第三章
第十一話 異国人
思い出はいつも、白く輝く光の中。
人の醜さには辟易する。
ルールを作り文化的な生活をして、宗教や教育で倫理や道徳を植え付けられていても、欲望に抗う事ができず漏れだす本能。
所詮は猿のまま。
最初から素直に動物であることを認めていられれば、自然の一部として美しかったであろうに。
生き残り、種を繋ぐ。それだけでよかった。
中途半端な禁止や節制が生み出す歪みが、耐えがたい醜悪さで。
だけど私も、耐える事に美徳を感じてしまう。むしろ本能と欲に打ち勝つ事が出来れば、動物より一歩進んだ生き物になれるのではないかと思え、私は私を縛ってしまった。
君が「お祝いに」と持ち込んだワイン。
それに何か仕込まれている事は、いつもと違う不自然な態度でわかっていたよ。でも、私は気づかないふりをする。
今日だけは、アルコールと薬。そして君のせいにして。
罪を自分以外の全てに転嫁する事で、やっと素直な本来の生物としての美しさを手に入れられた。動物として本能まま、欲望に溺れる事が許されたのだ。
獣の咆哮は「愛してる」という叫びだった。
私はひたすら吠え続けた。
* * *
伝い落ちる血液は、
「怪我をしているのか」
「……っ!」
「俺たちは貴女に危害を加えに来たわけではない。霧で立ち往生をしたところ、不思議な音が聞こえたから来ただけで」
なるべく落ち着いた声を出す事で、彼女にも落ち着いてもらおうと試みた。握ってみれば手首は微かに震えていて、少し力を籠めるだけで、素直に首からナイフは離れて行った。
ゆっくりと
「その怪我はバイクの転倒で?」
先ほどのバイクと、女の服装からの問いかけであったが、すぐに違うとわかったのは、黒いライダースーツに開いた穴が、破れたようなものではなかったからだ。
「まさか銃なのか」
近づいて見れば、出血量も相当あるように見受けられる。
「わたし……どうしよう……」
女の声は途端に涙声に染まる。
「どうしよう。このままでは見つかってしまう」
「見つかる? 何から」
その傷をつけたであろう何者か、という予想はついた。とにかく彼女は何者かから、この霧を使って逃げようとしていたらしい。そして微かに遠巻きにされているような人の気配……。相手が銃を持っているとすれば、少年二人を連れて来てしまったのは失敗だったかも。
現代日本で、警察官や自衛官以外で銃を持つといえば、あとは猟師などであろうか。しかし彼らが持つのは散弾であろうし、聞き慣れない銃声は騒ぎになる。
高速道路で横転した車も、もしかしたら無関係ではないような予感がした。
「人の気配はあるけど、近づいて来る感じはないな……」
小声で傍に寄った
「だめ、もう惑わせないみたい」
「その道具はいったい……。いや今はここを離れるのが先決か。貴女も治療が必要な様子だ」
「
先ほどから周囲を伺う素振りを見せていた
「見つかってしまったんだわ、もうダメ!」
怯えた女は
しがみつかれては身動きが取れないが、すでに彼女はパニックに陥っていて、握りしめた彼のスーツの両脇から手を離しそうにない。けが人を無理矢理振りほどく事は、男には出来なかった。彼女の道具も気になる。保護して詳しい話を聞きたかった。
「
「無理はしなくていい、時間稼ぎの無力化ができればそれで」
銃を持つかもしれない相手に苦渋の選択だが。
自衛隊基地での
「あ、
少年は頷くと、パーカーの前を閉め、フードを深く被った。緊張している様子はあるが落ち着いている、彼なら大丈夫だと自分自身にも言い聞かせる。
「来る」
鋭く
が、間髪を入れずに銃声。多少の音量が抑えられて、タンッという籠った音はサイレンサーの存在を感じさせる。明らかに、人を害するための銃を持つ者で、善人ではありえない。
この霧の中、照準を合わせて撃つのは不可能だろうが、偶然という事もある。危険な事を少年二人にさせる訳にはと思う大人としての気持ちと、何故かこの二人に任せるべきだと思う冷静な陰陽師としての自分。
その見立てが間違いではない事を、すぐに確認する事が出来た。
次の銃声に、
大量の
「これは本当に、教えられる事など残っているのか?」
思わず独り言を発しつつ、女を守るため
「あっ」
木陰から突然飛び出して来た男が、
しかし突然、
「え!?」
「相手にも術者がいるのか」
霧の奥にあり得ないほどの人影が沸いて出る。足音や気配は、見える人数より明らかに少なく、大部分が幻影であると三人は判断した。
しかし霧はこちらを隠すが相手もを隠す。どれが幻影なのか咄嗟の判断は難しい。
しかし指示すら仰がず、躊躇なく
まさか突っ込んで来るとは思わなかったのであろう敵のざわめきは、聞き慣れない異国の言葉。
深い霧の中、一人の少年の無双が始まる。
* * *
ほの暗く大きな倉庫の中に、革靴が小さなジャリを踏む音がノイズとなって響く。外からの光を取り入れる窓は無く、鉄骨で組まれた武骨な建築物はそれなりに天井は高い。
昼夜も判断できぬその場所の中央に、巨大なコンテナは置かれていた。
「いつまで眠るつもりだ?」
忌々し気にコンテナの前に乱雑に置かれた木箱を見れば、散乱する食物の欠片。
「寝ていても腹は減る、か。本能しか残っていないようなコレが、本当に目的のものに変化するだろうか」
足音の主は静かにその場を後にする。
コンテナから遠くなるほどに照明は増え、男の輪郭が徐々に浮かび上がる。
非常口を示す緑のランプに照り出されるその顔は、
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