阿部が相槌を打つ。すると、

「そうなんだ。俺らの作った予定所要時間は、おもにガイドブックを参考にして立てたからな」

佐久間が打ち明け、さらに説く。

「よく分かったな、村越、そうなんだよ。だから今回の縦走だって、常に時間的に追われて、余裕がなかったものな。その原因は前回の縦走時のアクシデントなんだ。俺としては、アイスバーンや雪風は所要時間に考慮した。本来はそれだけでいいはずだ。けど、今回の山行はそこに慎重さが加わって、より時間を費やしてしまった。まあ、そのこと事態は間違いではない。最大限に安全面を強化して臨んだからな」

そして、村越を褒める。

「村越、図星だ。よくそこまで見抜いたな」

「まあな、これも長年の経験がそう考えさせたのさ」

少しばかり鼻を高くした。

「しかし、佐久間。如何してそんなことになっちまったんだ?」

阿部が訝った。

「ああ、そこなんだが。今回は二回目だよな」

「ああ、そうだが・・・。前回の山行記録を見直し、それとガイドブックを参考にして、それでコース取りに所要時間を決めていたからなんだ。それはお前らも知っての通りだ」

「ああ、そうだったよな。それが如何して、結果的に余裕がなかったんだ?」

阿部が疑問を呈すると、村越がおもむろに「コッホン」と咳をし説明する。

「その原因は幾つかあるよ。まあ、今回と違って、前回は阿弥陀のチャレンジで行者小屋が基点となっているところかな。こちらの方が赤岳鉱泉小屋からのルーとより小一時間は短い。

それに加え、縦走当日の出発時間、それと滑落停止訓練に費やした時間かな。あとはそんなに遜色ない。と言うのも、前回行者小屋と、今回の鉱泉小屋出発時間が同じであっても、おのずと一時間違いが生じるわけだ。鉱泉小屋の出発を速めたが、行者小屋経由で行ったんで、結果的には同じぐらいの時間になった。そうだったよな、佐久間」

「ああ、そうだ」

「そうだったけ・・・?」

阿部が懐疑的になる。

「それに訓練にかけた時間だが、当初一時間かけるところを三十分に短縮したが、それでも前回に比べ大幅に延長している。その他細かいところを入れた諸原因で一時間三十分程度は、前回と違っていたんじゃねえか。前回の記録と今回のものを比較すると、そのように思うが」

「そうなんだよな、俺も家に帰って比較してみた。佐久間の言う通りだ」

阿部が加え示す。

「その結果、下山して鉱泉小屋に戻った時間は、前回と同じぐらいだったんじゃねえか?」

さらに視線を移し振る。

「そうだろ、佐久間」

応じて答える。

「ああ、鉱泉小屋には同じくらいの時間に着いた」

「そう言われれば、そうだな。俺も今回の山行で、硫黄岳から下山して鉱泉小屋に着いた時の薄暗い雪明りを覚えていて、前回と同じ時間だと、あん時感じたものな」

村越が思い出した。

「そうだ、前回は初めての縦走だったんで、経験するものすべて初体験だった。コース取りの所要時間を気にして進んだが、それでも景観の素晴らしさに時間を忘れることもあった。それが結果的には楽しんだということになったけど、今回は二度目だ。見るものすべてが初めてじゃない。

その中で、多少窮屈な縦走計画を立てた。それも前回のアクシデントを避けるために、必要以上に滑落停止の訓練に時間をかけてしまった。それと出発時間が違っても、調べたら行者小屋時間でみれば結果的に同じ時間となっていた。この辺が大きな原因といえるんじゃねえか?」

佐久間が総括した。

「そうか、そうだったのか。これで分かったよ。でも、よかったじゃねえか、どちらにしても無事帰って来られて。それに初回と違って、時間には追われたが、要所の絶景ポイントでは余裕で見物出来たし、まあ、全体的には、冬山の良さを堪能できたと思う。まあ、これも隊列の先頭を、俺が仕切って行ったから、上手くいったようなもんだけどな」

胸を張り村越が自慢した。

「なんだ、またかよ。こいつの言いたい放題が出たぞ」

阿部が茶化した。

「なにを言う。行動計画は佐久間が立てたが、まさしく俺様が先頭でリードしたから、無事に帰って来られたんじゃねえか。それに前回以上に、八ヶ岳の絶景に感動することが出来たんだ。いいかお前ら、俺に感謝するのを忘れていねえか。今まで一言も労ってもらってねえぞ。まったく、どいつもこいつも、今回の縦走でのリードオフマンとしての見事なまでの役割を評価していねえんだから、しょうがねえ野郎らばかりだぜ!」

阿部の呆れ顔をよそに、村越が何時ものように毒づいた。

「はいはい、感謝していますよ、村越さん」

「なんだ、なんだ、その言い方は。心がこもってねえじゃねえか!」

「そんなことないぜ。心から感謝していますよ。なあ、佐久間」

「ああ、阿部の言う通りだ」

「分かったよ。まったく、お前らにはほとほと呆れるぜ」

村越がぼやくが、同時に顔を見合わせ、一斉に笑い出していた。

煙草に火を点けくゆらせ、写真を指し村越が褒める。

「ほれ、見てみろ。この写真、よく撮れているじゃねえか」

「ああ、そうだな。二度目は二度目の良さがあったもんな。なんていうか、一度経験していると、時間に追われても、なんとなく余裕があったような気がしてよ。初めての時は、とにかく夢中だったからな。同じ景色でも受ける印象が違うし、まさしくこの写真の景観は前回に比べたら、よっぽど記憶に残っているぜ。それも鮮明によ」

阿部が追従した。

「そうか、それじゃ。来年行く八ヶ岳縦走も、三度目のよさが味わえるかも知れんな。今まで経験したことのない、三度目の新たなる発見を求めてよ」

佐久間が満足気に応えた。

「そんときゃ、村越。また有能なリードオフマンの役割を務めてくれるか?」

「おお、お前らのたっての頼みじゃ仕方ねえ。しかと勤めてやるぜ。その代わり状況の変化を嗅ぎ取りリードして行くから、言う通りに従えよ」

「ああ、分かった。頼むぜ!」

「ちょいっと待ちな、阿部さんよ。偉大なリードオフマン様に向かって、そんな言い方はないだろ」

「はい、はい、分かりました。宜しく頼みますよ」

「ううん、今の返事は上辺だけの感じだな。阿部君、そういう投げやりな態度じゃなくて、もっと、感謝する気持ちを込めなきゃ駄目だ」

「分かった、分かったよ。気持ちを込めりゃいいんだろ、込めればよ!」

阿部が開き直ると、互いの目に笑いが起きていた。

こよなく山を愛する男たちの話は、途切れることなく、この後限りなく続いていた。



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