第2話
僕らは互いの体に触れている間だけお互いの感覚が入れ替わっているようだった。僕の世界からは音が消え、彼女の世界に音があるようになった。それは新鮮な感覚だった。音のない静寂は僕がずっとあこがれていたものだった。人が動いているのに、足音も息もしない。服の擦れ合う音も、風の音も、電車のアナウンスもない。
昔見たサイレント映画のようだった。
僕らはどちらともなく手をつないだ。そのままCDショップに向かった。
「かわいそうって思っている?」
「まさか。君はそう思うの?」
「まさか」
「だよね」
僕らはふふっと笑った。大人は言う。僕らは失って生まれてかわいそうだ、と。それは魚に向かって足がなくて可哀そうだねというようなものだ。だけど僕の親も含めて大人はそれを理解しない。だって大人は持っているから。
CDショップは静かだった。いつもなら店の前すら通れない場所に僕は生まれて初めて足を踏み入れた。彼女は物珍しそうに周りを見ていた。
「行こうか」
音がしないのを確かめると彼女は僕の手を引いた。
彼女と手を繋いでいれば僕は無敵な気がした。
彼女と手を繋いでいれば、スクランブル交差点だって、満員電車だって、どんな人ごみだって平気だった。迷子にならないように手をつないでいる仲のいいカップル。きっと周りにはそう見えただろう。
「私ね、ずっと想像していたの。皆の世界はどんな音がするのだろうって。でもびっくりしちゃった。戸が開くときも、全部のものに音があるのね。わけのわからない音もあってびっくりしちゃったもの」
嬉しそうに笑う彼女に、僕はたぶん恋をした。
その日一日、僕らはずっと手を繋いでいた。
音がない世界にいる彼女。音のあふれる世界にいる僕。対極にいる僕ら。彼女と手をつなぐと僕には静寂が、彼女には音がおとずれた。
夕方、彼女の手を放す。
押し寄せる音に目まいがした。
「どうしたの?たちくらみ?」
「いや」
彼女は何も感じていないようだった。
「音が急に聞こえだして驚いただけ」
「確かに私も急に静かになったわ」
静かってこういうことをいうのねと笑いながら、それを試すように彼女は僕の手をつかんだり放したりを繰り返した。そのたびに訪れる音と静寂は、不快だった。
「ごめん、少し気分悪い」
「大丈夫?体調が悪いって気付かなくて」
「違う。音があふれているのが当たり前だったから、交互にくると慣れないだけだ」
不快感よりも、静寂への渇望が勝った。僕は彼女の手を握った。
「また会える?」
「そうね」
彼女が差し出したスマホに僕は生まれて初めて、生まれてよかったと思った。
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