ここまで来る間、経験しているとはいえ、緊張の連続だったことを思えば合点がいった。でも、気をつけなければならないのは、アイスバーン化した稜線の岩道であり、危険性は変わりないということだ。先頭に声をかける。

「村越、ちょっとペースが速いんじゃねえか?岩肌が怒ってるぞ。もう少し慎重に歩け。注意を怠るな!」

「おお、分かった。ゆっくり行くから安心しろ!」

振り向かず、足元を見ながら応え尋ねる。

「ところで、佐久間。今、何時だ。ここまで来たんだ。出来れば日没までには帰りてえよな」

すると、阿部が口を挟む。

「それは俺も同じだ。けど、緩んだ気持ちで歩くのは危険だぜ。下山には違いないが、決して危険度が低くなったわけではねえからな。気の緩みが、事故に繋がるんだ。だから、多少速くなるのは仕方ねえが、充分注意を払うのを忘れずに下山しようぜ」

「分かってるよ。分かっちゃいるがやめられねえ。って言うが、足が言うことを聞かねえんだ。でも、風雪がなくなった分、楽になったよな」

気分がいいのか、村越が洒落を交えて返した。

「たしかに風雪はないが、先頭の村越が早くなれば、おのずと俺らも合わせにゃならん。全員危険度が高くなる。ここまで来てジョウゴ沢や反対側の柳川北沢に落ちてみろ、怪我だけではすまん。水の冷たさに、心臓が止るかもしれんぞ。それこそ命を落とすことにもなりかねねえからな。それに、そんなことになれば、周りの仲間から笑い者だぜ」

佐久間がさらに吹いた。

「そりゃその通りだ。そんなことになったらたまらん」

阿部が頷いた。

「おお、分かった。ちょっと気が楽になり、早くなっていた。佐久間の言う通りだ。せっかくここまで来て、怪我や事故にあったんじゃ元も子もねえ。気をつけて下るよ」

すかさず歩く速度を落とし、

「まあ、時間通り行けば、午後五時前には着けるから焦ることもねえか」

ぼそっと付け加えた。

「その通りだ、村越。あと一時間も下れば、後は稜線から外れる。ほら、見ろよ。右側の柳川北沢の方へ滑落してみろ。滑り落ちる。と言うより、岩盤にぶつかり落下して行くことになる。それ程危険な岩肌ばかりだぜ」

「ううん、言われれば、その通りだ。ああ、くわばらくわばら。ここまで来て落っこちて、岩肌に叩き付けられて死にたくねえや」

沢を覗き込むように窺った。その途端、首をすくめる。

「ひやっ、なんだ、この絶壁みたいな岩稜は!」

一瞬たじろぐが、それでも気を取り直し、背中を丸め前方を伺い、村越がゆっくりと歩き出していた。

その後山男たちの会話は止り、黙々と稜線を下って行った。夫々が持つピッケルが岩肌を蹴る音と、登山靴に装着したアイゼンの雪氷を噛む音が交差し、さらに各自が吐く息音が交差しリズムよく木霊していた。そこには時折り、頂の稜線を仰ぎつつ緊張した面持ちで歩く姿があった。ただひたすら下山し歩を稼ぐ。くねくねした岩道を歩む。

やっと、ジョウゴ沢を渡る木橋へと辿り着いた。立ち止まり、村越が白い息を吐きつつ安堵する。

「おお、やっとここまで来たか」

それに反応する。

「さあ、ここまで来れば安全だ。これから先は楽に行けるぜ!」

声を弾ませ阿部が放った。

「そうだな。しかし、ちょっとばかり疲れたな。ここいら辺で小休止するか?」

これまた息を弾ませ、ピッケルを雪上に突き立て、背伸びし佐久間が問うた。

「そうだ、そうしようぜ。それにしても暗くなったな。尾根道にいる時は西日が当たっていたから、雪景色が綺麗だったけれど」

「ああ、そうだよな。硫黄辺りから見た阿弥陀岳が夕日に映えて、すごく綺麗だったじゃねえか。垣間見たけどよかったな」阿部が漏らすと、佐久間が悔しがる。

「そうだ、失敗した。写真を撮っておけばよかった。今頃言っても後の祭りだがよ」

「まあな、先へ進むことばかり気になっていたし、それどころじゃなかったというところか。ちょっと、悔しい気がするけど。今さら言ったところで、ここまで来ちまったんだ。こればかりは仕方ねえ」

阿部が唇を噛み締めた。すると、村越がからかう。

「阿部、お前、まだ元気なんだろ。悔しけりゃ硫黄まで引き返し、写真撮ってきてくれねえか?」

阿部がむっとし、

「おいおい、馬鹿言ってんじゃねえや。そんなこと出来るか!村越、お前は一体なんてこと言うんだ。俺だって、もうくたくただ。そんな体力残ってるかよ。それに、今から行って如何する。行ったところで、すでに陽が落ちて真っ暗になっているじゃねえか。夕日に映えた阿弥陀なんぞ撮れやしねえだろう。この阿呆!」

吠え目を吊り上げた。

「あはは・・・、冗談だよ。ただ、からかっただけだ。そう、怒るな。冗談だからよ。それにしても、お前の怒った顔を見ると、疲れがどっと出るぜ」

村越が手を振り宥めた。するとさらに返す。

「なにを言う。こっちこそ、お前の顔を見たら言いたくなるぜ」

「まあまあ、二人とも。じゃれ合ってんじゃねえよ。さあ、一服して鉱泉小屋まで行くぞ」

佐久間はウインドヤッケの中に手を突っ込み、胸ポケットから煙草を取り出した。

「あれ、あと一本しか残ってねえや。それに濡れちまっている。くそっ、気がつかなかったぜ!」

すると、

「大丈夫だ。俺が持っているから」

村越がヤッケから煙草を取り、二人に差し出した。

「俺のは大丈夫だ。さあ」

「おお、有り難う」

夫々一本づつ取る。

「ほら、火」

ライターの火を、村越が近づける。夫々が煙草を吸い、ゆっくりとくゆらす。白い息と煙草の煙が、各自の口から飛び出した。たなびく煙が、今来た稜線の方へと流れて行き、やがて消えた。

煙草をくゆらせ、阿部が目を細め見比べ感心する。

「それにしても、陽の当たっている山頂付近と、ここではかなり違うもんだな。見てみろよ、このコントラスト絶妙なバランスだぜ。暖と冷の対比というか。少なくなってはいるが、西陽の当たっている部分は、すごく暖かそうに見えるけど、ここのジョウゴ沢の景色は、まさしく厳寒の氷と雪の世界だ。いやに寒々しいじゃねえか。じつに面白い」

「たしかに、阿部の言う通りだ。俺らが今、いる場所は陽が陰っているし、時間も時間だしな。それこそ冷と静の溜まり場だ。それに引き換え、山の稜線は、暖と動が燃え立っている。まったく対照的な現象だぞ」

佐久間が夢見の如くのたまう。

「ううん、光と影か・・・。陽に照らされ輝いている雪山もいいが、こうして昼から夜に移る狭間の情景も、またおつなもんだ。まあ、この時だけの、ここでしか味わえんだろうからな」

それを聞き、山男らの感激声が飛び交った。

「それにしても、陽の落ちる頃というのは、まるで寂しいものだ。大同心の巨岩や横岳の山頂付近辺りだけ陽が射しているが、昼間の輝きとは全然違うな。なんとなく憂いを滲ませて、その輝きに勢いがないもんな」

締めくくるように阿部が、煙草の火を消しのたまった。

「そりゃ、そうだ。陽の出る時と沈む時では、まったく違うぜ!それはそれで、どちらも美景じゃないか。見ろよ、もうじき稜線の向こうに沈んで行く。その後は残照が一瞬輝いて、完全に夜の帳へと入って行くんだ。そう、昼間とは違って、まったく別の顔になるわけだ」

佐久間が感慨深気に言い促す。

「さあ、そろそろ出発するか。随分暗くなってきたぞ。閉ざされる前に鉱泉小屋に着きえしよ」

「そうだった。こんなところで感傷的になって眺めている場合じゃねえ。それじゃ、出発しようぜ」

村越が一つ身震いをし、先頭だって歩き始め、二人がその後に続いた。阿部がぼそっと呟く。

「しかし、疲れたな。この辺まで来ると風も来ないし、その点はいいが。雪が積もっているんで少々歩きずらいよ」

「そうなんだよ、俺もそう感じていたんだ。それに、疲れて足が棒のようになっちまっているからな」

村越が前方を見据えたまま応えた。

「それにしても暗くなったな。稜線の向こうに日が落ちると、こんなに早く暗くなるもんかな」

「そうだよな、随分早いな・・・」

阿部が前を歩く背中に向かい呟いた。

「だけど時間通り来てよかった。もともとハードスケジュールだったから、途中でもっと時間食ってたら、こんな暢気なこといってられなかったぞ。もし、今の時間で、硫黄の山頂辺りにいてみろ。三人とも疲れたなんて言ってられず真顔で焦り、歩いていたんじゃねえかと思うよ」

佐久間が回想すると、

「そりゃそうだ。山頂で夕日を見るということは、確実に夜の山道を下山しなければならないんだ。ヘッドランプで照らしながらだぜ。それも急激に温度が下がり、山道も凍りつくに違いない。そんなこと、考えただけでぞっとするよ。もし、焦ってロボット雨量計跡辺りで道に迷い天狗岳方向に行ってみろ、途中で気づき硫黄岳まで戻って、それから、今、来た山道をこなけりゃならなくなる。それも真っ暗な凍った岩道をだ。大変な時間のロスになり危険だぜ」

真顔で話す村越に同調し、阿部が後ろから続けた。なおも村越が唸る。

「それに、もし、疲労困憊して歩けなくなりゃ、ビバークだって視野に入れなきゃならんことだってある」

「そんなの用意していねえから。そんなことになったらえらいこっちゃ。それこそ夜を徹して、歩けなくなれば這ってでも小屋まで戻らにゃならんで。体力の続く限りな」

阿部が白い息を吐いた。

「とんでもねえ、俺はもう疲れきって限界だ。そんなことになったら、雪の中にもぐって凍死するしかねえよ」

村越が阿部の方をひょいっと見て冗談を吐いた。すると、阿部が同調する。

「俺だってそうだ。朝早くから縦走してきたんだ。もう、そんな力残ってねえ。こうやって歩いているのも、先が見えているから、気力を絞って歩いていられるけど。まあ、道を間違えずよかったぜ」

「そうだ、村越と心中しなけりゃならなくなるぞ」

最後尾から佐久間の笑いが飛んできた。

「本当だよな。そんなことになったら、全員遭難ということになり、発見されるまで氷付けになってよ。家族が予定通り帰ってこねえと大騒ぎになる。捜索願が出され、地元の山岳会や消防団の世話になり、見つけ出されて新聞に載るぜ」

阿部が大袈裟に吹いた。

「それも無謀な冬山登山とかなんとかの見出しで。阿呆面した三人の顔写真が載るんだ。しかし、そうならなくてよかったよな」

村越が相槌を打つ。

「まったくだ。冬山というのは、油断したり舐めてかかると本当に怖いところだからな。下山するまで気が抜けねえよ。今の話しだって、夏山だったら着の身着のままでビバークしたって、如何ということねえが。ところが冬山じゃ、そうはいかねえからよ」

佐久間がしみじみと吐く。

「それにしても、随分暗くなってきたな。村越、大丈夫か。道は間違っていねえだろうな。俺らは、お前の後を付いて行くだけなんだから。ここまで来て道に迷い、遭難っていうことになったひにゃたまらんぞ。鉱泉小屋近くで遺体発見、なんて言う目にあったら笑いもんだぜ」

冗談ぽく苦笑した。

「そりゃそうだ。村越、頼むぜ。そんな笑いものになりたくないんでな。お前が先頭を行くんだ。間違えないように慎重に導いてくれよ」

阿部が軽口を叩いた。すると、振り返らず大声で村越が調子こく。

「任せておけ。この際お前らの命を預かるぜ。この偉大な山男様がついているんだ。安心してついて来な!」

「はい、かしこまりました。なにとぞ良しなにお願い致します。私目は里に帰りますれば愛しい彼女が待っております。万が一、遭難でもしましたら、大変悲しみますゆえ、如何ぞ赤岳鉱泉小屋まで連れて行って下さいまし」

阿部が尻を振りおどけた。

「なにっ、彼女が待っているだと。それは聞き捨てならぬことを抜かしおる。お前に女がいるなど、今まで聞いたことがない。それはなにかの間違いではないのか。俺様が言うなら尤もとだが、阿部に彼女がいるなどというのは、にわかに信じ難いことぞ。その話し誠か、偽りではあるまいな?」

「いいえ、本当でございます。今まで誰にも話さず、隠しておりました。しかし、この際白状しておかねばと、申した訳でございます」

「さようか、信じられぬことだが・・・」

村越が冗談ぽく言葉を落とした。すると、しんがりの佐久間が、申し訳なさ気に首を突っ込む。

「先頭を行く村越様。じつを申しますと、私目にも好いた女子がおりまして、これが可愛ゆくて、愛しくてなりません。それ故、阿部と同様に、万が一、遭難ということになりますと、大いに悲しみます。如何ぞ道を間違えないよう、慎重にお歩き下さいませ」

「な、なんと。佐久間までもが、俺様に内緒にしておったか!」

「いいえ、決して内緒にしていたわけではございません。今まで話す機会がなかった故でございます。如何かその辺をお察し下さいませ」

「しかし、なんたることか。そちらのような不細工な男共に女がいるなんぞ、よもや信じられぬ。うぬぬ・・・、これは如何したもんか。それにしても、この美男子の俺様にいないということは・・・」

先頭を歩きながら、惚けぶつぶつと呟いた。

すると、聞き耳を立て阿部がおどける。

「あれ、お導き頂く村越殿。今、なんとおっしゃいましたか。ちょいと聞き取れなかったのですが?」

「いや、なにも言っておらん。単なる空耳だ。俺はなにも喋っておらんぞ!」

「いや、たしか。「俺様にはいない」とかなんとか、おっしゃっていたのではありませんか?」

「いいや、そんなことは言っておらん。ここにいないと言っただけだ!」

はぐらかされ漏らしたが、今度は開き直る。

「ここに連れていないだけで、東京へ戻れば女など四、五人はおるわ!」

鼻をつんと上げ見栄を張った。

「それは、それは、そうでしたか」

佐久間が後方からおちょくった。如何にも返事のしようがなく突っぱねる。

「うるせえ奴らだ。黙ってついて来い!」

「はいはい、かしこまりました。それでは後に付いて参りますが、それで宜しゅうございますか?」

阿部が、またはぐらかした。

「ええいっ、如何にでも好きにしてくれ!」

観念しほざいた。すると、立ち止まり顔を見合わせ、一斉に笑い出していた。すでに周りの景色は薄暗くなり、少なくなった残照と雪の明かりだけが足元を照らしていた。歩きながらの掛け合いもこれで終わった。ジョウゴ沢まで下山し、危険なところを通り過ぎてきたせいか、何時の間にか緊張が解れ、そのためか軽口が続いたが、三人の体力はすでに限界に近かった。

その後は疲れのせいか黙り歩いていた。そして、先頭の村越が薄明かりのなか、前方を見つつ、大きな声を放つ。

「おお、やっと着いたぞ。ほら、鉱泉小屋の赤い屋根が見えてきた!」

すると、二人が視線を上げる。

「あっ、本当だ。鉱泉小屋の屋根だ!」

阿部が歓喜の声を上げた。

「着いたな。やっと赤岳鉱泉小屋に帰って来られた!」

疲れきった顔の中から、緩む佐久間の笑みが零れた。彼らの重たい足は、ピッケルに支えられ歩いてきた。そして、前方に赤屋根を見つけるなり、どっと疲れが湧いていた。

「村越、あと一歩だ。早く行こうぜ!」

佐久間が、立ち止まる村越を促した。

「おお、さあ行くぞ!」

ピッケルを掲げ勢いよく歩き出した。阿部も、佐久間も続いた。積もった雪に足を取られるが、三人の山男たちのつけた足跡が、くっきりと存在を示すように残されていた。鉱泉小屋の横から少し離れた雪道を大きく迂回し、赤岳鉱泉小屋の前の小高い丘へと来た。やっと、辿り着いたといっていいほど、困憊した表情で歩みを止め、互いの顔を見やり、にこりと白い歯を見せる。

「やっと着いたな」

村越が感慨深気に告げた。

「ああ、着いた」

疲れ気味に阿部、そして佐久間も、力を使い果たした如く吐く。

「ああ、疲れた・・・」

すると同時に、

「着いた、着いた、やっと着いたぞ!」

村越がピッケルを雪に突き刺し、肩で息をし叫んだ。

佐久間が、立ち止まる阿部と村越を促す。

「さあ、鉱泉小屋が目と鼻の先だ。行こうぜ!」

「ああ、行こう」

二人が応じ、また歩き出した。小高い丘から一気に小屋の前へと着いていた。

「やっとゴールインだ。戻ってきたぞ!」

興奮気味に村越が叫んだ。

「おお、やっと帰ったな!」

ピッケルを掲げ阿部が応じた。

すると、佐久間が一息ついて、入口の照明に腕時計をかざし覗き込む。

「午後五時十分か。多少過ぎたが、ほぼ予定通りだ!」

二人に告げた。

「そうか、よかったな。それにしても、疲れたな」

阿部が心中を告げる。

「本当だ。結構きつかったよな。とにかく計画通り縦走出来てなnよりだ」

村越が背中を揺すって応えた。

「今日は朝早く出発し、阿弥陀から始め、主峰赤岳、横岳、そして硫黄と、丸一日かけ縦走してきた。疲れはしたが、なんとか無事に戻ってこられて。よかったじゃねえか」

阿部が安堵しつつ感想を述べた。

「まったくだ。俺だって今回は滑落することなく戻れて、皆に迷惑をかけずにすんだ。それにしてもしんどかったな。あの稜線での風雪には往生したぜ」

村越も草臥れ笑顔で応えた。

「そうだな、ともかく怪我もなく帰ってこられたんだ。そのことに俺らは感謝しないといけねえ」

阿部がアイゼンの爪に付いた雪を落としながら言った。使い切った体力の中で、佐久間も村越もアイゼンに付着した雪を落としていた。その仕草からは、成し遂げた達成感が漂っていた。

赤岳鉱泉小屋の入口には、すでに照明が灯されていた。照明といっても裸電球が輝いているだけだ。阿部がその明かりをついと垣間見て、考え深げに呟く。

「やっと着いたという感じだな・・・」

すると、引き寄せられるように、村越の視線が裸電球へと向かう。

「本当だ。なんだか、温かな感じがするぜ・・・」

物柔らかな言い方は、危険が去った安堵感そのものだ。試練の連続だった冬山縦走を完遂した裏返しなのかもしれない。温かな明かりを投げる裸電球の輝きが、乗り越えてきた三人の山男らを温かく迎えているようだった。

「さあ、内へ入ろうぜ!」

「おお」

村越が小さく頷いた。

「よっこらぜ」

窮屈そうに三人は肩から、ザックを下ろした。

「おお、急に身体が楽になったぞ。ああ、疲れた」

疲れ気味に村越が呟いた。佐久間も阿部も肩を揺らす。

「俺も同じだ。村越の言うようにザックの重さから開放され、身体が宙に浮いているようだぜ」

阿部が気持ちを告げた。

「まあ、とにかく着いたんだ。さあ、小屋に入ろう」

佐久間が促した。

ウインドヤッケに付いた雪を払い、凍りついた目出帽子を取り、上気した顔で入って行った。疲れきる顔に安堵した気持ちと、成し遂げたという充実感が満面に浮かんでいた。

大部屋に入る土間のかまちに、三人がどっかりと座り込む。ふうっと息を抜き肩の力を抜いた。なんとも言えない疲労感と達成感が彼らを包み込んでいた。そんな雰囲気を楽しむかのように視線を天井へと向ける。そして、ゆっくりと登山靴の上に履くロングスッパッツの紐を解き始めた。

佐久間は軽く土間の土をアイゼンで蹴ってみた。改めて土の温もりが、今日一日の厳しかった縦走登山の凍土に食い込む感触を呼び戻していた。





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