第十話 龍の雛


 後部座席に拓磨たくまを深く座らせ、シートベルトをしっかりと装着させると、少し不安そうな顔をしたが、「大丈夫」と声をかければほっとした顔をして微笑んだ。少しはにかむ姿はいつもの拓磨たくまのものではあったけど、どこまでも清麗せいれいで、穢されないように守らなければという庇護欲が沸くのは、先程の女性的な仕草を見たせいだろうか。

 神社で生まれ育ち、神という存在への畏敬と忠誠心を養って来た事を思うと、醸し出される神聖な雰囲気は己の心をとらえて離さない。


 そのまま古賀こが剣持けんもちに目線で促された通り助手席へ。

 最初の信号での停車で後ろを振り向けば、揺れが心地よかったのか少年はスヤスヤとすでに寝息を立てており、剣持けんもち古賀こがは顔を見合わせる。


「さっきのは、何だったんでしょうね」

白戸しろとが何か知っているかもしれない」


 お互いの声が聞こえるギリギリの小声では会話は続かない。しばし無言で車は進むが、高速道路に乗った直後に渋滞に捕まった。


「ん? 事故か。表示は特になかったと思うのだが」

「起きた直後なのかもしれないですね」

「仕方ない、次の出口で下道に降りよう」


 じりじりと進む車列の一部となって進み、そろそろ出口といった所で道を塞ぐように横転する二台の白い車。多数の破片もあり、脇を抜けて先に進むのは難しそうだ。

 これだけの事故ともなると巻き込まれた車も多く、軽く損傷した軽自動車と普通車の数台が路肩にハザードを焚いて停車している。そしてやがて遠くから近づく、いくつかのサイレンの音。

 

「これだけの事故なのに、けが人はいないのか?」

「ガードレールの外に出てるのは、路肩の車の人ですよね」

「変だな、救急車が先に来るはずはないと思うが……」


 道を塞いでいる事故車を見ながら、全ての車が出口の方向に出る。混雑のため速度は遅く、けが人が出ていないとすれば奇跡のような、あり得ないほどの惨状をゆっくり眺める羽目になってしまった。


 そして高速から降りた車が、下道にも渋滞を作る。


「あまり通りたくはないが、混雑を避けるなら峠越えのコースだな。国道とは思えない細さで走りにくいが、それほど対向車もいないだろうから」

「酷道ドライブの動画で見た事がありますよ」

「まあ少し田舎に行けば、何処にでもこういう道はあるものだ」


 横道にそれ、ややして坂道となり、急に地面の状態が悪くなる。現れた大きく出来た凹みは避けようのないサイズで、車は上下にガクンと揺れた。


「……あれ……?」

大磯おおいそ!?」


 古賀こがは体ごと振り向き、剣持けんもちはルームミラーにちらりと視線を向けると、子供のように目元をごしごしと袖でこする少年の姿が見えた。


「僕、もしかしてずっと寝てました……?」

「……目を覚まさないから、今日はもう帰ってもらおうとしている所だ」


 剣持けんもちはあえて、拓磨たくまの不自然な状態については触れなかった。


「す、すみません。なんだか色々考えてたらパニックになったみたいで」

「そういう所も鍛錬で矯正していこう」

「はい……」


 しょんぼりと萎れてしまう様子は可哀相だったが、あまり甘やかしても良くないだろう。厳しくした方が応えるタイプのようにも思えた。

 不意に男はハンドルを強く握る。


「なんだか霧が出て来たな」

「わ、本当ですね、真っ白だ。この道で霧は怖いですね。でも何か不自然じゃないですかこれ」


 助手席の古賀こがも身を乗り出して目を凝らして道を確認するが、これほどの濃霧ではどうしようもない。速度を落とし、じりじりと進むしかない。

 速度が出てはいなかったが、急ブレーキが踏まれると三人はガクンと大きく前に揺れた。数メートル前に、転倒したバイクが一台……。


「この霧で転倒したのか?」

「人の気配はないですが」

「でも今、何か音がしたような」


 窓に貼りつくように外を見ていた拓磨たくまは耳を澄ます。


「このままの移動は危険だから、少し霧が晴れるまで待つか。いったんエンジンを切ってみる」


――チィ・・・・ン


「俺にも聞こえるぞ、大磯おおいそ

「なんだろう、仏具のリンの音のようだ」

「高く澄んだ音ですが……この音に合わせて霧が動いて見えません?」


 音が鳴るたびに、霧はぐぐっと一定方向に動き、その厚みを増しているように見える。


「これ、もしかして霧じゃなく神粒しんりゅうじゃないですか!?」

「確かに感じるが、俺にも見える濃度だと……?」


 陰陽寮おんみょうりょうの人間として、神粒しんりゅうに関する事は見逃す事が出来ない。パワースポットと呼ばれるような場所でも、傷を持つ男が見る事が出来なかった事を考えると、この状態は異常だった。つい車を降りてしまう。つられて少年二人も車を降りた。


 ふと少年の想像力が、良くない影響を与えはしないかと心配になって、剣持けんもちが目を向ければ、拓磨たくまは左腕の鈴をぎゅっと握りしめて自制していた。


「音の出所を確認したいが」


 危険があるかもしれないと思えば、二人を連れて行くわけにはいかないが、ここに置いて何かあってもいけない気もする。あまり長い付き合いではないが、足手まといになるような気は全くしなかった。


「音は小さいけれど、波紋のようなものが見えます」


 この三人の中で一番神粒しんりゅうが見えている古賀こがが、わずかな音が作り出す揺らぎを見つけた。音がなるたびに、水紋のように広がっていく波が見える感じであろうか。


「こちらの方から」


 残る二人も頷くと、古賀こがの後ろに続く。

 杉林の木々の間を抜け、多少のアップダウンの中、ふんわりとした感触の杉の葉を踏みしめて行く。落ちた枝が増えて歩きにくいがお互いはぐれる事がないように確認しながら進んでいた。


 突如、神粒しんりゅうの霧を黒い影が割り、古賀こがは後ろから羽交い絞めされ、首筋の冷たい感触に動きを止める。


「何者だ、おまえたち」

「先輩!」


 わずかな霧の揺らぎの中から現れたのは、冷徹な雰囲気をまとうライダースーツの美女。右手に持ったナイフは的確に古賀こがの首に当てられていた。

 静かに、赤い線が伝っていく。


* * *


「ひげ、なんであんなものが家から出て来るの」

「招いてはいないが侵入を許してしまった。とりあえずは入れ、肉まんが冷えるぞ」

「はっ! そうだった!」


 重要なそちらの事を忘れていたとばかりに、ヤタは慌てて靴を脱ぎ捨てて廊下に上がる。

 上がってすぐに何かを踏んだ。そっと足を避けると、またあの銀色の欠片。見つける頻度が増えて来た気がする。拾い上げて前を向くと、白戸しろとは無言で手を差し出して来た。言わんとする事はわかっていたので、素直にその掌に欠片を置くと、パシッといつものような音を立てて砕かれる。

 その様子を少女が恨めしそうに見ていたら、少し男は困ったような顔をした。そして……


「ぐっ……!?」


 急に表情を変えたかと思うと、勢いよく膝をつく。右手は口元を抑え、左手は胸に。一瞬で玉のような汗が噴き出した。


「……ひげ……? 大丈夫!?」


 急展開過ぎてヤタは固まってしまったが、即我に返って男の元に駆け寄った。どうしたらいいのかわからなかったので、何故か頭を撫でる。


「くそ……砕き忘れた物があるか……鴉、頼みがある」

「何? 私に出来る事?」

「この家の何処かに、さっきの欠片が落ちてないか探してくれ」

「わ、わかったの!」


 少女は走り出すと、タイツのせいで床を時々滑りながらも戸を開け放ってあちこちの部屋を探る。


 台所のテーブルの下に一つ。

 炬燵をめくれば中にも一つ。


 そしていつかの事を思い出し、打掛の袂に勢いよく手を突っ込んでもう一つ。打掛がびっくりして両手をバタバタさせたが「ごめん!」とだけ声をかけて、トイレや納戸、這いつくばって探してまわる。


 見える所にはもうなさそうだったので、急ぎ男の元に戻る。大きく肩が上下して苦しそうだが、集めて来た欠片を手渡すと、ぎゅっと握りしめて砕く。しかし苦し気な表情は変わらない。

 部屋のあちこちにある棚で、小さな付喪神が強制的に元の神粒しんりゅうに戻されて、憑いていた古物が砕けていく。


 椀が割れる。

 花瓶が砕ける。

 古本が燃え上がる。


 都度、耐えがたい老若男女の悲鳴が響き渡った。

 家全体がざわつきに溢れ、ヤタもひどく混乱をし、神粒しんりゅうが乱れ、不可解に暴れまわる様子を狼狽えながら見るしかできない。


「何が起きてるの」


 ヤタの肌もチリチリと痛み、自身も元の神粒しんりゅうに分解されつつあることを知った。


「ひげ! やめて、しっかりして」

「……っ」


 抗おうとしているのは見て取れる。だが本人の意思で抑え込めるような様子はない。少女は意を決したように唇を噛むと叫ぶ。その瞳は熾火のごとく赤黒く輝いた。


「シロトヒデトシ! 止まれ!」


 それまでの喧騒が嘘のようにピタリと全ての音が止む。

 突如訪れた静寂の中で白戸しろとの肩はまだ静かに上下し、ぽたりと汗が落ちるが瞳は平静さを取り戻していた。


「鴉、恩に着る」

「ひげ……どうしてこんな事に」


 しゃがみこむ半泣きの少女の目線の先、乱れた男のシャツの胸元は、落ちていた欠片と同じものでびっしりと埋まっていた。


 規則正しく並んだそれは、明らかに爬虫類の鱗と同じ。

 

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