第三十五話 万能の粒子


 少年らを乗せた車は途中で乗り捨てられた。


 気絶したままの拓磨たくま古賀こがが背負って別の車に乗り換える事になり、後ろ手に縛られていた拘束を解かれたのは幸いだったが、しばし聞こえていたパトカーのサイレンは聞こえなくなり、車の交換でより追跡が難しくなりそうなのが懸念だった。


 隣の座席でぐったりしている後輩の事は心配だったが、以前別人のようになったあの時の「誰か」が再び拓磨たくまの上に現れるのではという期待もしてしまう。

 あの日の儚くも繊細で不思議な雰囲気は、古賀こがの中の「守ってやりたい」という気持ちを鼓舞した。それがどういう感情なのか説明ができない事が気になっていて、もう一度が出てくればその答えがわかるのではないかと。


 移動は数時間にわたり、当初は拓磨を守るように男たちをにらみつけ続けていた加賀見かがみも、だいぶ疲労の色が見える。


愛梨あいり、少し休んだ方がいい。目的地は遠いみたいだし、気を張ったままだと疲れるだろう」

「だからなんでセンパイが呼び捨てなのよ……!」


 思いっきり顔を歪ませて嫌そうな顔をしたが、それですら美しい。整った目鼻の形や配置というだけでなく、弾けるような若さと生気が彼女をより輝かせているようだ。だがこんな美少女なのに、自分が恋に落ちるような事は全くイメージできなかった。だが拓磨たくまとの仲を応援したいかというとそうでもないという。


 加賀見かがみ拓磨たくまにもたれてウトウトしはじめ、古賀こがもさすがに疲れが出て来た頃、やっと車が停まった。

 ドアが開いた音に、三人は驚いたようにパチリと目を開けた。拓磨たくまに至っては、一瞬自分がどういう状況にあるのか把握できないようで、きょろきょろと周囲を見回し、古賀こが加賀見かがみと黒服の男らを見て、何があったのか思い出したようだ。


 車を降りれば土埃の舞う舗装されていない広場で、工場のような形状の体育館ぐらいの大きさの建造物の前。

 まだ真新しい外壁に、窓が一切ない箱のような建物に不釣り合いな立派な両開きの鉄のドア。男二人がかりで重々しく開き、三人は寄り添うようにして中に入る事になってしまった。錠が降りる音が背後からしたが、拓磨たくまが振り向こうとすると黒服の音に銃の底でこつかれ見る事はかなわなかった。


「オマエハ、コッチ」

愛梨あいりちゃん……!」

拓磨たくま君……!」


 少女は腕を取られ、少年二人から引き離される。泣きそうな彼女に手を伸ばすが、古賀こがに静止された。


「こらえろ大磯おおいそ。彼女に対してはあいつらは気を使っていた。怪我をさせるような事はないと思う」

「でも……」

「おまえはいつ撃ち殺されるかわからないんだぞ」


 声を潜め、強くそう言われてしまえば、ここで何かをして相手から致命的な攻撃を受ける事になるを察してしまう。あいつらは引き金を引く事に一切のためらいがなかった。自分の代わりに犠牲になってしまった打掛の事も思い出し、ぎゅっと自分で自分を抱きしめる。

 弱弱しい様子の小柄な少年に、黒服達は訝し気な視線を送って来る。言葉はわからないが「本当にバーサーカーなのか?」というような事を言ってるように古賀こがには思えた。拓磨たくまが弱く見えるなら、そう見せておきたい。

 体格が違い過ぎ、自分がバーサーカーのふりをして身代わりになれないのが残念だ。ただ自分も、あくまでオマケ的に連れてこられただけで利用価値は一切ない。拓磨たくまと同じく自分もいつ撃たれてもおかしくない事は、喉の渇きを加速させ、ねばついた唾を更に飲み下しにくくした。


 今は大人しくしてチャンスをうかがうのが自分に出来る精一杯だった。


* * *


 加賀見かがみは二人と引き離された心細さはありつつも、相手が自分に遠慮をしている様子が見て取れたのでいくらか冷静でいられた。


 建物内は突貫で作られたように、シンプルで飾り気のない白い壁と天井、学校の廊下のような材質で灰色の床、いくつかの扉が途中にあるが安物のプレハブによくある銀色のものだ。

 単調な構造なだけに、これといって特徴がないためいまいち覚えにくい。彼らと引き離されてからいくつの扉を横切ったのか、数え損ねたのが悔やまれる。ただ、階段はなく、平坦なのがありがたかった。


 そんな感じで進んだ先の、他と変わらない平凡な扉を黒服がノックする。相手の返事を待つ一瞬の時間、なんとなく廊下の先に少女が目をやると、白いネズミが駆け抜けて行った。

 小動物が入り込むような隙間があるのだろうかと訝し気に後ろ姿を見送っていると、室内から返事があり扉は開かれた。扉を開けたのも同じく黒服で、建物もそうだがこいつらも見分けがしにくい。体型も身長も同じぐらいで、顔立ちは多少違うようだが髭があるとかホクロがあるような特徴がなくて覚えにくい。


 そんな集団に囲まれた中央の男の、異色さが際立つ。


 長髪で美貌の持ち主だが怪しい中国人、と説明すれば大抵の人間が同じようなビジュアルを想像する気がした。

 黒地に豪奢な金糸の刺繍で龍が施された上着に、からし色と言えばいいのか、黄土色というべきか迷う色のズボン。ぺたんこの黒い靴。ステレオタイプだと言われようが、中華系で想定される悪党のボスらしい姿形だと思った。


「制服姿も愛らしいが、皇后の衣装も似合いそうだ」


 流暢な日本語でそう発した男は、このようなプレハブ的建物に似つかわしくない豪奢な革張りの玉座的な立派な椅子から立ち上がると、ゆるりとこちらに歩みよる。

 またそのパターンかと、少女はあきれた気持ちが表情に出てしまった。


「写真で見たより、少し大人びてしまったかな?」


 延ばされた手を避けようとしたが、黒服に左右をがっちりと固められ、後ずさる事もできず男の手が頬を撫でる。ぞわりと背筋に寒気が走った。


「二年前に出会えていれば完璧だったのだが」

「完璧?」

「女は十四歳ごろが至高である」


 はぁ!?

 という表情で顔が固まってしまった。


「だがしかし、子供から大人に至る過程というこの段階も捨てがたい。時に幼女のように微笑み、淑女のように優雅に泣く姿を愛でられるのも、飽きがこなくて良い」

「き、キモっ!」


 どんなに美形であろうと、発言内容がとてもよろしくない。おまわりさんこいつです! と叫びたくなる。


「元気が良いのもこれまでと毛色が違って良い。このような娘が後宮で我が渡りを待って心震わせると思うとたまらないものがある」

「誰がどこで何を待つって……?」

「君は今日から永遠を手に入れる。この私の隣で悠久の時を今の姿のまま生きて行くのだ」

「何を訳の分からない事を……永遠?」

神粒しんりゅうはいろいろなものを私にもたらせてくれた。不老不死もそのひとつ」

「不老不死!?」


 あれもこれもと、なんでもかんでも出来すぎではないか。たった一つの物質がそんなに多岐にわたる能力を持つのだろうか。


「信じられないかい? 私はいくつに見えるかな」

「三十前後……?」


 男はまるで獲物を見つめる蛇のような目で少女を見た。


「私はヂォン  雲嵐ウンラン。だがこれは今の時代に合わせて名乗る事にしたものだ。もともとは徐福じょふくという」

徐福じょふく?」


 加賀見かがみは己の脳内データーベースを必死に検索した。どこかで聞いた事がある……中国……不老不死……長生不老を最初に望んだのは誰であっただろうか。有名人がいた気がする。

 不意に記憶の中に一人の名前がよみがえる。


「始皇帝……が、不老不死の薬を探しに行かせた?」


 彼女が知っていたことが嬉しいのか、男は満足そうな笑みを浮かべた。

 対する少女は露骨に嫌な顔をする。三千人もの童男童女を連れ立って行ったとか、妙なロリコン気質に裏付けがついたようで、不老不死への驚きよりも嫌悪感が増したのである。


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