第二十一話 主


 拓磨たくまが幼い少年の手を引いて炬燵のある部屋に戻ると、白戸しろとは羊羹を切り、長くなりそうな話に備えていた。加賀見かがみは茶を淹れかけていた手を止めて、目を見開いて部屋に戻って来た拓磨たくまと、もう一人の子供の存在に驚いたようだった。


「もしかしてその子が、さっきの鴉なの?」

「うん」


 拓磨たくまがそっと手を引くと、観念したように少年は空いている座布団にちょこんと正座をした。


「この子、叢雲むらくもらしくて……あの宗教団体の教祖だった」


 その言葉に白戸しろとも手を止め、加賀見かがみと顔を見合わせた。ヤタだけが退屈そうに男の膝上で欠伸をしている。嘴についた羊羹のかけらから、つまみ食いは終えているようだ。


「それが叢雲として、何故そんな幼い姿なんだ」


 全員の疑問ではあったが、その顔立ちからはやはりあの教祖の男の顔が容易にイメージ出来て、本人であるのは間違いないようであった。


「すべて話したら、手を貸してくれるだろうか?」


 恐る恐るといった様子の、何度も正座を整えなおしモジモジとしている年相応な姿に白戸しろとは頷き、それを見て拓磨たくまも口を開く。


「内容にもよるけど、僕たちに出来る事だったらね」


 きゅっと唇を噛んだ少年は少し俯いていたが、目の前に羊羹とお茶が彼の分も差し出され、茶を用意した加賀見かがみも頷いて見せたので、意を決したように少年は語り始めた。


「私は、おまえたちが倉庫で出会った神をあるじとする、御使いだ」

「神に仕えているお前が、何故力を欲する」

「我が主は発展途上なのだ。神としての姿が完成するまえに変化に必要な神粒しんりゅうが尽きてしまい、中途半端な形で今はいる。私は長く動けない主に変わり、神粒しんりゅうを集めるために遣わされた」

「もしかして御使いだから、見た目の年齢を操作できるの?」


 加賀見かがみの問いに、叢雲は首を左右に振った。


「最初に私がこの世界に形作られた時、私は主と同じ見た目年齢だったのだと思う。人間でいうなら四十歳そこそこあたりだろうか」


 ぽつりぽつりと少年は過去を語り始めた。最初は周辺の神粒しんりゅうを愚直に集め続けたが全く足りず、主の知識で神粒しんりゅう研究に国家予算がついているアメリカや中国に渡り、効率的に大量の神粒しんりゅうを集める術を捜し歩いた。幸いにもミステリアスな美貌は良い武器となり、要人の妻や研究者本人と繋がりを持つ事が出来たおかげで、利用方法等を知る事も出来た。洗脳の技はアメリカで身に着け、それを駆使して資金を集める事に成功。

 そして日本に戻り、宗教団体を立ち上げた。

 信者に自身の神粒しんりゅうを提供させながら、神が理想とする龍神の姿になれるよう念を祈りとして送ってもらう。そのための絵姿も手に入れた。信仰が深まれば更に力となって集まっていく。しかしそれでも足りなかった。世界三大宗教のレベルになるにはとてつもない時間が必要である。


「急ぐ必要が出て、神粒しんりゅうを集めるという鏡を手に入れようとしていたのか」

「私は力の行使のたびに摩耗してしまった。使ってしまった神粒しんりゅうは戻らず、減るにしたがって見た目の年齢が落ちてしまった。若返る私を見て信者はより崇拝してくれたが、いつまでも若返り続けるわけにはいかない」


 拓磨たくまがヤタの方を見ると、彼女は少し呆れ気味に呟く。


『その子の主は、神粒しんりゅうをその子に分ける事が出来なかったか、分ける事を知らなかったのね。補充が必要なの。私も一度、山体崩壊の衝撃で完全に分解してしまってからは、自力では鴉に戻るのが精いっぱいだったから。今も完全に戻ってないよ。本来の私は、人間の年齢だと二十歳ぐらいの見た目だったと思う』


 ヤタは人型になった時、中学生ぐらいの見た目だ。


「私は主のコピーだ。だから知能も知識も主に準ずる。しかし若返れば若返るほど考え方は幼くなっていく。覚えた言葉や使い方は忘れなかったが、次に何をすればいいのか思いつかなく……。感情に支配されやすくなり、衝動的に行動してしまう」


 誇らしき神の分身であるのに。その矜持の通りに自分で自分をコントロールできなくなっていく。その恐怖に耐えかねて、国内に来ていると聞いていた以前知り合った中国人の手を借りようとした。

 しかし騙されたあげく神の身柄を奪われ、自身はボロボロになる程に痛めつけられ、命からがら逃げだしたものの、崩壊して失った神粒しんりゅうが多過ぎて鴉の姿以外になる事は出来なくなっていた……。

 人の言葉は理解できるが鳥の言葉はわからず、鴉の声帯では辛うじて九官鳥のような声が出るだけだ。かつての信者たちの力さえ借りる事ができなくなった。

 神粒しんりゅうの集まる場所を探し続けていたとき、流れを見ているとゆっくりこの家に集まっていて、白戸しろとの体に吸い込まれて行くのを見た瞬間、自身を回復させ、神のために神粒しんりゅうを定期的に集める術になると思った。


「申し訳ない、私は貴方を神に取り込ませるつもりでいた。でももう、それ以外の手段がわからなくて……」


 腕を組む白戸しろとをちらりと見て、その厳しい表情に叱られると思ったのかすんすんと泣き始めた少年に、ヤタが仕方ないなあといった風情でちょんちょん跳ねながら寄って、膝上に乗る。羽根を一枚抜いて与えると、叢雲はそれを受け取ってしゃくり上げながらはむはむと食べ始めた。


 拓磨たくまはそれをぼんやり見ているが、瞳には景色が映りこんでいるだけで、目の前の光景に何も感じる事が出来ない。

 頭の中がぐるぐると回転しているような混乱。


――


 敬一と同じ姿から導き出される恐ろしい答え。

 彼が仕える主の正体は。

 あのコンテナの生き物は。


* * *


 とりあえず渡したファイルに大高が視線を落としている隙に、震える手でセキュリティカードを外す。いつも肌身離さず持ち歩いているが、唯一手元から離す機会があるのは自宅。

 先日妻が、二人で撮ったプリクラのシールを貼っていた。裏返さなければ見えないし、妻の写真を持ち歩くのも悪い気分ではないからそのままにしていたのだが、そのシールの上を指でなぞれば不自然な小さな凹凸を感じた。

 爪先で引っ掻いて剥し、顔は大高に向けたまま視線を落とすと、何やら小さな部品が見えた。明らかに盗聴器。


 彼女の性格は熟知している。恐らく最近出歩く事が多い自分に、彼女は浮気を疑って不安を覚えていた。でも本当に仕事かもしれないからと、おそらく部署に電話をするなりした。部下は迂闊に返答する事が出来ないから、おそらく電話を大高にまわしたのであろう。

 そこで彼は、剣持けんもちが細かに行動を報告していないという事実を知った。

 そしてうまく彼女を焚き付けて、これをつけさせた。

 白戸しろとの家に行く事をいちいち咎める彼女の機嫌を取るよりも、最初から訪問を伝えない方が良いだろうと話していなかった自分が悪く、妻を責めるつもりはないが、結果的に窮地に立つ羽目になってしまった。

 だがこのサイズの盗聴器の精度、そして外出時は鞄に入れていたり胸ポケットに入れていたことから、全ては伝わっていない気もした。何処まで伝わって、知られていないかを把握しなければならない。迂闊な事を口にするわけにはいかず、ファイルをめくる音だけを聞く。読み終わるまでに良いアイデアが出て欲しいが、残念ながら大高はため息とともにファイルを閉じた。


「目新しい情報はないな」

「断片的な情報を仕入れる機会はありましたが、神粒しんりゅうとの関係がはっきりしないものは混乱を招くので、報告を控えました」


 大高は諸々を剣持けんもちに丸投げするが、それは陰陽師としての実力を買っており、信頼しているからのはず。自身も迂闊である自覚はあるが、大高が自分より優秀とは思えない。なんとか言葉巧みに、大高に喋らせなければならない。


「ところで、先程の風水師の鈴とは?」

「おまえが拾った女から託されたようだが?」

「彼女から預かったものはありますが、我々の活動とは無関係かと」

「女からはどういう話を聞いた」

「内緒話をしているらしき所に遭遇し、聞いてはいけない気がしたのでその場を離れようとしたところ、音が鳴りそうな物に触れてしまい、音が鳴らないように掴んだまま逃げてしまったと」


 鈴を預かった事が知られているという事は、彼女との会話はある程度聞かれてしまっている。迂闊に嘘を言う訳にはいかない。


「持ち主がその鈴を探しているのだ。おまえが持っているかもしれない事を伝えた所、返却して欲しいと」

「その人が探している鈴と、預かっているものが同一とは限らないのでは……その人が持ち主であるという証明は。室長のお知り合いで?」


 大高の背後にいるのが誰か、もうこの会話だけで明らかだ。繋がっている相手は例の中国マフィア。しかもべらべらと情報を与えているらしい。最悪だ。

 神粒しんりゅうの謎に繋がるアイテムではあったが、鈴は手放した方が良さそうだ。迂闊に身辺を改められて、拓磨たくまの事を知られる方が遥かに損害が大きい。


「とにかくそれを預かって、先方に判断してもらう。見せてくれ」

「……はい」


 分類できない物を収納しているロッカーに足を向け、開ける。ここには色々なガラクタが雑多に詰め込まれ、古びた鈴を隠すのにうってつけだと思ったのだ。

 ロッカーを開けて大高を促すと、男は静かに雑多なモノたちを見渡して、それを手に取った。

 とても古びた大きな鈴……それは女から預かったものではなく、かつて光返山ひかえしやまに登る時に荷物につけていた熊鈴だ。カウベルの形のではなく、神社の拝殿にあるような本坪鈴ほんつぼすずの形状。


――そうか、一般的に鈴といえばこちらの形だ。鈴と聞いて持鈴じれいを思いつくのは、その筋に明るい者だけ。


 上司の不勉強に感謝する日が来るとは。

 剣持けんもちは間違った物を大高が手に取った事に気付かないふりをするため、目の端でいそいそと熊鈴をハンカチにくるむ男を見届けながら手持ち無沙汰を装って、手近なファイルを揃えなおした。


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