第二十五話 音


 剣持けんもちは再び勤務先のビルに向かうと、わき目も振らずにガラクタを収納したロッカーに向かった。勢いよく開けすぎて、いくつかの雑貨類が床に散らばったが、構わずくだんの鈴を手に取る。


 世の中に手持ち鈴などいくつもあって、似たものでいえば普通に仏前の鈴も同じような音を立てるだろう。だがそれらに神粒しんりゅうの流れを大きく変え、龍脈の流れをも制御するような力はない。ゼロではないのだろうが、本当に微細な力なのであろう。

 なら、この鈴は。


――リィィイイイ・・・・ン


 試しに振ってみると、澄み切った透明な音が耳に細い針となって刺さるようだ。剣持けんもちには神粒しんりゅうは見えないが、何かを揺らがせるのに十分な音であると肌で感じた。


「周波数か」


 この鈴の音が揺らす空気の振動の波が、ちょうど神粒しんりゅうと共鳴するのだ。これといって意匠もなければ装飾もないシンプルで無骨なほどのこの鈴は、おそらく偶然の産物。使われている鉱物の配合、厚み、形状などのすべてのバランスが合致して、奇跡的に神粒しんりゅうの反応を誘う唯一無二のものに。おそらくわずかな歪みや傷がつくだけで音は変わり、このような効果は薄まる気がした。たとえ同じ型で同時に作られたものであっても、おそらくこれほどまでの効果はないはず。

 しかし今の科学力なら、形状も材質も寸分変わらずコピーして大量生産ができる可能性がある。音質や周波数を研究すれば、デジタルで音を合成して出力することも可能になるかも。

 そうなればこの鈴の力を知っている者だけが、神粒しんりゅうを独占することができる……。


 しかしこの奇跡の品を、敵の手に渡る前に破壊する勇気も持てなかった。人類の宝と言っても差し支えない存在で、いつか必要になる事もあるかもしれない……。


 鈴を手にしたままの逡巡はほんの一時であったが、不意の気配に鈴を持ったまま振り返った。


「……っ!」

「コチラニ、ワタシテクダサイ」


 たどたどしい日本語で、暗がりの中に浮かび上がるような不気味な四人の男のうちの一人が口を開いた。扉が開いた音も、先ほどまでは気配も感じなかった。わざと隙を見せて剣持けんもちに気づかせたのは間違いない。武術のたしなみが十分あるのは、そのたたずまいから明らか。式神の目くらましで剣持けんもちが立ち向かって勝算があるようには思えない。

 腐ってもここは政府の機関のひとつ。それなりのセキュリティがあるのにも関わらず、無能な上司が一人いるだけでこの体たらく。

 切れ味の悪いノコギリで、輪切りにしてやりたい。


 男たちはそれ以上言葉を発する事はなく、静かに圧をかけてくる。

 わざと落として歪ませてしまうか、素直に渡すか。緊張から首元をつつっと汗が流れる感触がする。

 ふと剣持けんもちは自分の首からかけられたセキュリティカードの存在を思い出す。先日盗聴器に気づき取り外したが、妻の貼ったプリクラはそのままだ。一度はがしたせいで粘着力が弱まっていたから、小さなセロテープのかけらで補強していた。


 頬に傷を持つ男は大きくため息を吐き出すと、改めて右手を伸ばす男をにらむように目線を合わせ、鈴を手に一歩踏み出す。

 その時わざと、偶然を装って足元に散らばったガラクタの一つを蹴飛ばした。感触的には寄木細工の箱だったろうか。男たちの視線が一瞬その箱に注がれたタイミングに、セキュリティカードの裏を親指の爪でこすりセロテープをはぎ取ると、鈴を左手から右手に持ち替えるついでに、持ち手を親切に相手に向けるよう、鈴部分を持つ。この時に親指の爪についたままのテープを内側の奥に貼り付けた。


「どうぞ」

「……」


 受け取った男は、鈴のゆがみや傷を改めるようにあらゆる角度から見て確かめる。気づかれるだろうかと不安もあったが、平静を装う。

 最後の確認とばかりに軽く振れば、鈴らしい澄んだ音が鳴り響く。男たちは無言で頷きあう。

 さっさとお引き取り願いたかったが、再び男は手を差し出した。


「イッショニ、キテモラオウ。首領ハ陰陽師モ、オノゾミダ」 


 剣持けんもちは頬の内側を噛んで、なんとか舌打ちをこらえた。


* * *


 白戸しろと叢雲むらくもの昼食にはうどんを食べさせた。子供用のサイズで、アニメキャラクターのかまぼこがトッピングされていたから、少年は目を輝かせ、最後までそれを見ながら麺をもむもむと食み、最後にゆっくり味わうようにかまぼこを食べきった。好きなものは最後にする派らしい。


「うまかったか?」

「うん」


 満足そうにうなずく少年の手元から箸と丼を回収すると、自分の分と合わせていつものように盆に乗せて勝手口の前に置いた。

 叢雲むらくもは午前中に教わった通り、冷蔵庫から麦茶の瓶を取り出すと、トクトクと二人分をコップに注いだ。白戸しろとはそれを見てほほ笑むと、少年の頭をくしゃりと撫でた。叢雲むらくもは少し照れたように目を伏せる。


「意外と自分は、誰かの面倒を見るのが好きなのかもしれないな」


 ヤタが拓磨たくまの元に帰ってからは、物足りないと思っていた。当初は付喪神たちもいるから寂しいと思うはずはないと思っていたが、案外自分はずっと人恋しかったのかもしれない。

 龍脈を失ったが、体はすこぶる健康だ。今なら他人とどれだけ触れ合っていても、相手の神粒しんりゅうを吸い取るような心配はない。


――あの時、明らかにたっくんではない何者かに変わった。


 拓磨たくまから神粒しんりゅうを注がれたあの日の事を覚えている。

 今は細胞ひとつひとつが神粒しんりゅうを生み出し続けている感覚がある。以前のように枯渇する気配はない。

 もし癒しの力として神粒しんりゅうを用いるなら、どの部位の何の細胞がどのような振る舞いをしていくか、ひとつひとつ指示を与えなければならない。それにはどれほどの知識が必要になるのか。まだ人体は解明されていない事も多い。なのに拓磨たくまの中の何かは、それをやってのけた。それほどの知識の持ち主なのか。


「まさか、たっくんの体の細胞の振る舞いを丸ごとコピーしたのか?」


 不意のひらめきが口から洩れた。叢雲むらくもがきょとんと見上げて来る。何でもないと頭を再度撫でてやれば、気にするそぶりもなく麦茶を飲み始めた。


――そうか、それなら合点がいく。


 ひとつひとつの細胞の知識がなくても、今問題なく稼働している細胞の情報をそのまま複写すれば問題はなくなる。ミラーリングといった方がふさわしいのかもしれない。拓磨たくまの中に、鏡姫という存在がいることはもう疑いようもなかった。


「ねえ、誰か来たみたい」


 思索にふけっていた自分を、叢雲むらくもがつんとズボンを引っ張って現実に引き戻す。


「……誰だ?」


 誰が来たのかはいつも家の付喪神が教えてくれる。見知らぬ怪しい複数の男たち。剣持けんもちの部下たちでもないようだ。嫌な予感は今までの経験からか。戦場の緊張感に似た空気に、危険を感じる。

 押し入れを開けると打掛で少年をくるみこみ、奥に行かせる。

 

「隠れてろ、何があっても絶対に出て来てはいけない。俺がいいと言うまでここに。もし誰もいなくなったら、鴉の姿に戻ってたっくんの下へ行け。あの黒い鴉のいる所だ、気配で探すんだ」

「う、うん」


 押し入れを閉めると、何食わぬ顔で炬燵のいつもの座に腰を下ろすと、同時に障子戸が荒っぽく開け放たれた。四人の屈強で剽悍な男たちが一瞬で無精ひげの男を囲む。


「……何か用かな?」

「ワレワレト一緒ニ来テモラオウ」

「招かざる客の招待に応える義理はないのだが」

「ソレデモ、来テモラウ」


 男たちの一人の目線が、先ほどまで叢雲くらくもが飲んでいたコップに注がれた。


『他にも誰かいるのでは? コップが二つ、飲みかけです』


 リーダー格の男に向けて一人が中国語でささやく。白戸しろとは風水の勉強で必要があり、中国語も堪能だが、わからないふりをする。

 わざと荒々しく立ち上がり、周囲の気配を探ろうとしている男たちを牽制し、叢雲むらくもの隠れた押し入れに気づかれないよう、相手の顔を見据え続ける。

 それでも一人の男は隣の部屋の障子戸を開け、敷かれた布団を跳ね上げる。隣の部屋の押し入れが開けられた音もしたが、何食わぬ顔をした。

 しかしもう一人の男がこの部屋の押し入れに視線を向けた。


「やれやれ、礼節の一つも持てないのだな。おまえたちのトップは下っ端の教育には手を抜いているな」


 嘲りの表情でそう言い放てば、明らかに怒気が男たちの間で満ちる。

 押し入れの中の叢雲むらくもには、白戸しろとが続けて何かを言ったが聞き取れなかった。しかしそれは男たちを激怒させる言葉だったようで、荒々しい暴力が家を振動させた。たまらず少年は彼を守ろうと飛び出しかけたが、打掛からにゅっと白い手が伸びて、彼の口と体を抑え込んでしまった。じたばたとしばしもがいたが、白戸しろとの言葉を思い出し、ぐっと堪える。力を抜けば打掛の手も緩んだ。白魚のような優雅な手は、少年をやさしくなでる。

 物音に恐怖し、おびえて震えた時間は長くも感じたが、気づけば部屋は静まり返っていた。


 恐々と押し入れの隙間から部屋を見れば、ひっくり返った炬燵、破れたふすま、外れた障子戸。散々たる有様だった。招かざる客の意識が少年に向かないよう、白戸しろとはあえての暴言で気を引いたのだろうと幼い知性でも察しがついた。


「助けなきゃ」


 力のない自分ができる事は、男に言われた通りにすること。

 窓を開けると体を作っていた神粒しんりゅうを脱ぎ捨て、白い翼を広げると窓枠を蹴って、青い空に向かって力強く飛び立つ。


 打掛はそれを見届けるとカラカラと窓を閉め、後は頼んだといわんばかりに軽く手を振ると、いつものように何事もなかったかのように元の打掛に戻っていった。


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