第二十九話 目的地
「それ、持って行くの?」
「何かあったとき、彼女は優秀だから手助けしてくれるかもしれない」
「それなら風呂敷があるわよ」
彼女の鞄はどうなっているのか、必要なものがスルスル出てくる。
紫色の風呂敷で包むと、裁判所に向かう弁護士みたいな感じになってしまったが、抱えて学校に行く。特に道行く人にも、クラスの皆からも注目を浴びるようなこともなかった。平穏でいつもの日常だが、それがこれから来る嵐の前の静けさのようで、逆に不安を煽る。
そして時間が来ればいつものように歴史の授業がはじまる。ぼんやりと教師の説明を聞き流しつつ板書を見ていた。ふと教師の口から「翡翠」という単語が出た時に、意識が授業に向かう。
教科書の資料を見るように促され、指定のページをめくった。
そこには日本で採れる鉱石の分布を示した図がある。
「日本で宝石質の翡翠が採れるのは、新潟県と富山県の県境の付近だけで、ここで採れた石が磨かれたものが、日本のあちこちで発掘され……」
教師の説明と、ヤタの翡翠の出来事から知った事が重なっていく。
――ヤタの卵から出て来た
つまりこの場所は宝石質の翡翠が出来上がるほど、
彼が残した風見鶏は西を指し示してはいなかったか。自分たちが暮らす茨城からみて、西のライン上にあるのは新潟と富山の県境。
あの
これは大きなヒントかもしれないと
昼休みになるのが待ち遠しかった。
* * *
複数の菓子パンの中から、彼女は早々に自分の分を取り、余った分を
お腹がすいていたのか、妻はガサガサとアンパンの包みを開いて、もぐもぐと食べ始める。
我儘ではあるが、全く気遣いができないわけでもない不器用な女性。自分を常に一番として扱って欲しいという要望には
だが朝日の逆光で浮かび上がる女性らしい豊かな曲線、実際は弱気なくせにプライドだけで豪胆に見せてくるいじらしさ、化粧を落とせば悪く言えば朴訥で、良く言えばあどけなく大人しそうな顔立ち。手放した事が惜しくないといえば嘘になってしまうだろうか。
じっと見ていた事を気づかれたのか、不意に彼女が立ち上がり男の枕元に腰を落とす。ベッドがギシっと音を立てた。
「はい、あーんして♡」
甘ったるい声でそう言われ、差し出されたアンパンの、餡のない部分を口に押し込まれる。ぱさぱさのパンをもぐもぐと咀嚼しながら、もしや彼女も? などと一瞬思ったが、天井のカメラの赤いランプが再び点灯していることに気づき、自分の役目は彼女を無事に
目を閉じて意識を集中すれば、扉の外に抜け出した形代からの視点に切り替わる。
形代はネズミの姿に変化していた。地面を這うように進む視点では、廊下を走っている間は外の情報は得られない。
即席で作られたプレハブ感のある単調でシンプルな構造は、病院や研究所のようでもある。隠れられるような場所もなく、開いている扉もないため、ただ闇雲に廊下を前に進むしかなかった。
* * *
朝の映像では仲良くパンを食べていた。妻の事は信じているし、
この車には
出発の時にまた目隠しをされたが、今度は腕を縛られる事なく車に乗せられた。しかし顔に手を持って行こうとすれば隣に座る屈強な男に腕をつかまれ、目隠しに触れるようなことは許されなかった。
高速を使っているらしき揺れの少ない長い長い移動を経て、車が停まったのは昼頃だろうか。目隠しを取られ膝の上に弁当を置かれる。どうやらコンビニの駐車場のようだ。
弁当は温められておらず冷たかった。見ればとなりの男の弁当も冷たい様子。ラップを外す音と、プラの容器のぱきぱきという音だけが車の中に響き、全員が無言だ。
剣持も腹ごしらえは必要だと考え、素直に弁当のラップを外した。
割りばしを袋から取り出し、ふと思い立って空袋をポケットに隠す。
そして無言で冷たい食事を終わらせると、箸を置くか置くまいかの最速で、隣の男に空き容器は回収された。
「そこのコンビニでトイレを借りたい」
隣の男は容器を袋に詰め込みながら、運転席の方に視線を送った。運転席の男に裁量権があるのか、日本語を理解するのが運転手の男だけなのか。
「同じ大人の男として、尊厳は守って欲しいな」
トイレに行きたい! という気持ちをちょっとぼかして伝えれば、片言の日本語を理解するらしき男が頷いて見せたので、屈強な男を同伴した状態でコンビニのトイレに向かう事になった。
なお屈強な男も、なんなら
そのこともあって店員とほかの客の視線がぐぐっと集まって、注目されている事に気づいた監視の男は、さすがにトイレの中にまでついてくるような事はしなかった。連れ込まれたあの建物の中では、トイレもシャワーも監視がついてきて、完全に一人になる事はできていない。
やっと一人になったのでまずは落ち着いて用を足し、ポケットから先ほどの割りばしの袋を取り出す。一度開き、丁寧に折ってゆっくり裂いていけば、小さいが鳥の形の形代の出来上がりだ。トイレの窓からメッセージを載せて飛ばす。
手を洗っていなかったが仕方あるまい。手洗い場はトイレの個室の外だから。
部下に心で詫びながら、すっきりした顔で出て手を洗うが、視線を集めている事を警戒した屈強な男に、後ろから押されるように車に戻った。
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