第二十四話 人質


 剣持けんもちの仕事用の携帯が鳴った。

 部下からの連絡は基本的に式神で、電話をかけてくる相手といえば限られている。妻からは無事に別荘へ到着したという連絡が来たばかりであるから、かけて来た相手の名前を見なくても明らかで、このまま着信を無視しても良かったのだが、嫌な事を後回しにしても結果がよくならない事は痛感している。

 画面を見れば案の定で、ため息をつきながら受話器のアイコンを押した。


剣持けんもち!』

「大高室長、どうされましたか」

『助けてほしい!!』

「……無理難題はご勘弁願いたいのですが」

『先方の鈴ではなかったと。おまえ、俺が間違ったものを手に取った事を黙っていただろう』

「何の事かわかりかねますが。彼女から受け取った鈴は確かにあのロッカーに。だから言ったでしょう、先方が探しているものかどうかはわからないと」


 妻のいない自宅のマンションのソファーに深く腰をかけると、もう電話を切ってやろうかと耳から電話を離そうとしたとき、鋭い声が聞こえた。


『失礼、ヂォン  雲嵐ウンランという者だが』

「……どちら様でしょうか」


 中国名だが流暢な日本語。声色に刃物の鋭利さがあって、ピリッとした緊張感が走る。動揺が伝わらないように一呼吸置いたが、効果があったかどうか。


『あの鈴は我々にはとても大事なものでね。残念ながら、頼んだ相手が悪かったようだ。その点、貴方は優秀と聞いている』

「どのようにお話が伝わっているか存じ上げませんが、何を買いかぶられているのか。おだてられましても、こちらとしては何の事だか」

『なるほど? そうだね……手持ちの鈴で。金剛鈴と呼んだ方が日本人にはなじみがあるのだろうか』

「……」

『こちらまでお持ちいただけますかね。それまで大高氏はこちらでお預かりするという事で。いろいろと話を聞けそうですし』


 正直室長がどうなろうと知った事ではない。指が一本ずつ送り付けられても、多少の目覚めの悪さに目をつぶれば良いだけだ。むしろ始末をつけてくれた方がありがたいかもしれないと非情な事も脳裏をよぎった。


「そんなに話題が豊富な上司ではありませんが?」


 クックッと忍び笑いが聞こえた気がした。嫌な間があって、冷たさを増した声が嘲笑を交えて言葉を紡いでくる。


『奥さんは、なかなかの美人だそうだな』


 大高を生きたまま端っこからすりおろして、海の魚のえさにしてやりたいと、本気で剣持けんもちは思った。


* * *


 昼休み、教室を出て昼食の確保に向かおうとした少年の後ろを追いかけるように、加賀見かがみはやってきた。


拓磨たくまくんは学食なの?」

「ううん、購買でパンを買おうかなって。中庭で食べるつもり」

「それだったら」


 もじもじと膝をすりあわせながらの上目遣いに、何か言いにくさを感じたから、困った事でもあったのかと口を開きかけた時、後ろから声がかかる。


大磯おおいそ、一人なら飯に行かないか」

古賀こが先輩? 見てわかりませんか私がいることを」


 長身の強面の先輩にむかって、美少女はつっかかる。本当にこの男、邪魔してくるな! という苛立ちがありありと伝わって来る。でも今回は明らかに加賀見かがみのほうが先に声をかけてきているし、何か話したい事があるようだ。


「すみません先輩、僕は今日は購買でパンを買う予定ですし、加賀見かがみさんが用があるようなので……」

「そうか、じゃあ三人でいいんじゃないか? あまり二人きりになるのは校内ではやめた方が良さそうだぞ」


 その言葉に周囲を見れば、ちらちらと視線が向いている事に気づいた。変人じみていて距離はおかれているとはいえ、学年一の美少女である彼女は常に注目の的だ。付き合いたいと公言している人間も一人二人ではないし、ふられた事を逆恨みしているやつもいると聞く。特別な関係と勘繰られて自分が変に目立つのも避けたかった。

 そしてふと、古賀こが加賀見かがみの事が好きなのでは? などという考えもひらめいた。自分をダシにしているだけで、揶揄うように声をかける様子はとても嬉しそうでもある。長身の偉丈夫と和風美人はとてもお似合いであるし、彼なら周囲は何も文句を言わない気がする。


 拓磨たくまのあさっての考えに気づかず、むくれた加賀見かがみではあったが、後ろ手で隠していたバスケットを差し出した。


「初めてお弁当を作ったんだけど作りすぎちゃって。良かったら一緒に食べて欲しいなと思って……」

「かが……愛梨あいりちゃんの手作りなんだ。いいの?」

「感想も聞かせて欲しいな」

「それ、どう見ても四人前以上ないか……?」


 古賀こがが言う通り、バスケットは結構な大きさだ。

 結局三人で中庭のベンチに出てきた。すでにいくつか埋まっているが、日向の席は空いていたのでそこに陣取る。

 いそいそと彼女が広げたお弁当は、運動会や花見で大家族が囲むぐらいの分量があり、とてもじゃないが二人で食べきれる量ではなく、流れ的に古賀こがも遠慮なくご相伴にあずかる事になった。


「どうしてこんなにたくさん……」


 サンドイッチをつまみながら聞けば、彼女は少し恥ずかしそうに俯いて答える。


「レシピがどれも四人前で。最初は分量通り作れるようになった方がいいかなと。あといろいろ作ってみたくて、種類を試していたらこんな事に。朝ごはんにもしたし、ママにも持って行ってもらったんだけど。腐らせたくないし」

「晩飯にもすればいいじゃないか」


 エビフライを指でつまみあげて古賀こがは言うが、彼女の遠い目は「夕食の分どころか明日の朝の分もある」と語っているようだ。


「料理好きなの?」

「ハマりそうな予感はしてる。だからこれからも一緒に食べてくれると嬉しいな。ダメかな拓磨たくま君」

「手料理なんてとても久しぶりだから僕は嬉しいけど。あ、材料費を払うよ!」


 慌ててポケットから財布を取り出そうとして、携帯にメールが届いていることに気づいた。父からだ。ついでにそれを見ようと添付ファイルを開いて、むせた。

 写真は黒い鳥が食パンに刺さって身動きできなくなり、虚無の表情を浮かべているものだ。

 むせる少年の背を少女は慌てて撫でに来て、同じ写真を見て目が点になった。


「え? 鴉ってこんな風になるの」

「まさかこんな事になってるなんて」


 メールの本文には「救助した」と一言があり、ほっとした。父が早めの帰宅をしていなければ、拓磨たくまの帰宅までこのままだったのではないかと思うと、時間がないからとかわいそうな事をしてしまった。


「ところで愛梨ちゃん、要件ってこのお弁当の事だけ?」

「あのね、ちょっと変な話を聞いた事も伝えておきたくて」

神粒しんりゅう関連か?」


 身を乗り出して古賀こがのほうが先に反応をした。加賀見かがみはうなずくと、行方不明になっていた編集部員がいるという話をしはじめた。


「無事に保護されたらしいのだけど、やばい組織で聞いちゃいけない話を聞いたそうで、しばらく身を隠す事になったとか。剣持けんもちさんが手配した場所が整うまで、一晩だけうちに泊まって行ったんだけど」

「もしかして、その聞いちゃいけない話を聞いてしまったとか……?」

「聞いちゃった……」

「聞いた事が知られたら、おまえもやばいじゃないか」

「やばい組織って?」

「中国マフィアらしいの。原始神龍タイチュウシェンロン


 少女は指先で地面の砂に漢字を書き示した。


「……神粒しんりゅうと、神龍って音が一緒だよね」

「あながち間違いじゃないみたい。神粒しんりゅうは龍のためのものだもの」

「どういう話を聞いたか、俺たちも聞いておいた方がいいんじゃないか」

「僕もそう思う」


 加賀見かがみは一人で秘密を抱える事に向いていない性格のようだった。白戸しろとの秘密につながるノートについても、自分が知ってしまった事にひどくストレスを感じているようだった。鏡姫として今は扱われているけれど、実際自分はそうではないと知って、それも精神的負担になっている。ずっと自分が鏡姫という特別な存在だからと耐えてこれたのに、今はその支えがない状態。秘密を共有することで楽になれるなら。

 それに今後、何があるかもわからないから判明した情報は知っておくべきだと思った。できれば古賀こがが言い出す前に自分が提案したかったが……。やはり彼は彼女の事をよく見ているな、とも。


「地球は巨大な卵で、今もすくすくと次代の龍が育っているらしいわ」

「龍が!? いったどこで」

「この日本で……」

「日本……」

「正確にいうと、中というか、日本そのものというか」

「へ?」


 加賀見かがみはバスケットの底から授業で使っている地図帳を取り出し、広げた。

 日本列島の白地図が二人の眼前に突き付けられる。

 

「この形、似てると思わない?」


 北海道を頭、東北を首、関東以南を胴として、沖縄まで含めれば長い尾のよう。


神粒しんりゅうは龍にとって血液のような存在なんだわ。龍脈は血管で、神粒しんりゅうをその体に巡らせている。体の部位を構成する細胞が分化するように、神粒しんりゅうの集まるところに内蔵や組織が出来上がる。私たちは龍の上に住んでいるのよ」


 白地図の上に龍が浮かび上がって見えた。

 神粒を集める不思議な山とされていた光返山ひかえしやまのその位置は。


「心臓……?」


 彼らの住む茨城県は、まさに龍の胸に位置していた。


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