第二十話 白鴉の正体


「滅茶苦茶どんくさいな」


 窓枠をくぐるように頭を出して、白戸しろとが二羽の姿を目で追う。

 自分も空を茫然と見上げてしまっていて、気づけば加賀見かがみ拓磨たくまの右手を取って、出血した指をハンカチで一生懸命押さえてくれていた。あまりにもスッパリと行ったので、実はあまり痛くはないが、深さがあるのか出血が多いようだ。必死に止血する彼女は、涙ぐんでいるように見える。


「ごめん愛梨あいりちゃん」

拓磨たくま君、大丈夫?」

「うん、気遣ってくれてうれしい。ありがとう」


 赤面する少女からハンカチをそのまま受け取って、自分でぎゅっと握り込む。彼女の可愛らしい花柄のハンカチを汚してしまったから、お詫びに新しい物を買って返さなければと思いながらも、今はヤタの方が気になる。拓磨たくまが再び視線を空に向けると、加賀見かがみも彼の腕にしがみ付きながらつられて空を見た。


「なんだか勇ましく出て行った割には、動きがたどたどしいわね」

「危なっかしくて見てられないな」


 無精ひげの男と美少女が同じ感想を持つ程に、ヤタはぎこちない。弱っていた白鴉も動きに精彩を欠くが、ヤタはとにかくモタモタとした感じで、戦うのは不得手といった様子。

 ヤタは鳥達とは仲が良く、おそらくケンカをした事がないのだろう。鳥との戦い方がわからずにもたついている印象。白鴉の牽制に慌てふためいてヨロヨロとする姿は、見ているしかない地上の人間からすると、まだるっこしいの一言だ。

 それでも白鴉が逃げないように抑え込む事は出来ていて、二羽が絡み合う空中戦は続いた。風のない今日、白と黒の羽毛が絡み合ってゆっくり真下へと降り落ちるが、地面に落ちると光の粒になって散り、まるで淡雪のように儚く消えた。黒い羽根も、白い羽根も残らない。


 ついに白鴉に隙が出来た。咥えていた石を取り落とし、それに気を取られたのだ。石を追って地上に降りる白鴉に覆いかぶさるように追いかけたヤタは、そのままの勢いで相手を店の敷地の地面に押し付ける。鷲が獲物を捕まえたような雄姿に、三人は思わず感嘆の声を上げた。

 真っ先に我に帰った少年は、少女の腕を振りほどいて走り出し、靴を履くのもそこそこに玄関から飛び出すと、ヤタが踏みつけている鳥を交代して抑え込む。抗議の声はギャアギャアと、耳元で騒がれるとやたらとうるさい。


「静かにしろ!」


 拓磨たくまらしからぬ強い口調で、抑え込んだ白い鴉に命令すれば、びくりと跳ねて大人しくなった。

 空中から落ちた翡翠色の石は地面で粉々に砕けていて、それに気づいた白い鴉は更にうなだれる。流石に少し可哀相に思えて来た。

 

「ヤタ、偉かったね」


 黒い鴉の頭を軽く撫でて労われば、フンスと鼻息荒く、胸を張ってドヤ顔をしつつ、ふっくらと膨らんだ。しかしふと何かを思い出したようにシュッと細くなって首を巡らせると、落ちて砕けた翡翠色の石のところにちょんちょんと軽やかに跳ねて行き、ズガガガとすごい勢いで地面をつついて拾い集めて、ゴクン。

 その動作は流れるようで、止める間もなかった。

 元々ヤタから出て来たものだから大丈夫なのか? と固まって見ていると、ゆっくりと白戸しろとも外に出て来て、拓磨たくまが抑え込んでいた白い鴉の嘴と足を握り、しっかりと捕まえてくれた。

 

「ガラス代は弁償してもらわないとな」


 という言葉に、更に力なくなすがままの白い鴉は、再び白戸しろとの家の中に回収された。


* * *


 今日は日曜であるが、剣持けんもちは霞が関の端にある小さなビルのエレベーターホールにいた。文部科学省の分局を置くとして建設された新しい建物ではあるが、中務省なかつかさしょうのような公にできない部署を隠れ置くために作られただけあって、セキュリティは厳しい。


――解体の危機は乗り越えたが、だからといって高い評価がついたわけでもないから、今後も日陰の身は続くだろう。


 生真面目な男はこの場所に来るたび、陰鬱な気分になる。陰陽師の地位向上は切望していた事だが、今は何が正しいのかわからない。権力を手に入れる事と、陰陽師が評価されるのは別問題だと気が付いたから。

 エレベーターに乗り込むと五階のボタンを押す。静かに上昇する箱の中で、これから会う相手を思う事も憂鬱だ。

 高性能の最新のエレベーターは、迷う時間も躊躇に従って引き返す事を考える暇も与えず、希望の階に男を運んでしまう。

 扉が開けば、仁王立ちして待ち受ける大高室長の姿。


「部屋で待っていてくだされば」

「もっと早く来ると思っていた」

「自宅から急いでも三十分はかかる距離なので、ご容赦ください」

「報告は?」

「……何についての報告でしょうか」


 エレベーターホールでそのまま会話を始めるせっかちな相手に、いつも以上に違和感が生じる。そもそも土日に出て来るような働き者ではなかったはずだ。


「面白い物を手に入れたそうじゃないか」

「面白い物?」


 演技でもなく、素直に疑問を口にすれば、大高は若干顔を歪ませた。


「風水師の鈴」


 部屋に入ろうとセキュリティーカードをパネルに当て、ドアノブにかけていた手が思わず止まる。

 あの女との会話の内容、得た情報は部下にすら伝えず、自分の胸に現状は秘めたままだ。なんなら白戸しろとにすら伝えていない。

 一呼吸の間で何事もなかったようにドアを開け、部屋に入る。動揺するな、悟られるな。必死に自分に指示する。何処から漏れたのか、大高が何処まで知っているのか、大高は信頼できる相手なのか、何故今なのか。それらを目まぐるしく考えながら自席に向かい、何も関係ないファイルを手に取った。


「鏡の調査はしておりますが、鈴、とは?」


 振り向きながらそう問えば、不快そうに上司は口元を歪めた。その視線の先を見て、気づく。


――しまった、セキュリティカードか。


 首にかけられ、常に持ち歩くそれに何か仕掛けられていた。自身も部下の動向を探るために式神を付ける事もあったが、陰陽師でもなく、特に仕事をしない大高がそのような行為に及ぶ事までは頭が回らなかった。

 むしろ、そのような行動に出た事自体がおかしい。大高に入れ知恵をし、仕切ってる背後の別存在を感じ取った瞬間だった。


* * *


 家に戻ると白い鴉は再びタオル敷きの箱に入れられ、更には半分ほど蓋をし、首だけを出している状態になった。もう飛び出す事が出来ない事に諦めたのか、素直な様子を見せる。


「さて。あの石を持ち去ろうとした理由を言ってもらおうか」

「ホシカッタ」

「何故、欲しかったんだ」

「チカラ、チカラ」


 喋るのは喋るが、短い単語をとぎれとぎれに、しかも割れたような鴉の声は聞き取りにくくて、気持ちよくは会話が成立しない。鳥の言葉がわかる拓磨たくまだが、この鴉は鳥の言葉も発しない。


「ヤタは会話できないの?」


 膝上に陣取る黒い鳥に話しかけてみれば、あまり乗り気ではないのか時間をかけて、溜息混じりに彼女は言った。


『私と同じ御使いだもの。拓磨たくまが力を分けてやれば人の形になるよ』

「え、この子も御使いなの? 確かに神様の使いは、基本的に白いって聞くけど……」


 どうやら今度はこの白い鴉に口づけなければならないらしい。しかも今は加賀見かがみもいる。鴉に普通に話しかける自分を見て、訝し気に首をかしげている彼女に、口づけの事は絶対にバレたくないと思った。


「ちょっと試したい事があるので、いいですか?」


 薄々何をするのか理解したであろう男から、白い鴉を箱ごと受け取り隣の部屋に行く。

 女の子の姿になったりしたらややこしい事になると思いながら、いつもヤタとしているように、嘴の先を軽く啄むように口づけた。

 スイッと力が吸い取られるような感覚と共に、腕に抱えた箱が重さを一気に増す。いつもは反射的に目を閉じてしまっていたけど、この日この時初めて目を開けたまましてみたところ、まるでアニメの魔法少女の変身シーンのように、一瞬で白い輝きに包まれた鴉のシルエットがあっという間に人型になり、光が収まるとそこに女児に見紛うばかりの可愛らしい男の子が。

 小柄な拓磨たくまでも抱っこし続ける事が出来る、幼い少年だった事に驚いて、思わず取り落としそうになる。はずみで眼鏡がずれてしまった。

 人間の年齢でいえば、八歳程度だろうか。しかしその顔にはとても見覚えがあって、拓磨たくまはしばし、その顔を見つめ続ける。

 今目の前にいる子供は、父に見せてもらったアルバムの、幼い頃の敬一けいいちそのもの。男女の区別が曖昧な中性的な顔立ちは人形のように整っていたから、生きた人間ではないように感じてしまい、考えの足りない幼い思考の持ち主なら例え玩具のように扱っても罪悪感を持たないのではと思い至ってゾッとした。それほどまでに作り物めいていると感じるのも、敬一けいいちの写真を見て抱いた印象と全く同じだった。

 潤んだ大きな瞳と長い睫毛、自分を見上げるその姿。丈の短い着物を着ていて、ぎゅっと拓磨たくまの胸元を不安げに握り込む。


 彼と同じ顔の着物姿……で思い当たる存在がひとつ。


「まさか、叢雲むらくも……?」


 ハッと顔を上げた幼い少年は、更にシャツを握る手に力を入れて、瞳一杯に涙をため、こくりと頷いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る