第九話 顕現


 思わぬ来訪者に戸惑いつつも、白戸しろとの指にはすでに数枚の紙兵が挟まれており、次の瞬間には捕縛の網が白い鴉の上に舞う。

 白い鳥すべてを覆うようにかかり、捕縛を確信するが。


「なっ」


 思わず声が出る。


 この家の中は役目を終えた付喪神の効果で、どの場所よりも神粒しんりゅうの濃度が濃い。拓磨たくま程でないにしても、家の中であれば白戸しろとは多少の質量あるものを作り出す事が出来る。以前は少年の実力を見るために的を作ったりもした。動かす必要のないただの道具なら、自分の実力であれば造作もない。


 しかし鴉は軽く身を震わすだけで、その身にかかる網を元の神粒しんりゅうの状態に分解してしまった。


「ただの鳥ではないのか」


 ヤタ用の入り口に興味を持った野生の鳥が、うっかり入りこんだわけではないようだ。


「チカラガホシイカ?」

「は?」


 九官鳥の物真似のような抑揚のおかしさを伴うたどたどしさで、白鴉が使い古された陳腐な台詞を吐いたので、普段は沈着冷静な白戸しろとも思わず動揺する。


「タダビトガ、ソノ体デ、イキルノハ、ツライダロウ」

「!」


 白戸しろとはシャツの胸元を反射的に握りしめた。意図せずにじりっと、僅かに後ずさってしまう。


「何を知っている」

「スベテ」


 鳥の不自然なほどに赤い瞳が怪しく光った。ガラスのような艶やかな瞳に、狼狽する無精髭の男が映りこむ。


「……力は間に合ってる。用件はそれだけか」

「神ニ、チュウセイヲチカエ」

「知りもしない神に仕える気はない」

「オマエハ、カナラズ、ワガ神ノ、チカラガヒツヨウニナル」

「おまえの言う神とは何者だ」

「スデニ、アッテイルデハナイカ」


 記憶を辿れば容易にたどり着く。あの自衛隊基地で会った化け物。叢雲むらくもはあれを神の幼虫と呼んだ。


「おまえ、叢雲むらくもの使いか」

「カンガエル時間ヲヤロウ。マタクル」

「逃がすと思うか?」


 網は無くとも物理的に戸を閉め切ってしまえばいい。指をパチンと鳴らせばカチリと天井から音がして、白い鴉が侵入して来たであろう屋根の出入り口が施錠される。白い鴉はその赤い瞳を挑戦的に男に向ける。

 タイミング悪く、呑気なヤタが玄関を開けてゆるい声をかけて来た。


「ただいまなの~」

「しまった!」


 間髪入れずに白鴉は男に向かって翼を広げ飛んだので、白戸しろとは反射的に顔を両腕で庇ったが、鳥は彼に構わず頭上を抜け、障子を破ると部屋から廊下へ。そして一直線に開かれた玄関から飛び出して行く。瞬きの合間、一瞬の出来事であった。


 玄関にいたヤタの髪が、時間差でふわりと風に舞う。


「え? 今の何?」

 

 玄関に足を踏み入れていた少女が頭だけを出して外を仰ぎ見る。青い空に吸い込まれるように飛んで行く白い鳥の後ろ姿。

 しばしきょとんとし、目をぱちくりとしばたかせていたが、あれが何だったかを感じ取ると眉根をぎゅっと寄せた。



* * *



「では、陰陽師は式神では攻撃は出来ないのですか?」

「全く出来ないわけではない。例えば式神を用いて風を起こし、カマイタチのような物を発生させる事は可能だ。ただどのように風が舞うかは周辺環境の影響を受けるから、何処に発生するかわからないという事で実用的ではないな」

「先程の破壊のような事は」

「相当量の神粒しんりゅうが近くにあれば可能になる、といったところだ。少なくとも目に見える濃度で部屋が満ちていないと難しい」

「この場所は?」


 剣持けんもちの鋭い視線が、畳に空いた穴に向かう。古賀こがの視線もそれを追う。


「パワースポットと呼ばれるような場所は、基本的に濃度が濃い。ここもそのようなエリアだがこの破壊のレベルの量となると、難しいだろうな。少なくとも今までの修練で起こった事はない」

「なるほど……」

古賀こが君は、神粒しんりゅうがどの程度見えるんだ」

「人に影響を及ぼす程度になれば、見えていると思います」

「霊感がある、と言われる程度の感じか」

剣持けんもちさんは?」

「俺は見えない。肌感覚でわかるといった感じだろうか。白戸しろとは普段からかなり見えているようだが……」


 そういえば、白戸しろとには神粒しんりゅうはどのように見えているのだろうか。あの陰陽師としての才能の高さは、神粒しんりゅうが見える事に由来しているように思える。やはり見えない物をイメージするより、見える物がある方がその後の展開がしやすいからだ。

 あるかどうかわからない物を操るために、剣持けんもちがした努力は計り知れない。白戸しろとの天才性への嫉妬は、こういう所からも強化されていた。今なら素直に羨ましいと言えるのだが、昔はそれを口にすれば負けを認めるようで悔しかった。


「う……ん」

「おっ、目が覚めたか?」


 古賀こがが覆いかぶさるように横たわる拓磨たくまの顔を覗き込むと、少年が目を見開いてひどく驚いた顔をしたので、慌てて離れる。


「気分はどうだ」

「えっと……?」

「気を失ったんだ。何があったか覚えているか?」


 横から膝をついた剣持けんもちも話かけるが、拓磨たくまは怯えているようにも見え、どこか様子がおかしい。鬼を前にしても怖がっている様子はなかったのに。

 ふと頬に傷を持つ男は、彼の左腕に巻かれた組紐が気になる。


「これは?」


 剣持けんもちはそっと少年の左腕を取り、背中に手を添えて体を起こさせながら手首にある紐とその先で輝く音がしない銀の鈴に目を向ける。


白戸しろとの守り鈴か」


 指先でつまみ、しばし転がしながら術を読み取る。次いで紐に指を添わせて行くと、徐々に眉間の皺が深くなっていく。古賀こがが心配そうにその様子を見守る。


「紐の方の術は目くらましだ。複雑で何を隠しているのかわからないな……。そういえば白戸しろともずっと、この紐で髪を結わえている気がする」

大磯おおいそも出会った時からずっと付けてますね」

白戸しろとに外すなと言われているのか?」


 拓磨たくまに向けてそう問うが、少年は首をかしげるばかりだ。


大磯おおいそ、どうしたんだ。なんだか反応が鈍いな……」

「今日はもう帰した方が良さそうだな。しかし、修行は急いだ方がいい。彼がいると神粒しんりゅうの効果が強くなりすぎる。このままでは何でもない所で怪我をし兼ねないぞ」

「俺が、なるべく傍にいるようにします」

「それがいいかもしれない。とりあえず部下に車を……いや、俺が送ろう。白戸しろとと話もしたいし」


 剣持けんもちは立ち上がると紙兵を一枚取り出し、何かを口の中で唱え印を結ぶ。すると、一瞬でその紙兵は案内をしてくれていた男性の姿になった。


「部屋に戻って着替えが済んだら、玄関前へ」

「はい。さあ行こう、大磯おおいそ


 立ち上がらせて背中を押せば歩くが、不安そうで所在なさげな仕草。まるで初めての場所で、初めての人と会ったかのような。


「まさか記憶喪失になっている訳じゃないよな……?」

「……」


 その不安はどんどん膨れ上がる。着替えも上手く出来ないというか、シャツもズボンも着方がわからないかのような様子に、手を貸してなんとか纏わせる。

 靴も子供に履かせるように手を貸し、なんとか。玄関を出るとまだ剣持けんもちは来ていなかった。

 しかし外に出た途端、それまで足元ばかり見ていた拓磨たくまが、スイっと顔を上げて空を見た。その姿は凛としていて、先程までの自信の無さが嘘のよう。

 東京でも郊外となれば自然は多く、木々が風に揺れるさわさわという音と、名も知らぬ鳥の囀り。かなり遠くから電車の遮断機が下りる音が聞こえるが、冬とは思えない穏やかで過ごしやすい日差しの下、拓磨たくまは青空に心躍らせるように目を輝かせている。


 何となく話しかけてはいけない気がして見守っていれば、少年は楽し気に庭に足を向け、葉のない桜の枝にとまる小さな小鳥に話しかけている様子を見せた。

 そこに車のエンジン音がして、振り向けば剣持けんもちが玄関前まで車を回してくれたようだ。しかし拓磨たくまに声をかけづらい。何か神聖で触れてはいけない尊い物を見ている気持ちになって、どうしても邪魔が出来なかった。剣持けんもちが訝し気に首を傾げてから車を降り、古賀こがの隣で拓磨たくまに視線を送る。


 少年が手を伸ばすと、小鳥は吸い寄せられるように飛び、その指に降り立つ。


「童話アニメのプリンセスのようだな」

「あんな鳥寄せみたいな事が出来るんだ」


 小鳥と楽しそうに会話する姿が何とも美しくて神秘的。仕草が女性のようでたおやかだ。

 やがて鳥がその指から飛び去り、しばし見送っていた少年の視線がやがて二人に向いた。

 底の知れぬ吸い込まれそうな黒い瞳を澄み切った水晶の透明感が覆い、鮮明に二人の姿を映し込む。


 人ならざる存在が垣間見えて、思わず二人は背筋を伸ばした。


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