待ち時間
一
ラーメン店「喜らく」で、たらふく酒を飲み腹を満たしたあと、適度の酔いに浸り食後の煙草をくゆらせ、佐久間が嘯く。
「しかし、なんだよな。斉藤も考えようによっちゃ、いいこと言うな。「彼女とのデートを待つ時の心の時めきか・・・。「遅れてきてご免なさい」だと。それで抱き寄せキスをする」か。なるほど硬く考えなけりゃ、ずばりそんな気分かも知れん。俺には分かるような気もする」
すると、乗ってか村越が首をすくめる。
「たしかに、その時の気分を考えると似ている。でも、俺らには彼女なんか要らないんだ。山が恋人だからよ。女なんか作ってちゃらちゃらしてたら、山へ入ったとき腰がふらついて、とんだ仕打ちを喰らうぜ。おお、怖っ!」
すると阿部が突っかかる。
「村越、随分きざなこと言うな。そもそも、お前の言うことは矛盾しているぞ。そうだろう」
「えっ、なにが?」
「いいか、お前は何時も。俺らになんと言っている。ぜんぜん正反対なこと言っているだろ」
「まあ、それはそれ。そんなに硬く考えるな。話しの過程だ。臨機応変に物事は考えなければならん。斉藤との話しの経緯から、そう言ったまでだ」
「しかし、お前の頭はどんな風になっているのかね。ころころ変わって矛盾ばかりで、一度かち割って調べてみてえもんだ」
「まあ、まあ。そうカリカリすんな阿部さんよ。山の天気の話に戻そうよ」
「ああ、そうだった。さっき話していたんだ。お前が余計な話しをするから逸れたんじゃねえか。彼女が如何たらこうたら話している場合じゃねえ。そうだよ。山の天気は急に変わる。臨機応変で、且つ、沈着冷静な行動をしなけりゃとんだ目に合う。現に俺らだって、今までに危ない目に何度もあったしな」
真剣な眼差しで、阿部が語気を強めた。すると村越が反論する。
「なに勘違いしている。俺の言っているのは、そのことではない。自然を甘く見てはしっぺ返しを食うということを、彼女は要らないと例えた心算だ。だから、お前の言っている通りだ」
「いいや、違うな」
阿部が首を振った。すると村越が剥きになる。
「じゃあ、なにが矛盾している。俺の言っていることのどこに違いがある。あったら言ってみろよ!」
「村越、根本的なところで間違っているぞ。大体だな、格好付け過ぎなんだよ。何が彼女なんかは要らねえだと、とんだ言い草だぜ。女なんか作らないだと、阿呆なこと抜かせ。元々お前に彼女なんかいねえくせによ。山が恋人だから必要ないだと、どこのどいつだったけな。ついこの前まで溜息ついて、如何して俺って、もてねえんだろうと嘆いていたのはよ。
そうだろ、彼女なんかいなねえくせに。何時も俺らに自慢話をしていたんじゃなかったけかな。それが如何だ、村越?」
「あいや、それは・・・」
「それに、「たまには可愛い子とデートしてえよ」とも愚痴っていたな」
「ええっ、なんだよ。それとこれとは別だぞ。今、そんな話をしてるわけじゃない。もののたとえだ。それほど山に入れ込んでいることを伝えたくて、言ったまでだ。なんでそんな俺の話を持ち出すんだよ。まったく」
「まったくもないもんだ。お前の容姿を見てみろ。こ汚ねえ格好し、ビブラムの登山靴はいて、がさついているようじゃもてるわけねえだろう。女の子というのは、小奇麗にしている奴じゃなければ好まないのさ。まあ、俺みたいにな」
「おや、なにを抜かす?自分こそ鏡を覗いてみろ。同じ格好をしているくせに。よく言うよ」
互いに貶し合っているところを、佐久間が仲裁する。
「まあまあ、二人とも自分の容姿を棚に上げて、言いたい放題暴言を吐いているんじゃないぜ。いずれにしても、こ汚ねえ格好をして、こんなところでとぐろ巻いているようじゃ、どっちもどっちだ。まあ、最終的に彼女とのデートは諦めて、寛大な山を愛するしかなさそうだ。互いにもてねえんだから仕方ねえだろう。それしかよ」
二人を見ながら諌めると、村越が憮然とした顔で、佐久間に言いがかる。
「なに言いやがる。そう言うお前だって、俺らと同じだろ!」
すると互いが顔を見合わせ、一斉に笑い出していた。そして阿部が鬱ろぐ。
「しかしよ。如何して俺らって、もてねえんだろうな。こんな格好はしているが、気持ちは素直だ。それに、これから厳冬の八ヶ岳に入るんだぜ。そこら辺で、ちゃらちゃらしている奴らとは違うんだ。
一本筋の入った男じゃなければ、こんなこと出来ねえぞ。本当、命がけだぜ。最近の女の子はそう言う芯の強い、たくましい男を見る目がないのかな。そう思うだろ、村越。違うか。違わねえだろ!」
村越が応じる。
「まさしく、お前の言う通りだ。俺らほどしっかりした男はいないと思うが。厳しい自然に果敢にチャレンジする、力強く勇ましい山男だ。もてねえわけねえんだが。それに今回の山行だって、随分綿密に打ち合わせをし、ルートの検討にしたって細微に入りチェックして、リスクを最小限に抑え、安全を第一に考えたスケジュールだぜ。それこそ命がかかるから真剣そのものだ。そんな芯の強い勇敢な男を放っておくこと自体、若い女の子は見る目がねえんだ」
「おお、それは言えるぜ!」と、佐久間が賛同しのたまう。
「多少小汚い格好をしているのは大目に見てもらい、この真の雄姿を見てもらいたいね。危険を最小限に抑えるべく、何度打ち合わせをしたことか。食料や燃料にしても、それに装備だって、万が一のことを考慮し余分に確保した心算だ。行程表も分単位で決めてるぞ。
そうだな、夏山と違って冬山は一歩間違えれば危険と表裏だ。それを軽んじれば、死を覚悟しなければならない。それほど危険があると言うことだ。それ故慎重を期し取り組んでいる。
まあ、女の子が俺たちに好意を寄せるか如何かは別にしても、スポーツとして楽しむには、また、あるいは自然の雄大さを満喫する場合も、努力する忍耐を持ち取り組むこの冬山登山は、他のスポーツと違って命がけであることを忘れてはいけない。それこそ、厳しい大自然に立ち向かう強い勇気と全神経を張り巡らす真剣さが要求される。
それに疲れたからとて、途中で休んだり放棄することは出来ないんだ。一度入山すれば、最後までやり抜くことが絶対条件だ。途中で投げ出せば命に係る!」
長々と力説した。相槌を打ち村越が吠える。
「そりゃそうだ!アイゼンを装着しアイスバーンの稜線で、疲れたとか嫌になったからといって歩くのを放棄することは出来ない。急激な気象の変化で天候が悪化したからと、途中で止めることも出来ないのだ。前進を諦め引き返すか、あるいは岩陰にビバークし天候が回復するのを待つか、それとも強行突破するかの判断が生死を分けることすらある。沈着冷静な行動が求められるが故、常に研ぎ澄まされた神経を持ち続けなければならないんだ。
そのことから言えば、俺らと違った生き方をしている若者たちがスマートな格好をし、薄っぺらい人生を過ごしているのと違って、真っ直ぐな気持ちでひとつのことに取り組んでいる生き様の方が魅力的だと思うがな。強い精神力と深い心を持ち、今、我らが立ち向おうとしているのは、これから果敢に攻めようとしている八ヶ岳への冬山登山ということになるがよ」
熱弁も少し間を置く。
「まあ、言ったらきりないが、それほど過酷な対応を求められる俺らだ。従って人間的には鍛えられていると思うんだよな。こんな生き様は格好良いだろ。そのところを、女の子は分からねえかな。見てくれだけで判断されたんじゃ、たまらねえよ」
すると佐久間が乗りまくる。
「そうだ、それによ。自然条件が厳しいほど、その美しさはなんとも言えない感動を与えてくれるんだぜ。そうだろう。冬山の美しさ、見る者に投げかけるこの感激を、一度味わったら忘れられない。「素晴らしい!」の一言に尽きるし、心の襞に焼き映すほど感動的なものだ。岩稜の山肌と冠雪のコントラスト。そこに朝日が昇り、照らし始めた時の眩さ。言葉にいい表せないくらい良いものだ」
回想するように、今まで何度か入山した厳冬期の冬山の景観を瞼の裏に思い浮かべ、佐久間は目を細めていた。すると、隣で聞く阿部が同調する。
「そうだよな、あんときゃ、なんともいえない感動を目に焼きつけた。たしかに、朝方の冷え込んだ時に昇る朝日の煌めき、その陽射しが凍りついた岩稜に射し、きらきらと輝き始める。その美しさと言ったら、本当に言葉に表せないほどだ。まるで極楽浄土のようだぜ」
佐久間の絶賛に合わせ、あり日の感動を思い起こしていた。
「本当かよ。でもよ、阿部。お前、その極楽浄土とやらに行ったことがあるのかい?」
「馬鹿、ものの例えだ。俺はまだ死んじゃいねえや!」
感激に浸る阿部に、村越が茶々を入れた。
「そうだよ。今日、また、その素晴らしい感動に会いに行くために、こうして新宿駅へ来てるんじゃねえか!」
阿部が真顔で反論した。すると村越が夢心地に漏らす。
「そうだ、また味わえるんだ。楽しみだな、早く八ヶ岳連峰の懐の赤岳鉱泉小屋へと行きたいよ。そうすれば、こよなく愛する大同心や小同心と会えるじゃないか。あの雪を被った針葉樹林の上にそびえる凛々しい雄姿を拝めるぜ。なんだか、思い出すと胸がわくわくしてきたぞ。いたたまれない気持ちになるな。妙に足が疼くぜ」
そして、みょうちくりんな顔をし、
「ううん、待てよ・・・。こんな気持ちが・・・。そうか、こういう気持ちなんだ。ああ、これこそ俺が求めていたものなんだ。如何か俺のためにも明日からの山行、いい天気でありますように。如何ぞ神様、仏様、私の願いを叶えてちょうだい」
小声で祈った。その仕草をみて、阿部が伺う。
「おい、村越。なにを独り言いってるんだ。そのにやけた顔、なにを連想している。俺らに話してみろよ!」
すると、思わせぶりに応える。
「ああ、話してもいいが、まあ、お前らにはこの気持ち分からねえだろうな。だいいち、俺みたいに繊細で、慈悲深さを持ち合わせないお前らみてえな朴念人には理解出来んだろうが、それでいいなら話してもいいぞ、聞くか?」
すると、佐久間が見下げ毒ずく。
「言ったな、お前にそう言われる程俺らは鈍感な人間じゃないぜ。如何せ、村越の考えていることなど、ろくでもねえことだろうから。まあ、聞かなくても、大方見当尽くしよ」
「ああ、言ったな。佐久間、お前みたいな堅物に、俺のような才能豊かな発想なんか微塵も浮かばんだろうが!」
「よく言うよ、村越。そうかい、それじゃ。お前の頭の中に描いているものを、ずばり当ててやろうか?」
「おお、上等じゃねえか。それじゃ、答えてもらおうか!」
「おお、そこまで言うか!それじゃ、言わせてもらうぞ。たしかに、冬山で朝日が昇る前の静寂さと、針葉樹林に架かるマリンブルーのような雪模様。その上に黒々とした岩稜の頂。その凍りついた岩肌に朝日が射しし始めると、一瞬にして景色が激変するんだ。木々を覆いつくし青白く沈殿していた氷雪模様が、淡いピンク色になるやいなや真っ白に輝き出す。それに連れて黒ずんでいた峰々が、輝きを受けて雪の粉を舞い上げきらきらと輝き出す。それこそ、なんとも言えねえ美しさだぜ・・・」
「おい、おい、佐久間。聞いていれば、何を言い出すかと思えば、状況説明かよ。そんなの、さっき俺が言ったことじゃねえか。それが答えと言うなら、まったくお門違いだぜ」
「あいや待て、村越。まだ先がある。今のは前奏だ。それで、それによって静寂の中で、光のハーモニーが天地を揺るがし、万巻迫るが如く飛び込んでくる魅惑の美しさ。なににも変え難い感動を与えてくれる。そうさ、胸振るえ、さらに時めきへと己が気持ちを包み込んで行く・・・・」
「ああ、佐久間。そうだが・・・・」
村越の反応を見て、さらに続ける。
「それはまさしく、その時の気持ちは恋人との出逢いと同じであり、手を握り合い口づけを交わした時と同じ状況となる。ああ、なんとも言えない、甘い香り。感動というか、愛しさが増して、さらに彼女を引き寄せ強く抱き締めたくなる。
・・・というか。まあ、そんなところじゃねえか、村越!」
「・・・・」
ぽかんとする様を見ながら、平然と断言する。
「なに、口を開けてぽかんとしているんだ。俺の喋ったこと、図星だろう!」
すると曖昧な返事になる。
「ううん、まあな・・・・」
「ほら、お前の考えそうなことだ。この助平野郎!」
「な、なんと言うか。た、たしかに佐久間の言う通りだ。けどよ、甘い香りがしてとか口づけをし抱き締めたくなると言うのは、ちょっと大袈裟じゃないか。そこまで考えていなかったぞ」
少々面食らい続ける。
「恋人との出逢いくらいじゃないか。冬山での、あの素晴らしい情景に胸震わせるのはよ。彼女を抱いて口づけをするなんて、そこまで進めちまうんだから」
村越が照れ、
「それを、佐久間。お前は大袈裟に誇張するから。参っちまうよ」
「ああ、お前のこった。発情期の野良犬のように、妄想にでも取りつかれて見さかえなく抱きつきたくなるんじゃねえかと思ってな。それで、言ったまでだ」
「馬鹿野郎、そこまでやるか!」
村越がやけ気味に返し、さらに、
「待てよ。そこまで言うのは、そうか、佐久間。分かったぞ。それに間違いない。お前、自分の助平べえな気持ちを俺に例えて、欲している願望を言ってんじゃねえか。危なく、この俺が誤解されるところだったぜ!」
佐久間を見て、懐疑的に疑問を呈した。すると、呆れ顔で突き放す。
「阿呆、ぬかせ!お前みたいに女に飢えていねえわ。一緒にされては、とんだ迷惑だ。間違っても同じように考えないでくれ!」
「いいや、そんなことはねえ。俺の見たところ、お前だって、これのこと考えているくせによ」
小指を立てた。そしてさらに、追い討ちをかける。
「佐久間、正直に話せよ。そう思っているんだろ?」
「あははは・・・。ばれたら仕方ねえ。俺なんかお前らと違って、女にもてるからよ。女の方が放っておかえんだよ。もてる男は辛いやな」
佐久間がしゃあしゃあと開き直った。村越が反論する。
「なにを馬鹿なこと言っている。ふざけるのも大概にしておけ。それじゃないと、浮いた気持ちで山に入ったひにゃ、ろくなことねえからな。お前一人で死ぬ分にや迷惑はかからんが、俺まで巻き添いにされたらとんだ災難だからよ」
佐久間が応じる。
「おいおい、そこまで言うか。女の話は冗談だよ。俺らみたいに汚ねえ格好した山男を好きになる女がどこにいる。そんな女がいたら会ってみてえ。そうだな。たしかに薄汚れた格好している俺らに、好意を持つ女などいるわけねえ。むしろ、動物園の猿のように興味を持たれることがあってもな」
「そうだ、その通りだ」
村越が返した。すると、そこで聞き及ぶ阿部が窘める。
「村越、そんなところで同調する奴がいるか!」と言いつつ、
「お前ら。吸うか?」
胸ポケットから煙草を取り出し、二人に勧めた。
「おお、悪いな。一服頂戴するか!」
ライターで火を点けさせ、さらに自分の煙草に火を点けて深く吸い込み、三人が一斉にくゆらせる。取り止めのない話しが、山行の話と合わせて長々と続き、まるで、立て板に水を流すが如く弾んでいた。
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