⑵理解者

 大慌てで和輝が帰って来るというので、擦れ違いも困るだろうと、場所を提供する。


 幼馴染だという白崎匠は固辞したが、霖雨が招き入れた。あの破天荒なヒーローの幼馴染だという青年に興味があったのだ。和輝と同い年だというから、霖雨にとっては彼も年下だ。落ち着いた物腰に思わず感心してしまう。


 白崎匠は借りられて来た猫のように所在無さげにソファの隅へ座っている。緊張しているのか、警戒を解かない。そういうところが和輝とはまるで違う。


 和輝のマグカップを勝手に使い、麦茶を差し出す。申し訳無さそうにそれを受け取り、麦茶を啜った。猫のような目を丸くして、白崎匠は言った。




「俺が送った麦茶だ」

「ああ、そうなんですか?」




 和輝は毎日のように麦茶を作る。冷蔵庫は常に冷えた麦茶が常備されているので、日本にいた時もそうだったのだろうと思っていた。もしかしたら、和輝も幼馴染が送ってくれるその味を懐かしんでいるのかも知れない。


 麦茶の味なんて霖雨には正直違いが解らないが、安心したらしい青年が肩を落とした。




「和輝、迷惑掛けてませんか。あいつ、鬱陶しいでしょ。余計なお節介焼いてませんか」




 邪魔だったら、はっきり言ってやって下さいね。

 そんなことを言って、白崎匠が笑った。生真面目そうな彼に見合わない、何処となく幼い笑顔だった。そして、それは和輝とよく似ていた。




「色々とトラブルに巻き込んだり、巻き込まれたりしているけど、邪魔ではないよ。お節介はよく焼いているけど、そういう人間がいても良いんじゃないかって、思う」




 少なくとも、霖雨や葵にとって、和輝はヒーローだった。

 言えば、白崎匠が苦い顔をした。




「それだけなら、良いんですけどね」




 意味深な言葉は、チャイムの音に掻き消された。


 此方が開けることも待てないらしく、チャイムを押した癖に和輝は鍵を開けて、転がるようにリビングへやって来た。すっかり動転しているらしく、息を切らせている。それでも左手に下げた白い箱を大切に持っているのが、何故だか可笑しかった。


 和輝は真ん丸の瞳に白崎匠を映し、声を上げた。




「――匠!」

「うるせーな。何やってんだよ、馬鹿」




 罵倒しながらも、白崎匠は嬉しそうだった。和輝も嬉しさを隠し切れないようで、慌ただしくソファに座った。


 頬を伝う汗を拭い、和輝が言った。




「吃驚したよ! 何で、お前が此方にいるんだよ!」

「家まで迎えに行くって言っただろ」

「彼氏か!」

「気色悪いこと言うな!」




 ぽんぽんと軽口を叩き合う二人は、仲が良いのだと思った。霖雨は和輝にも麦茶を差し出す。


 和輝は麦茶を一気に飲み干して、再度、白崎匠へ向き直った。




「ああもう、俺、今日帰るって皆に言っちまったよ」

「大丈夫だ。皆はお前が日付を間違えていること、解ってるから」

「俺だけかよ、もう!」




 言いながら、和輝は嬉しそうだ。普段も和輝は楽しそうに生きているけれど、あれが100%素かと言えばそうではないのだろう。目の前ですっかり気を許している和輝を見ると、そう思う。




「何で迎えに来るんだよ!」

「お前が一人で空港に行くとか、不安しか無いよ」

「信用無いな」

「無いよ。方向音痴だろ、お前」




 そうなのか。

 横で聞きながら、霖雨は驚く。

 和輝がそれを匂わせたことは一度も無い。それよりも、空間把握能力の異常な高さに驚かされる日々だった。




「病院、辞めたって?」

「辞めたくて辞めた訳じゃない。閉鎖になったから、自動的に解雇されただけだ」

「ちゃんと働いてんのか? 今、何してんの?」

「駅前の喫茶店でアルバイトしてる」




 駅前の喫茶店?

 霖雨の知らない情報だ。つい先日まで、駅で車両整備士の見習いをしていた筈なのに。


 会話に入らなくとも、和輝は自分から情報をぼろぼろと零す。恐らく、目の前にいる幼馴染に、ずっと聞いて欲しかったのだろう。




「まあ、辞めて良かったよ。あんまり良い職場じゃなかっただろ」

「まあね」

「この前まで、駅で働いてるって言ってなかったか?」

「上司が変態で、正当防衛で殴ったらクビになった」

「わはは、良い気味だ」




 大口を開けて、白崎匠が笑った。

 正反対に見える二人だが、仲が良いことは傍目にも解る。




「匠は今、何やってんの?」

「大学行ってるよ、お前と違って真面目にね。駅前のコンビニでアルバイトしてる」

「うわああ、日本にいたら毎日そのコンビニ通ったのに!」

「何でだよ。邪魔すんじゃねーよ。真面目にやってんだよ」

「匠、笑顔で接客とか出来るの? お前の営業スマイル怖いもんな」

「殴られてーのか」




 今度は和輝が笑った。


 二人の会話はきっと途切れないのだろう。霖雨がぼんやりと微笑ましく見ていると、はっとしたように和輝が振り向いた。幼馴染と話し足りないけれど、霖雨を放っておくことも出来ない。そんな思考が手に取るように解って、霖雨は苦笑した。




「仲、良いんだねえ」

「高校生の頃には、デキてるんじゃないかって専ら噂されてました」

「ああ、成程……」




 白崎匠の力無い言葉に、霖雨も納得してしまう。この二人は、ちょっと他人が介入することを躊躇してしまいそうに仲が良い。


 霖雨はふと、ソファに置かれた白い箱に気付く。恐らく、中身はケーキだ。初夏の日差しに晒したのだから、溶ける前に腐っていないか心配だ。霖雨の視線に気付いたらしく、和輝が慌てて箱を抱え冷蔵庫へ走った。その様は事情を知らない人間から見れば理解不能のものだろうに、白崎匠はさして驚いた風も無い。




「今年は何のケーキ作ったんだよ」

「デコレーションケーキ」

「好きだねえ」




 呆れたように、白崎匠が言った。キッチンの対面式カウンターの向こうで、和輝が笑っている。




「溶けて無かった。良かった」

「お前が作ったのなら、ちょっとくらい溶けたって、別に良いけどな」

「俺が嫌なんだよ。折角、作ったんだから」

「はいはい」




 霖雨は黙った。

 この二人がデキてるという噂の流れた高校生活が、目に浮かぶようだ。何というか、距離も近いが、付き合いの長い彼氏彼女のようだ。


 ケーキを冷蔵庫へしまい、一安心したらしい和輝がソファへ戻って来る。




「今日、泊まって行くだろ?」

「いや、ホテル予約してる」

「何でだよ!」

「他人とルームシェアしてんだろ。知らない人間がいたら、不快に思う人だっている」

「じゃあ、俺が匠のホテルに行く」

「はあ? それこそ何でだよ」




 駄々っ子のような和輝も珍しいが、霖雨は頭が痛かった。この二人が血の繋がった兄弟ならば、未だ納得出来た。


 霖雨は頭痛を堪えるように蟀谷を押さえながら言う。




「俺は別に泊まっても気にしないよ」

「ほら!」

「ほら、じゃねーよ。ええと、常盤さん? 気を使わないで下さい。甘やかすと調子に乗りますよ、この馬鹿」




 霖雨は笑った。




「俺は構わないよ。何だか、楽しそうな和輝を見ているのは、俺も嬉しいから」




 其処で、白崎匠の目が据わった。何かまずいことを言っただろうかと、霖雨は身を固くする。


 その様子を気にしていないのか、気付いていないのか。

 和輝は腕を組みながら言った。




「問題は葵だよな。どうやって言いくるめようかな」




 そうだ。最大の難関が残っているのだ。

 霖雨は身構えた。









 10.閑話

 ⑵理解者









 赤の他人を家に上げるなと、怒鳴られるくらいの覚悟はしていた筈だ。


 葵は帰宅してすぐに靴が一つ多いことに気付いたらしく、ソファに座る白崎匠を見ても驚かなかった。




「こんにちは」

「こんにちは」




 葵は無表情にそれだけを言った。そのままキッチンへ滑り込み、換気扇の下を陣取る。昨日のような苛立った様子は無い。それよりも、帰国した筈の和輝がいることにも何の驚きも見せないのが意外だった。


 霖雨が茶化すように、和輝の勘違いを告げると、葵は皮肉っぽく笑った。




「随分と人間らしいミスをするんだな」

「人間だもの」

「そうかなあ」




 霖雨は笑った。葵は煙草に火を点けると、白崎匠を見た。




「泊まって行くんでしょ?」

「はあ、良いんスか」

「どうせ、其処の馬鹿が駄々を捏ねたんでしょ。仕方無いから、良いよ」

「そりゃ、どうも」




 釈然としない様子ながら、白崎匠は頭を下げた。体育会系なのだろうと、霖雨は思った。

 和輝はまるでこれから喧嘩でもするように腕の柔軟をする。




「今日はご馳走だな。腕が鳴るぜ」

「どうせ、手巻き寿司だろ」




 白崎匠が、何を根拠にしているのか言った。

 和輝が驚いたように目を丸くする。それを怪訝そうに見て、なんだよ、と彼が唸る。




「お前がそういう顔してる時って、大体手巻き寿司じゃん」

「まあ、そうなんだけど」




 口元をむずむずさせながら、和輝が肯定を示す。


 この二人の間に介入出来る女子なんて、本当に存在するのだろうか。


 キッチンへ入って行く和輝を見遣りながら、霖雨は言った。




「よく知ってるね」

「はあ、まあ、付き合いも長いので」

「それにしても、すごいね」




 双子の兄を持つ霖雨にも、相手の表情から行動を予測することは出来ない。彼等はまるでテレパシーを持っているようで不思議だった。


 けれど、白崎匠はまるで何でもないことのように言う。



「あいつ、解り易いですから」




 そうかなあ。

 霖雨は思う。


 和輝は単純そうに見えるけど、行動が予測不能だ。意外に見えるが理性的で、論理的でもある。幼馴染から見ると、そうではないのだろうか。




「高校時代の話でも、聞かせて欲しいな。甲子園優勝したんだって?」

「ああ、殆どマグレみたいなもんですけどね」

「そうなの? でも、和輝って凄い選手だったらしいじゃん」

「うーん。所謂、天才ではないですよ」




 キッチンでは、件の和輝がせっせと夕飯の支度を始めている。煙草を吹かす葵を邪魔そうにしながら、大量の白米を研いでいる。


 白崎匠は麦茶を啜りながら言う。




「環境は常に逆境でしたしね。あの状況で優勝したのが、正直なところ、夢みたいなもんです」

「そうなのか……」

「あー、でも、あいつの兄貴は本物の天才でしたよ。天才が努力していないって意味じゃなくて、一目で次元が違うって解る感じの天才です」




 和輝の兄は、今はメジャーリーグで活躍している。そんな彼の兄も、霖雨と比べると年下だ。


 のらりくらりと日々を生きているけれど、和輝の周囲は目標を持って突き進んでいる人が余りに多い。自分はこれで良いのだろうかと頭を抱えたくなる。




「そのスポーツの天才では無いけど、集中力はすごいですよ。多分、馬鹿だから一つのこと始めたら他のこと考えられなくなるんじゃないですかね」




 何でも無いように、白崎匠が言う。




「やると決めたら、最後までやり通します。あいつ、スポーツドクター目指すなんて言ってましたけど、迷ってんでしょうね。色々トラブル巻き込んだり、巻き込まれたりしてるってさっき言ってたじゃないですか。多分、人を救いたいんでしょうね」




 酷く冷めた目で語るのが、霖雨には意外だった。


 和輝のことなどお見通しだと言っているようで、何でも解ってしまうことに諦観しているようでもあった。




「俺としては、さっさと帰国して、無難に大学通って、ホワイト企業に就職して欲しいところなんですけどね」

「保護者みたいなことを言うね」

「うーん。昔から、そうでしたからね。医者になるなんて言ったら、どんな手を使っても止めますけど」

「何で?」

「だって、公私分別出来ないでしょ、あいつ」




 ああ、そうだろうな。

 霖雨は、幼馴染だという白崎匠の言葉に酷く納得する。

 公私分別。

 きっと、和輝には出来ないだろう。仕事だからと割り切れる程、彼は賢くない。




「はあ、如何しようもないな、あいつ」




 面倒臭そうに、白崎匠が吐き捨てる。

 キッチンでは、米を研ぎ終えた和輝が、葵と何か下らない言い争いをしていた。

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