第十七話 彼のために出来ること


 白戸しろとはゆっくりと立ち上がる。剣持けんもちが慌ててその体を支えた。玄関扉も杖の変わりにし、慈愛に満ちているとも取れる穏やかな声を発した。


「力が欲しかったのは、おまえの方だったのか」

「ドコニ、カクシタ!」

「あれはもう失われた。残念だったな」

「コノ、オロカモノメ、ナントイウコトダ」


 もう一度絞り出すように「ナントイウコトダ」と発し、白い鴉は飛び去って行った。


「なんだあの鳥は。色が白いが、鴉なのか?」


 玄関から半身を出して空を見上げる剣持けんもちの視界からも、鴉はあっという間に消えて行った。しばらく行先に視線を送り続けていたが、ガタリと重い音がして慌てて振り向けば、白戸しろとが床に膝をついていた。慌てて助け起こす。「ありがとう」と答える声は弱々しい。

 傷の男は、一気に年を取ってしまったような年下の元義弟に、どう対応するのが正解なのかわからずにいた。


* * *


「あれ父さん? そのパソコン、ネットに繋がってないんじゃ」

「ああ、これはこれでいいんだ」


 父が執筆に使っているパソコンの、LANケーブルは外れていた。


「バックアップが面倒なんじゃ」

「……またメールが届いたんだ」

「メール?」


 父が携帯を取り出し、画面を拓磨たくまの方へ向ける。


「はシーケー……?」


 送り主のわからないメールは以前も届いていた。父が兄敬一けいいちの生存を意識したきっかけのメール。


「ハッキングと入力したかったのかもしれない。このメールが届いてから気になって、大学のシステム部の担当に調べてもらったら、外部からのアクセスの形跡があったみたいだから、一応、な」

「だから家で書いてたんだ」


 普段家にいない事の多い父が、在宅で籠りきりなのはヤタの件だけが原因ではなかったようだ。メールの差出人がますます気になって来る。


「この論文、外部に漏れるのはまずくてな」

「そんな画期的な内容なの?」

「そうだな、おまえには話しておいてもいいかもしれない。タクは龍というものは想像上の生き物だと思うか」

「うーん……そうだね。地球上の生物のパーツの寄せ集めである時点で、人間が考えたのかなという気はする」


 龍の九似説というのを聞いた事がある。角は鹿で頭は駱駝、眼は兎で胴体は蛇、腹はしんという蛤、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛であるという。現存する生き物の集合体で、人間の想像の範疇から出るものではない。伝説の生き物というのは大抵、既存の生物のキメラだ。人魚もそうだしペガサスなんかも。


「動物の方が龍に似ているとしたら?」

「え」

「人間も胎児……二か月目の頃なら」

 

 父のスマホに胎児の月齢別の図が表示される。


「爬虫類、っぽい……?」

「細胞分裂に神粒しんりゅうが絡んでいるというのは、以前言ったのだったか」

「聞いてる」

「そもそも生物の誕生がどうなされたのかわかるか?」

「宇宙から来たアミノ酸が結合して、という話は」

「ただの物質が科学変化をしたとしても、自らの意思で分裂して生物になっていくと思うか? 材料が揃っていたとしても、そうなった最初のきっかけは?」

「きっかけ……まさかそれが神粒しんりゅう!?」

「そう。細胞分裂をすれば神粒しんりゅうも二倍に増える。つまり生物の構成システムは神粒しんりゅうを増やすためのものなのだ。神粒しんりゅうを増やすために生物を生み出した、とも言えるかな」

「何故、増やす必要が……?」

「龍が実在すると仮定する。生物の細胞分裂による神粒しんりゅうの増加は、龍の繁殖方法なのではないかと思うんだ」

「意味がわからないんだけど」


 父が何を言い出しているのか理解が追い付かず、混乱する。父は少し困ったような顔をしたが、荒唐無稽な話をしている自覚はあるらしく、ファンタジー小説の設定だと思って聞いてくれと言う。


「宇宙空間には龍という生物がいるとする。彼らは広い宇宙を旅している。悠久の如くの長い寿命もあるのかもしれない。しかしいつか死する事もあるだろうし、生物であるなら仲間も増やしたいと願うだろう。彼らは神粒しんりゅうの塊で、おそらく相当な量。死する時期が来ると、生まれて間もない惑星に降りる。もしくは墜落するのかもしれない。その衝撃で最小単位の神粒しんりゅうとなり、大地に散らばって行く。種を撒くようにね」


 ヤタも神粒しんりゅうの塊だ。触れる事も出来るほどに実体化しているところ、この物質が究極的に集まれば巨大な生物も構成可能だろう。放射線の影響すら受けないその物質なら、宇宙を旅するのも全く苦にならない。


「アミノ酸等の化合物に、最小単位の神粒の既存意思が働いて、細胞を構成し、やがてそれは分裂をするという技能を得る。そうやって神粒を増やし、再び龍の個体を生成する、億の年数をかけて」

「あ、元々が龍の形状を構成していた神粒しんりゅうだから、特定の意思がなければ龍の形をどこかで目指そうとするという事!?」

「その通り! 神粒しんりゅうのふるまいは強い意思に引っ張られるが、意思の指定を受ける以前のプレーンな状態では龍を構成した時代の記憶があるとすると説明がつく。生物が増加するごとに神粒しんりゅうが増えるから、繁栄を生物任せにするために、強い意志に反応するという性質があるのではないか。生物が自らの仲間を増やすために必要で、変化させたい部分を変えられるように」

「なるほど」

「おそらく最初に地球で栄華を誇ったのが恐竜だったのも、そのせいだと思われる。龍に近い性質の方が抵抗なく進化出来るといった具合に。鳥も恐竜の子孫だから、龍に近いといえるな」


 羽繕いをしていたヤタに、父は視線を向ける。鴉は自分の話題なのかどうかわからなくてキョトンとし、少し首を傾げた。


「じゃあ人間は?」

「人間は龍の記憶を越える強い意思を持つようになっていて、まだ自我のない胎児の頃でしか形状を引っ張られないのだと思う。元々隕石がなければ、恐竜がそのまま繁栄して人間の出番がなかったはずだから、龍にとって人間のような存在は相当なイレギュラーなのかもしれない。龍の意思を凌駕し、繁殖による種の保存だけを目的としない生き物というのはね」


 ただこれらは仮説でしかなくて、これから証拠を探して証明できなければ、本当にただの小説のアイデアにしかならないと、父は笑った。


* * *


 次の日の放課後、拓磨たくまは帰宅するなりバッグにヤタを詰め込む。白戸しろとの家に行き、これからはヤタがこちらで生活する旨を伝えなければならないし、二人の関係も気になった。その証拠ともいえる卵も、そっと同じバッグの中に忍ばせる。ヤタが「えんがちょ」的な発言をした気がするが、無視する。今からお邪魔するとメールをしたが、返信がないのも気になった。


 訪れたアンティークショップの、看板の支柱にやたらと達筆で「しばらく休業します」と書かれていて不安が芽生える。傍らに停められているのは剣持けんもちの車だ。

 インターフォンを押す前に現れるいつもの白戸しろとの姿は無く、呼び鈴の音の後に開いた扉に手をかけていたのは、珍しくスーツをラフに着崩した剣持けんもち


「君か」

「あの、白戸しろとさんは……?」


 彼は少し視線を彷徨わせたが、長く息を吐きながら中に招き入れてはくれ、ぼそりと「体調を悪くしている」と言った。

 普段から静かな屋内だが、いつも以上に付喪神たちが息をひそめている感じがする。何とも言えない緊張感がある中、白戸しろとの寝室であろう奥の部屋へ案内された。襖を引いた先の布団に中に、静かに横たわる見知った姿。


白戸しろとさん、どうしたんですか」


 最後に会った時は飄々とした様子の、不調の欠片も感じられない姿だったはず。

 しかし今の力なく横たわるその姿は、かつて見た古賀こがの母の様子に似通っている。


「寒そうだな」


 そう言うと剣持けんもちは隣の部屋から打掛を持って来て、男の布団の上にふぁさりと掛けた。

 すると、不意に白戸しろとは瞼を上げた。


「たっくんか」

「はい。具合はいかかですか?」

「病院での検査の結果だが、造血細胞が活動していないらしい。というかすべての細胞が分裂を止めているらしくて、原因は不明だそうだ」

「それって……」


 細胞分裂に神粒しんりゅうが関与する。それが分裂を促す事を鑑みれば、今の白戸しろとはまさに枯渇した状態。今までの出来事を総合して考えればヤタが白戸しろとの神粒を食べ尽くした……?

 バッグを開くと、慌ててヤタを取り出した。


「ヤタ、どういう事なの」


 ふっと笑う気配がした。


「鴉は悪くない。俺を助けてくれた。龍に変わる事を止めてくれた」

「龍に変わる!?」


 声を上げたのは剣持けんもちだった。


「そのお話、気になりますが、今は」


 これがもし完全な枯渇状態であれば、白戸しろとの中の細胞は死にゆく一方。代謝が繰り返されないという事は、彼自身も死に向かうという事だ。慌てて手を取る、かつて古賀こがの母親にしたように。しかし、あの時にように細胞自身が欲して吸い取るような、そんな感覚は一切なかった。ひどく冷たい手に、拓磨たくまの体温だけが奪われる。


「どうして……」

『タクマ、私にくれる時みたいにしてあげて』

「えっ」

「君はその鴉と会話が出来ているのか?」

「え、あ、はい……」

「最近の鴉は喋るのが普通なのか……?」


 傷の男は白い鴉の存在を思い出していた。


「どうしよう。口移しだなんてそんな」


 思わずこぼれた言葉に、剣持けんもちがあからさまに眉を寄せた。


「それが白戸しろとを助けられる手段なのか」

「僕、自分の中の神粒しんりゅうを譲る事が出来るんです」


 剣持けんもちは顎に手を添え、眉間の皺を深くした。この男も、白戸しろとの今の状態が神粒しんりゅうの枯渇であろうという事は見当がついていた。つまり分けてもらえるならば、彼はこの状態を脱する事が出来るはずとすぐに思い至る。


「やってくれ。今の白戸しろとはいたたまれない」

「は、はい」


 白戸しろとのうっすらとあげていた瞼が、すでに落ちかけていた。何も言わないが限界が近いのだろう。これは人命救助の人工呼吸のようなものである。覆いかぶさるように、顔を寄せる。

 だが、あと数センチの勇気がでない。

 更には剣持けんもちの視線が痛い、というか気になる。この人、やたらとじっと見てくる。そしてヤタも、何故か餌を見る時みたいに目を輝かせている気が…。


 迷い、躊躇し、それ以上寄れないまま逡巡していたら、真っ先に待ちくたびれたのはまさかの打掛で、にゅっと袖から腕が飛び出したかと思ったら、拓磨たくまの後頭部をわしっと掴み、問答無用でぎゅむっと押し付けた。

 

 無事、唇と唇ががっちり重なった。


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