第十七話 彼のために出来ること
「力が欲しかったのは、おまえの方だったのか」
「ドコニ、カクシタ!」
「あれはもう失われた。残念だったな」
「コノ、オロカモノメ、ナントイウコトダ」
もう一度絞り出すように「ナントイウコトダ」と発し、白い鴉は飛び去って行った。
「なんだあの鳥は。色が白いが、鴉なのか?」
玄関から半身を出して空を見上げる
傷の男は、一気に年を取ってしまったような年下の元義弟に、どう対応するのが正解なのかわからずにいた。
* * *
「あれ父さん? そのパソコン、ネットに繋がってないんじゃ」
「ああ、これはこれでいいんだ」
父が執筆に使っているパソコンの、LANケーブルは外れていた。
「バックアップが面倒なんじゃ」
「……またメールが届いたんだ」
「メール?」
父が携帯を取り出し、画面を
「は
送り主のわからないメールは以前も届いていた。父が兄
「ハッキングと入力したかったのかもしれない。このメールが届いてから気になって、大学のシステム部の担当に調べてもらったら、外部からのアクセスの形跡があったみたいだから、一応、な」
「だから家で書いてたんだ」
普段家にいない事の多い父が、在宅で籠りきりなのはヤタの件だけが原因ではなかったようだ。メールの差出人がますます気になって来る。
「この論文、外部に漏れるのはまずくてな」
「そんな画期的な内容なの?」
「そうだな、おまえには話しておいてもいいかもしれない。タクは龍というものは想像上の生き物だと思うか」
「うーん……そうだね。地球上の生物のパーツの寄せ集めである時点で、人間が考えたのかなという気はする」
龍の九似説というのを聞いた事がある。角は鹿で頭は駱駝、眼は兎で胴体は蛇、腹は
「動物の方が龍に似ているとしたら?」
「え」
「人間も胎児……二か月目の頃なら」
父のスマホに胎児の月齢別の図が表示される。
「爬虫類、っぽい……?」
「細胞分裂に
「聞いてる」
「そもそも生物の誕生がどうなされたのかわかるか?」
「宇宙から来たアミノ酸が結合して、という話は」
「ただの物質が科学変化をしたとしても、自らの意思で分裂して生物になっていくと思うか? 材料が揃っていたとしても、そうなった最初のきっかけは?」
「きっかけ……まさかそれが
「そう。細胞分裂をすれば
「何故、増やす必要が……?」
「龍が実在すると仮定する。生物の細胞分裂による
「意味がわからないんだけど」
父が何を言い出しているのか理解が追い付かず、混乱する。父は少し困ったような顔をしたが、荒唐無稽な話をしている自覚はあるらしく、ファンタジー小説の設定だと思って聞いてくれと言う。
「宇宙空間には龍という生物がいるとする。彼らは広い宇宙を旅している。悠久の如くの長い寿命もあるのかもしれない。しかしいつか死する事もあるだろうし、生物であるなら仲間も増やしたいと願うだろう。彼らは
ヤタも
「アミノ酸等の化合物に、最小単位の神粒の既存意思が働いて、細胞を構成し、やがてそれは分裂をするという技能を得る。そうやって神粒を増やし、再び龍の個体を生成する、億の年数をかけて」
「あ、元々が龍の形状を構成していた
「その通り!
「なるほど」
「おそらく最初に地球で栄華を誇ったのが恐竜だったのも、そのせいだと思われる。龍に近い性質の方が抵抗なく進化出来るといった具合に。鳥も恐竜の子孫だから、龍に近いといえるな」
羽繕いをしていたヤタに、父は視線を向ける。鴉は自分の話題なのかどうかわからなくてキョトンとし、少し首を傾げた。
「じゃあ人間は?」
「人間は龍の記憶を越える強い意思を持つようになっていて、まだ自我のない胎児の頃でしか形状を引っ張られないのだと思う。元々隕石がなければ、恐竜がそのまま繁栄して人間の出番がなかったはずだから、龍にとって人間のような存在は相当なイレギュラーなのかもしれない。龍の意思を凌駕し、繁殖による種の保存だけを目的としない生き物というのはね」
ただこれらは仮説でしかなくて、これから証拠を探して証明できなければ、本当にただの小説のアイデアにしかならないと、父は笑った。
* * *
次の日の放課後、
訪れたアンティークショップの、看板の支柱にやたらと達筆で「しばらく休業します」と書かれていて不安が芽生える。傍らに停められているのは
インターフォンを押す前に現れるいつもの
「君か」
「あの、
彼は少し視線を彷徨わせたが、長く息を吐きながら中に招き入れてはくれ、ぼそりと「体調を悪くしている」と言った。
普段から静かな屋内だが、いつも以上に付喪神たちが息をひそめている感じがする。何とも言えない緊張感がある中、
「
最後に会った時は飄々とした様子の、不調の欠片も感じられない姿だったはず。
しかし今の力なく横たわるその姿は、かつて見た
「寒そうだな」
そう言うと
すると、不意に
「たっくんか」
「はい。具合はいかかですか?」
「病院での検査の結果だが、造血細胞が活動していないらしい。というかすべての細胞が分裂を止めているらしくて、原因は不明だそうだ」
「それって……」
細胞分裂に
バッグを開くと、慌ててヤタを取り出した。
「ヤタ、どういう事なの」
ふっと笑う気配がした。
「鴉は悪くない。俺を助けてくれた。龍に変わる事を止めてくれた」
「龍に変わる!?」
声を上げたのは
「そのお話、気になりますが、今は」
これがもし完全な枯渇状態であれば、
「どうして……」
『タクマ、私にくれる時みたいにしてあげて』
「えっ」
「君はその鴉と会話が出来ているのか?」
「え、あ、はい……」
「最近の鴉は喋るのが普通なのか……?」
傷の男は白い鴉の存在を思い出していた。
「どうしよう。口移しだなんてそんな」
思わずこぼれた言葉に、
「それが
「僕、自分の中の
「やってくれ。今の
「は、はい」
だが、あと数センチの勇気がでない。
更には
迷い、躊躇し、それ以上寄れないまま逡巡していたら、真っ先に待ちくたびれたのはまさかの打掛で、にゅっと袖から腕が飛び出したかと思ったら、
無事、唇と唇ががっちり重なった。
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