第二十九話 目的地


 拓磨たくま白戸しろとの家を出る直前、床に落ちていた打掛を拾い上げた。最初の出会いはびっくりしたが、彼女はとても賢い付喪神だ。どのような願いを元に生まれたのかわからないが、このまま末永くいてくれるといいなと願いながら、衣文掛けに戻そうと思ったところ何か予感めいたものがあり、見様見真似で畳んだ。


「それ、持って行くの?」

「何かあったとき、彼女は優秀だから手助けしてくれるかもしれない」

「それなら風呂敷があるわよ」


 彼女の鞄はどうなっているのか、必要なものがスルスル出てくる。

 紫色の風呂敷で包むと、裁判所に向かう弁護士みたいな感じになってしまったが、抱えて学校に行く。特に道行く人にも、クラスの皆からも注目を浴びるようなこともなかった。平穏でいつもの日常だが、それがこれから来る嵐の前の静けさのようで、逆に不安を煽る。



 そして時間が来ればいつものように歴史の授業がはじまる。ぼんやりと教師の説明を聞き流しつつ板書を見ていた。ふと教師の口から「翡翠」という単語が出た時に、意識が授業に向かう。

 教科書の資料を見るように促され、指定のページをめくった。

 そこには日本で採れる鉱石の分布を示した図がある。


「日本で宝石質の翡翠が採れるのは、新潟県と富山県の県境の付近だけで、ここで採れた石が磨かれたものが、日本のあちこちで発掘され……」


 教師の説明と、ヤタの翡翠の出来事から知った事が重なっていく。


――ヤタの卵から出て来た神粒しんりゅうを圧縮した翡翠は、宝石のようだった。


 白戸しろとの説明によると、龍脈のあるところで翡翠ができるという。先日女性を助けた霧のような神粒に包まれた峠道は埼玉県で、そこも翡翠の産地だ。あれほどの濃度でも宝石質の物は採れない。

 つまりこの場所は宝石質の翡翠が出来上がるほど、神粒しんりゅうが潤沢に流れる龍脈がある……?

 彼が残した風見鶏は西を指し示してはいなかったか。自分たちが暮らす茨城からみて、西のライン上にあるのは新潟と富山の県境。


 あの敬一けいいちの変化した姿と思われる生き物は、今は敵の手にあるが、もし彼らが中途半端な姿から龍の形への完成形を目指しているとしたら、神粒しんりゅうの濃いところに敬一けいいちを連れて行くのでは。


 これは大きなヒントかもしれないと加賀見かがみの方を向けば、彼女も気づいたようで頷きを返してくれた。


 昼休みになるのが待ち遠しかった。加賀見かがみは今日もまた大量のお弁当を作って来ており、一緒に食べる約束をしている。そのかばんの中のお弁当の量を見て「この量だと、また古賀こが先輩もいないと無理だよね」と言えば、若干嫌な顔をされてしまったが、多すぎる自覚のある彼女は古賀こがを誘う事に同意してくれた。白戸しろと剣持けんもちが連れ去られている事なども含め、情報共有もしておきたかった。


* * *


 白戸しろと剣持けんもち妻が閉じ込められた部屋に、菓子パンとジュースの入ったビニール袋が投げ込まれる。雑な扱いに彼女はご立腹だ。白戸しろとはわずかに開いた扉の隙間から、一枚の形代を抜け出させた。

 複数の菓子パンの中から、彼女は早々に自分の分を取り、余った分を白戸しろとの枕元に置いた。男はもう体を起こしても大丈夫な程度に回復はしていたが、敵にはまだ動けないと思っていてもらった方が都合がいいので、ベッドに体を横たえたままだ。


 お腹がすいていたのか、妻はガサガサとアンパンの包みを開いて、もぐもぐと食べ始める。白戸しろともスーパーの白い袋に指をかけて中を見ると、カレーパンとウインナーロールが残っていた。個人的にはアンパンの方が食べたかったが、なんとなく彼女はこちらの方が男好みだと思って譲ってくれたようにも思える。確か剣持けんもちはこういう系統が好きだったし、彼女も割と朝はがっつり行く方だった。

 我儘ではあるが、全く気遣いができないわけでもない不器用な女性。自分を常に一番として扱って欲しいという要望には白戸しろとは応じられないから、彼女にふさわしいのは剣持けんもちなんだろうと改めて思う。

 だが朝日の逆光で浮かび上がる女性らしい豊かな曲線、実際は弱気なくせにプライドだけで豪胆に見せてくるいじらしさ、化粧を落とせば悪く言えば朴訥で、良く言えばあどけなく大人しそうな顔立ち。手放した事が惜しくないといえば嘘になってしまうだろうか。


 じっと見ていた事を気づかれたのか、不意に彼女が立ち上がり男の枕元に腰を落とす。ベッドがギシっと音を立てた。


「はい、あーんして♡」


 甘ったるい声でそう言われ、差し出されたアンパンの、餡のない部分を口に押し込まれる。ぱさぱさのパンをもぐもぐと咀嚼しながら、もしや彼女も? などと一瞬思ったが、天井のカメラの赤いランプが再び点灯していることに気づき、自分の役目は彼女を無事に剣持けんもちの下に無事帰す事だけだなと決意を改めた。


 目を閉じて意識を集中すれば、扉の外に抜け出した形代からの視点に切り替わる。


 形代はネズミの姿に変化していた。地面を這うように進む視点では、廊下を走っている間は外の情報は得られない。

 即席で作られたプレハブ感のある単調でシンプルな構造は、病院や研究所のようでもある。隠れられるような場所もなく、開いている扉もないため、ただ闇雲に廊下を前に進むしかなかった。


* * *


 剣持けんもちは再び車に乗せられ、移動を続けていた。監視され、外部との連絡手段も絶たれた現状、妻の事は白戸しろとに……任せる事にして! と気合を入れてその都度思わないと、次に会った時に二~三発殴ってしまいそうだ。メッセージを伝えようとしているのはわかったが、撫でまわし過ぎである。

 朝の映像では仲良くパンを食べていた。妻の事は信じているし、白戸しろとの事も信頼してはいるが、あのなまめかしい手の動きを思い出すたびにイライラしてしまうのだ。もっと別の方法もあっただろう。お前ならもっと良い方法を思いついたはずだ! などと、期待値を高めまくって脳内でなじる事により、なんとか平静を保っていた。


 この車にはヂォン  雲嵐ウンランは乗っていなかった。もしかしたらあの男は目的地には行かないのかもしれない。部下達に任せるつもりだろうか。

 出発の時にまた目隠しをされたが、今度は腕を縛られる事なく車に乗せられた。しかし顔に手を持って行こうとすれば隣に座る屈強な男に腕をつかまれ、目隠しに触れるようなことは許されなかった。


 高速を使っているらしき揺れの少ない長い長い移動を経て、車が停まったのは昼頃だろうか。目隠しを取られ膝の上に弁当を置かれる。どうやらコンビニの駐車場のようだ。

 弁当は温められておらず冷たかった。見ればとなりの男の弁当も冷たい様子。ラップを外す音と、プラの容器のぱきぱきという音だけが車の中に響き、全員が無言だ。

 剣持も腹ごしらえは必要だと考え、素直に弁当のラップを外した。

 割りばしを袋から取り出し、ふと思い立って空袋をポケットに隠す。

 そして無言で冷たい食事を終わらせると、箸を置くか置くまいかの最速で、隣の男に空き容器は回収された。


「そこのコンビニでトイレを借りたい」


 隣の男は容器を袋に詰め込みながら、運転席の方に視線を送った。運転席の男に裁量権があるのか、日本語を理解するのが運転手の男だけなのか。


「同じ大人の男として、尊厳は守って欲しいな」


 トイレに行きたい! という気持ちをちょっとぼかして伝えれば、片言の日本語を理解するらしき男が頷いて見せたので、屈強な男を同伴した状態でコンビニのトイレに向かう事になった。

 なお屈強な男も、なんなら剣持けんもちもスーツ姿で、しかもどちらかというと人相は良くない。暴力団の若頭とその手下ぐらいには見えてしまうかも。

 そのこともあって店員とほかの客の視線がぐぐっと集まって、注目されている事に気づいた監視の男は、さすがにトイレの中にまでついてくるような事はしなかった。連れ込まれたあの建物の中では、トイレもシャワーも監視がついてきて、完全に一人になる事はできていない。

 やっと一人になったのでまずは落ち着いて用を足し、ポケットから先ほどの割りばしの袋を取り出す。一度開き、丁寧に折ってゆっくり裂いていけば、小さいが鳥の形の形代の出来上がりだ。トイレの窓からメッセージを載せて飛ばす。

 手を洗っていなかったが仕方あるまい。手洗い場はトイレの個室の外だから。


 部下に心で詫びながら、すっきりした顔で出て手を洗うが、視線を集めている事を警戒した屈強な男に、後ろから押されるように車に戻った。


 

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