第四章

第十六話 黒鴉白鴉


 倉庫の中には二人分の影。

 ぺらり、ぺらりとゆっくりと紙をめくる音だけが響き続ける中、時折コンテナの中からズルリと重い物が動く気配。その都度、二人の男はコンテナに視線を向けた。


「DNA解析と血液検査の結果を見る限り、間違いなく元人間だな」


 切れ長の目を更に細め、ヂォン  雲嵐ウンランは満足げに頷くと、見終わった手元の書類の束を傍らの男に渡した。受け取った男は片言の中国語で答える。


「龍への変態途中で神粒しんりゅうが足りなくなり、この状態で留まっているというのが当方の見解です。集めきる事が出来れば、完全な形状を得るでしょう」

「愚かだな」

「は……?」

「安心せよ、お前の事ではない。愚かしいのはこの者だ。龍の何に憧れたのか知らぬが、ここまで体を作り変える事が出来る神粒しんりゅうと強い意志があるなら、姿は人そのままに龍の権能のみを望めば良い物を。かつての、我が国の皇帝のようにな」


 権力者に必要なのはものはいくつもあるが、龍はそのすべてを兼ね揃える。知識とそれを使いこなす知性、自由に空を飛び、天候を操り豊穣を約束する人には得難い力、不老不死ともいえる長寿、病に侵されぬ体。


 かつての皇帝は、国土全ての龍脈を探らせ、時には鈴を使ってラインを変え、己の元に全土の神粒しんりゅうが集まるよう龍穴の場所を玉座の下に人工的に作り出してきた。

 それでも人の強い意思でその振る舞いを変える流動的な物質に頼る力では、万単位の民衆の反感を買えば、簡単に皇帝の力を失わせる。神粒しんりゅうで作られた地位であることを忘れ、傲慢になれば、人心を失い容易に失脚するのだ。

 逆に言えば、上手く人民の意思をコントロールすれば、不滅の力となる。まず神のように信仰させ、少々の傲慢を許せる程度に心酔させる事で強く信じさせれば、神粒しんりゅうは大きな力となる。かつての皇帝は順番を間違えた。神粒しんりゅうが強い意思を優先して簡単に振る舞いを変えてしまう事を知らなかったからこその過ち。自分の地位は安寧であると気を緩ませた者の末路は歴史が教えてくれる。


神粒しんりゅうを多く取りこめば取りこむほど、知性は増す。まずは知能のレベルを高め、神粒しんりゅうの効率的な使い方が出来るようになるべきなのだ。そのほかの力は後からで良い。大抵の事は今現在の人間の力と金でどうにでもなるからな」

「この個体を研究すれば、どうやって人間の身で大量の神粒しんりゅうを取り込む事が出来たかわかる、という事ですね」

「この者は見てくれを変える事に使い切って、知性のかけらも感じられないのが残念だ。語ってもらえたら簡単だったのだが」


 ただ食べて、眠るだけの中途半端な発展途上の生き物。それがコンテナの中身だった。高野は下手くそな中国語で相手の機嫌を損なわぬように気をつけながら、若干の不安を覚えた。この化け物は本当に、のだろうか?

 時折こちらを伺うような、ぎょろりとした眼球の動きが気になった。


* * *


 ヤタの口づけ。嘴づけ? を拓磨たくまは断固として拒否をする。


「やだ、無理。絶対無理」

『え~なんでえ』

「無理なものは無理」


 両の頬を黒い翼でバサバサとはたかれながらも、少年は鴉の凶器のような嘴をわしづかみ、顔にまとわりつく黒い鳥を引き剥がした。



 ヤタは産んだ卵に見向きもせず、温めもしない。このままでは卵が死んでしまうのではとオロオロとしていたところ、父が帰宅した。


「本体がデカいと卵も大きいな。卵で腹が圧迫されて、それで余計に辛かったのか。出たならもう楽になっただろう」

「父さんどうしよう、温める素振りがないんだけど」

「無精卵なんじゃないか?」

「え?」

「まさかとは思うがおまえ、スーパーの卵も温めればヒヨコになると思っているのか?」

「はっ」


 反射的に赤面した息子を、父親が温く微笑んで見守る。少年はいたたまれない。

 ヤタが卵を産んだと狼狽えてしまったが、よくよく考えれば鳥はつがいがいなくても卵を産む。小学生の時にクラスで飼っていた一羽しかいないジュウシマツが、卵を産んだ事もある。

 ヤタはヤタで、この卵を『うんこだよー』と言って憚らないし。

 そして、ほっとした自分にすごくビックリした。


「元気になったならよかった。もう飛べるようだし、見違えるようだな。真田さんに報告したら放してやるか」

「えっ! もう?」

「人に慣れ過ぎても良くないからな。動けるようなら帰してやらんと」


 ヤタなら大丈夫なのに、と言いそうになって口ごもる。


「情が移りすぎたらもっと別れが辛くなるぞ」

「う、うん」


 最初から情があるのだけど、差し出された箱に素直に入っていくヤタを見守る。ヤタがぱちくりと長い睫毛を上下させたが、外に放しても白戸しろとの所に行けば会える。だから玄関までの見送りだけにした。

 しかし、十分もしないうちに父は鴉が入ったままの段ボールを持ち帰って来たのである。


「あれ!? 放鳥しなかったの?」

「それがだな」


 ゴミ置き場の清掃をしている真田に報告に行ったところ、万人が嫌うあの黒い虫が出た。父は仕事柄耐性があったが、パニックになった真田の悲鳴の方に驚いて思わず箱を落としてしまった。

 箱から出た鴉は、しばらくキョトンとしていたようだが、目先に黒い虫が走るのを見て、嬉々として追いかけて啄んだらしい。

 隠れていたそれらを、見つけ出してはヒョイパク、ヒョイパクと……。


「あれを、食べた……?」

「ほら、野生では貴重なたんぱく源だから。コオロギとそれほど変わらないし。人間視点ではちょっとアレだが」


 野良猫やカラスに荒らされないマンション屋内のゴミ置き場。大家である真田の目下の悩みはあの害虫で、小まめに掃除をし袋をしっかり閉じ直したりと小まめに監視していたが、それでも奴らは現れる。その悩みをこの鴉が解消してくれたのだ。

 食べ尽くした頃合いに父が箱を差し出すと、ちょんちょん跳ねるように寄って来て、再び素直に入ったらしい。


「恩を感じて返そうとしてくれているのか、元々人に飼われていたのか。ただの野生の鳥ではないかもしれないという気がして来て。もし飼われていた鳥が逃げ出したのであれば、自然にそのまま帰すのも酷だから」

「えっと真田さんの見解は?」

「定期的にあれを駆除してくれるなら、ぜひうちで飼って欲しい、そうだ。鴉は狩猟鳥獣だから、元々が野生でも飼育が法律で禁止されているわけでもないしな。一応申請が必要かどうかは問い合わせておくが」


 ヤタと暮らせる。

 それがなんとも嬉しくて、父が論文の続きを書くために書斎に向かったあと、箱から黒い鳥を抱え出して抱きしめた。

 拓磨は彼女の温もりを感じるだけで幸せだったが、ヤタはそれで満足するわけではなく速攻でいつもの神粒しんりゅうを欲しがった。


「ヤタ待って」

『いっぱい使って足りないの』

「使ったって何に」

『うんこするのに?』

「あれは卵だから!」

『何でもいいや。ねえ、欲しいの。タクマのが欲しい』


 なんでそんな色っぽい口調なのか。まさか白戸しろとにもこんな感じで迫ったというのか。ああ、でもちょっとグラリとする。普段の幼児っぽさとのギャップが良い。新たな性癖の目覚めなのか、本来の自分への気づきなのか、混乱しながらも素直に身を任せたい。

 しかしこの嘴は、アレをさっき食べたばかり。鴉にとって普通であっても、自分の抵抗感はMAXである。

 普段より強く抗う事になって、なんとか引き剥がす事に成功した。


 欲望に打ち勝ったという気持ちと、父がいる時に女の子になられるのはまずいという事にも気付き、ほっと胸をなでおろしたのである。

 ヤタは不服そうに、頭の羽毛を逆立てた。


* * *


「本当に、入院しなくて良かったのか?」


 助手席に座っていた白戸しろとに肩を貸しながら、傷の男は問う。


「病院でどうにかなるものじゃないから、父母はあれを使ったのだろう」


 自嘲気味に独り言の如く呟く無精髭の男の蝋のような顔色に、剣持けんもちは大きく息を吐いた。


「たまたま俺が報告のために来て気付いたから良かったものの。だがこのままではおまえは」

「本来なら遠い昔に潰えていたはずの命だ。それほど悔いがある訳ではないから」

「そんな哀しい事を言ってくれるな」


 せっかくわだかまりが無くなったのに、とまでは言えなかった。

 白戸しろとはひどい貧血状態で、肩を貸す事でなんとか玄関までたどり着く。


「玄関の付喪神は散ってしまったのか」

「ああ」


 短い返答に男の体調の悪さが垣間見え、再度息を吐きながら静かに開けると、靴を脱がすために一度、かつての弟を座らせた。不意に背後から声がかかり、傷の男は反射的に振り向く。白戸しろとも聞き覚えのある声に顔を上げた。


「ナゼダ、ナゼ、ウシナッテイル」


 ワナワナと震える声は、地面に舞い降りて来た白い鴉から発せられていた。


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