第十八話 鏡と鏡姫


「あれ?」


 拓磨たくまの視界には、古い家特有の板張りの天井に丸い天使の輪のような蛍光灯。

 パチクリと瞬きすると、丸い緑の輪の残像が見えた。

 自分は白戸しろとの家に泊ったのだったろうか。というか、前回泊ったあの日から長い夢でも見ていたのかと思うほどに混乱した。


 自らの神粒しんりゅうを男に分け与えるため、口移しという行動に出たはずだったのだが、唇が触れあった感触と、ざりっとした無精ひげがわりかし痛かった。彼に神粒しんりゅうを与えなければと思いはしたものの、ヤタのように吸ってくれるわけでもなく、ただ注ぐだけでは意味がないように思え、どうしたらいいのか迷った気はするのだけど、それ以降、今の天井を見てる自分までの記憶が繋がらない。


 目をこすりながら体を起こせば、自分が居間横の客間にいる事に気付く。隣の部屋に繋がる襖が僅かに開いていて、細やかにテレビの音のようなものが聞こえた。

 布団から抜け出してそっと襖を開けてみれば、つけっぱなしのテレビの前で、炬燵に突っ伏すように剣持けんもちが寝ていた。ヤタはそんな彼に潰されるように膝の上で目を閉じていたが、拓磨たくまに気付くとぱちりとまぶたを上げて黒い瞳を見せた。


「クァ」


 鴉としては随分控えめな猫の欠伸のような声を彼女が出すと、剣持けんもちはガバリと頭を上げた。腕を枕にしていたようで、傷とは逆の頬にシャツの皺が刻まれている。時計は夜の1時を指していた。


「起きたか。具合はどうだ」

「すみません、また寝ちゃってましたか僕……」

「お父さんから連絡があったぞ」

「あっ」


 白戸しろとの家に行く事はメモを残したが、遅くなる事は伝えていなかった。そもそも長居はするつもりでなかったし。


白戸しろとは随分、君の父上に信頼されているんだな」

「色々とお世話になっている事を知っているので……。あ、白戸しろとさんは」

「すっかり落ち着いた様子だ。ただ、回復にはまだ時間がかかるのだろう、今は眠っている」

「そうですか」


 ほっとした。


剣持けんもちさんも休まれた方がいいのでは。僕は家が近いから帰れますし、さっきまで使ってた布団で申し訳ないですけど……」

「そうだな、明日の朝の運転で居眠りをするのも不味いし」


 ふぁ、とヤタが欠伸をして、剣持けんもちもそれにつられた。


「家まで送ろう」


 膝上の鳥を脇に寄せて男が立ち上がるが、拓磨たくまは固辞した。


「本当に近くですし、治安もそれほど悪い所ではないので」

「そうか? だが……」


 男子とはいえ子供を深夜に一人で帰すのは、とモゴモゴと口の中で言葉を紡いでいたようだが、おそらくこれまでずっと白戸しろとに付き添っていたのだろう、睡魔に負け気味だ。少年はそんな責任感が強いが不器用そうな男の背を押して、隣の客間に押し込んだ。


「大丈夫ですって」

「じゃあ連絡先を伝えておこう。このアドレス宛のメッセージにはすぐに反応出来るから。危険があれば必ず呼ぶように」

「はい、ありがとうございます」


 過保護で心配性なところを微笑ましく思いながら、連絡先をもらった少年は、こちらも眠そうなヤタをバッグに詰め込んだ。


 玄関を出て、鍵がかけられない事に気付く。

 いつも勝手に閉まっていた不思議な扉だが、今思えばあれも打掛と同じで働き者の付喪神の仕業だったように思う。

 白戸しろとの体調のせいだろうか、扉は勝手に閉まる事はない。もしかしたら付喪神が役目を終えて消えたのかもしれないし。

 いくら家の中にいるのが手練れの二人の成人男性とはいえ、一人は病人でもう一人は眠りが深くなりそうだ。古物などもあるから泥棒の心配がなくもない。


「僕にも出来るだろうか」


 かつて白戸しろとが母の日記に封印を施してくれていた。

 あれと同じような事ができないか、閉めた玄関扉に手を添える。


「悪意ある者に、この扉は開かれない」


 扉に念を込める。


「出来てるかどうか確認の方法がないな」

『出来てないっぽい』

「うーん、やっぱり無理かあ」

『もう一度やって?』

「え? うん」


 扉に触れた記憶がある。だが、次に我に帰った時にはすでに、足は敷地から出ようとしていた。


「あれ……」


 また


『出来てるよ』


 ヤタはこちらを見ずにそう答えると、もぞもぞとバッグの底に体を沈めて行った。


* * *


 剣持けんもちは手に持った携帯が振動する感触で目を覚ました。白戸しろとの事が心配で、呼吸をしているか夜中に何度も確かめに行ったりと落ち着かない数日を過ごしていた疲れが、夢を一切見ない夜を作ったようだ。


 タイマーをかけていなければ、昼まで寝てしまっていたかもしれない。そんな事を思いながらまだ少し重い体を起こすと真っ先に、白戸しろとの寝室に向かった。

 眠っているなら起こさない方がいいだろうと、特に声もかけずに静かに襖を開けてみれば、空っぽの布団が目に入った。


白戸しろと!?」


 姿が見えない事に一瞬狼狽したが、掛布団は丁寧に畳まれ、打掛も衣紋掛けの定位置に戻っていた。台所の方から物音がしてそちらに向かえば、寝間着の浴衣姿のままではあったけど、見知った男がゆっくりとした動作で使ったコップを洗い終えた所だった。


「起きて大丈夫なのか」

「ああ。まだ違和感はあるがすぐ慣れそうだ」

「そうか」

「おまえこそ、こんな毎日ここに入り浸っていて大丈夫なのか」

「あんな状態のお前を放置するわけにもいかないだろう。だが、もう大丈夫なら帰る。妻に浮気を疑われているしな」

「世話をかけてしまった」


 頭を下げる姿に、若干の気まずさが沸いて出た。


「昔、俺がお前にやっていた事を思えば、この程度の事が贖罪になるとは思えはしないが」

「むしろ剣持けんもちのおかげで助かっていた。罪の意識など持たないでほしい」


 ダイニングテーブルと揃いの椅子を引いて腰を下ろすと、剣持けんもちにもそうするように促した。素直に対面の椅子を引く。


「ずっと、人と深く付き合う事が出来なかった。おまえがどんな理由であれ、俺の周囲から人を追い払ってくれた事は、むしろ有難かった」

「龍になる、という話に通じる理由でか」

「ああ」

「……話してくれるのか?」

「聞いてもらいたい」

「自分でよければ」


 居住まいを整えて、真っすぐに無精ひげの男を見つめる、その実直な姿に白戸しろとの口元も綻ぶ。


「俺の実の両親は風水師だ」


 それが何か? とは言えない程度には、剣持けんもちは色々と情報を得ていた。神粒しんりゅうを操る事にかけて長い歴史を持ち、その操作に長けた技術を持つ職業。気の流れ、すなわち神粒しんりゅうの流れを目視できるのはその血筋のためだったのかと納得をする。


「記憶にはほとんどない年頃であったから、おそらく三歳ごろだったと思う。入退院をその頃は繰り返す、原因不明の難病を患っていた。今ならわかるがあれは、おそらく細胞が分裂した時に増えるべき神粒しんりゅうが増加しなかったのだと思う。細胞は増えても神粒しんりゅうが増えなければ、その細胞は次に分裂する事が出来ない。結果として、成長に必要な細胞数のバランスが崩れたのだと思う」


 静かにうなずいて先を促せば、僅かに白戸しろとは視線を落とした。


「このままでは死にゆくしかない俺を助けるために、体に常時神粒しんりゅうが補われ続けるようにと、父母は風水の知識を使った。それが俺の体に人工的に龍脈を作る事だった」

「そんな事が出来るのか!?」

「龍脈には必ず竜骨と呼ばれる結晶が出来る。いやその結晶が神粒しんりゅうを誘引し、龍脈を構築しているのかもしれない。とにかく父母はそれを見つけ出し、俺の体に埋め込んだ」

「そんな人体実験のような事を」

「俺の体の細胞は、分裂しても神粒しんりゅうを生み出さない。だが外部から補われれば、その細胞は再び分裂できる」

「だがその新たな細胞も神粒しんりゅうを持たないから、外から補うというのを繰り返すという事か」

「生きている限り、ずっと不足し続けるという事だな。周囲から奪い続けるしかない。成長期が終わってからは随分落ち着いてはいたが」

「しかしそれが何故、龍に繋がる?」

「俺の体の大部分の神粒しんりゅうは”人間の体を構築する”という意思がコピーされていない事になる。プレーンな神粒しんりゅうは龍に寄るそうだ、生物学者であるたっくんの父上の話によるとね」


 白戸に神粒しんりゅうの知識がある事を息子から伝え聞いた大磯おおいそ教授は、彼に相談を持ち掛けていて、その時に拓磨たくまも聞いたあの仮説を白戸しろとも知っていた。


「体のあちこちに鱗が出来ていた。最初は何が起こっているのかわからなかったが、その説明を聞いて得心がいった」

「なるほど、それで龍になると」

「ちなみに、周囲から奪うという属性の、最初の犠牲者は両親だ」

「え?」


 突然の告白に、傷の男は思わず体を反らしてしまった。


「体が回復に向かう中、成長期も相まって、何の意思の制御も出来なかった俺は、両親の体にある神粒しんりゅうを吸いつくしてしまった」

「事故と聞いたが」

「まあ、事故と言えなくもないだろうが。父母が何を俺にやったか知っていた一部の親類は、原因に思い至ったのだろうな。神粒しんりゅうを視認できる特性の子を陰陽師が欲しがってると聞いて、俺が自制出来るように訓練させる思惑もあって、剣持けんもちの家に。俺の龍脈の事は内密にしてな」

「人が周囲に居れば、何かの拍子に巻き込むと思ったのか」

「それもあるし、増え続ける不気味な鱗を知られたくなかった。だがこのような形であっても、生きながらえてしまったのなら何かこの命に意義を持たせたかった。その目的を見つけてしまったかもしれない」


 どれほど冷たく当たろうと、虐めようが白戸しろとは何も言わず、ただ陰陽師としての修行に邁進していた。そしてその知識と力を良い方向に使おうと模索し続けていた孤高の姿を思い起こせば、気にしなくて良いと言われても罪悪感に刺さる。


「俺に話すという事は頼りたい事があるという事だろう? 自分に出来る事であるなら」

「たっくんの情報を共有しておきたい」

「彼に何かあるのか」

「たっくんも神粒しんりゅうを吸収し続けている」

「あの子も龍に寄る可能性があるのか!?」


 白戸しろとは静かに首を左右に振る。


「もっと特殊な事情がある。詳細はまた別の機会に話すが今は結論だけ伝えておきたい」

「……なんだ」

「たっくんが、俺たちが探していた光返山ひかえしやまの鏡だ。そして彼の中にはその付喪神の鏡姫がいる」

「なんだって!?」

「俺は鏡姫が、あの子に成り代わる日が来る可能性を危惧している」

「それも怖いが鏡である事がバレたら、彼は全世界から狙われるぞ」

「守りたいと思っている。力を貸してくれるか」


 衝撃が大きく頭は全くまわっていなかったが、彼を守る事に関して否などなく、とにかく民芸品の赤べこのごとくコクコクと繰り返し頷く事だけは出来た。


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