第三十一話 それぞれの覚悟(1)
息子が登校し、一人きりになった静かな自宅で白い鴉の頭を撫でた。
「命は本当に不思議なものだ。だが研究を進めていて、こう思うようになったんだ。魂も
ついっと視線は遺品から取り出した妻の写真に向けられる。かつては飾る事すら諦めていたそれを、再び取り出す日が来るとは。写真の中でほほ笑む彼女は、兄を失った後も愛し続けていて、結果として自分は永遠の片思いになってしまった。それでも、家族にはなれた。大切な息子を育てる同志としては確固たる関係で、これは揺らぐ事はない事実である。
「真言密教に
白い鴉は理解できたのかできなかったのか、首を傾げた。それを見て男は微笑む。
「火葬され灰になる事で生物の循環から外れ、命の輪から人間だけが離れてしまうものだと思っていたけれど」
死んでしまった愛するあの人も、小さな小さな金色の粒になり、世界に還っていったのだとしたら。もしかしたらその粒には、記憶も詰まっているのかもしれない。取り込んだ近しい者の脳細胞に留まり、その記憶をもった
天文学的な数が存在する
極稀に、その体を構成していた
「戦争などをしているのが本当に馬鹿らしいな。全ての生物は結局、地球上の生命という一つのグループかもしれないのに。一つであって全てでもあるというのも、宗教の言葉だったか」
「クァ」
返事をしたのは黒い鴉の方だった。
「それに
その彼が、まだ
「兄を助け出したい。タクに危ない事をするなと言っておいて、だが。助けを求められたのは自分だから」
ひとつひとつの言葉に勇気を込めて積み重ねる。自分の研究データを盗もうとハッキングしていた者たちがいる場所は、大学のネットワークチームが突き止めてくれた。おそらく彼はそこに捕らえられているだろう。
ただの大学教授で、腕力があるわけでもなく、権力もない。だが傍に行く事で出来る事はあるはず。
「兄の分身という、たしか
「チカク、ナラ」
「頼めるか」
「ノゾム、トコロ」
山体崩壊に巻き込まれ、
保護者達が大学に詰め掛けて、口々に彼の引率に不備があったのではと攻め立てた。山に不穏な様子があったのに、登山を強行したのではないかとさえ。
しかし一人生き残った女生徒が、重症でありながらも必死に兄の事を弁護してくれた。彼女は
だが、女生徒だったがゆえに助教授の美貌に篭絡されていて弁護しているかのように扱われ、一人だけ登山随行を許された嫉妬からの他の女生徒からの悪意に晒される事となり、傷が癒えても長く復学することができずにいた。
――「私、先生がいつ戻って来ても大丈夫なようにしておきたいんです」
一人だけ生き残ってしまった罪悪感に苛まれながらも、彼女は更に強くなって大学に戻って来た。
兄の名誉のために生きている彼女のためにも、彼には戻って欲しい。
犬猫用のキャリーケースに白い鴉を入れて、一泊旅行用の鞄をつかむと玄関を出た。
* * *
『人間は食べないか。残念だ』
中国語はわからないが、友好的なセリフではない事は確かだった。
『しかしここまでの体の変化をもたらした
ハッキングで手に入れた生物学の論文の事を思い出す。
『意志の力がなければ、
目の前の肉塊のような巨大な生物をじっくりと観察する。様々な地球上の生物のキメラになりかけたようなその姿は、発展途上の龍のように思える。ここ数日でじわりと、頭部にあった芋虫の触覚のようだったものが鹿の角のようになった。
剥きだしの内臓のようだった皮膚にも透明な層が生じ始め、場所によっては銀色のうろこ状に。その変化が最初に訪れていた手指は、翡翠色に寄っていた。
徐々にだが確実に、空想の生物とされる龍の姿を目指しつつある。
『だが、この場所にいるにしては、成長が遅い気がする』
本国から連れて来た風水師によると、脈動するように
『まさか』
DNA検査で、この生き物は人間の男という事が判明しているが。
『こいつはまさか、龍になるまいという意志を持っている……?』
『世界を統べる知力を得るには、まず体を龍に向かわせない意志が必要となると厄介だな。自分の体で試す前にまずは適当な人間で実験しておきたいところだが』
――失敗しても痛くない役に立たなさそうな人間は足元に転がっているが、どう考えてもこいつは意志が弱そうだ。人質として確保しておいた陰陽師の男を使うか。女の方が残っていれば人質としては十分だし。
考え込む
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます