第七話 傷


 父が帰って来た。

 移動で疲れたのか、向こうでも何かあったのか、ひどく憔悴して見える。


「父さん、大丈夫?」

「ああ、うん。ただ、おじいちゃん、おばあちゃんちに連休に行く話はもうなしだ。お年玉は預かって来てる」


 父は上着のポケットからポチ袋を取り出すと、スイっと少年に差し出して来た。祖父母らしい、可愛らしいキャラクターのイラスト付きのやつだ。親戚の子供みんなに同じ封筒を使うので、高校生男子にも当然のようにファンシーな奴が来る。

 なんとなくの気まずさを感じながら受け取って中を覗き見れば、一万円円札が二枚、四つ折りになって入っていた。中学の頃は五千円だったのだで、随分と増額されている。


「お礼の電話、した方がいいよね」

「しなくていい」


 被せ気味のスパッとした物言いには怒りが滲んでいて、これは祖父母に許しがたい何かがあったのだと察して、それ以上は何も言えなかった。

 

「もう親戚の集まりにも出なくていいから。もし父さんが先に死ぬような事があったら、葬式もしなくていい。あいつらを絶対に呼ぶな」

「父さん、何があったの」

「親類の手を借りたい時は母さんの縁者を頼れ。大磯おおいその家には助けを求めるな」

「父さん!」


 何があったのか、ここまで言われるなら聞かないといけない気がした。父が激しく祖父母を含む親類たちに怒りを持っている事しかわからないまま、絶縁のような事をするのははばかられた。


 父はしばし無言でいたが、理由を説明せずに縁を切るのは優しい息子には無理だろうと思い直し、リビングのソファーに腰を下ろすと拓磨たくまにもそうするように促した。


「鈴山のおば共を覚えているか」

「うん」


 忘れもしない、母の葬式で拓磨たくまの瞳を気持ち悪いと言った中年女性二人組だ。親戚の集まりとなると必ず顔を出す噂好きで口の悪い姉妹。廉次れんじとは十歳ほど年が離れており、拓磨たくまの前ではおばと呼んでいるが、血縁で言うと父の従姉妹にあたる。

 その鈴山の家は親戚筋では本家にあたるため、蝶よ花よと我儘放題に育てられたお嬢様。二人はことあるごとに親戚の集まりに来ては我が物顔で仕切りたがり、傍若無人に振る舞い、今も未婚で実家にいる。何故か母の悪評を言い連ねるところ、拓磨たくまに対しても風当たりが強い事もあり、正直少年としては会いたくない筆頭だ。彼女らに会わなくて良いというのは有難い気持ちはある。


 廉次れんじは何度も手を揉んで、視線をあちこちに振りながら、何処から、どの程度を話すのか決めあぐねているのか、なかなか発言をしなかったが、少年は辛抱強く待った。


「あまりおまえには言いたくないが、もしかしたらタクも被害に遭った可能性があるから言おう。兄は……敬一けいいちは、その二人から幼少期からいわゆる……いたずらを受けていた、らしい」

「……っ!」


 相槌を打つ事もできず、ただ息を呑んだ。

 そういえば幼い時、祖父母の家に遊びに行った時にもあの二人は来て、拓磨たくまの顎を掴んで上を向かせると「なんだ、あの女に似てるんだ、つまんない」と言った。あれが何を意味していたのか全くわからず、すっかり忘れていたが。


 小さい頃から綺麗な顔立ちだった敬一けいいち。最初はあまりにも見た目が可愛らしいから、「本当は女の子かもしれない、確かめてみよう」という好奇心で、二人は人気のない納屋に敬一けいいちを連れ込んで、無理矢理服を脱がした。当時、小学二年生だったという。

 それで二人は、よからぬ性癖に目覚めたらしい。お姉さんたちとイケナイ事をしたのだから、おまえも共犯だ。これを大人や周囲に言えば、お前が恥ずかしい思いをする、おまえが誘ったと女の私達が言えば周囲は信じるんだぞと脅し、それから小学五年に上がるまで、二人の横暴は続いた。

 

 誰にも知られないよう、ひたすら耐えて来た敬一けいいちの心は、この頃に壊れ歪み始めたのだろう。最初に気付いたのは幼馴染の沙耶さやだった。


「俺は全く気付いてやれなかった。人と距離を置く態度も、冷たい行動も、小さい時から可愛いとチヤホヤされて飽きて来たのだろう程度に思ってしまって……」


 兄弟間の嫉妬もあったのだと思う。そう付け加えて、廉次れんじは両手でシワの増えた顔を覆う。また一層老けたように見えた。

 

 沙耶さやはまず最初に、敬一けいいちの両親に窮状を訴えた。まず驚き、続いて怒り、鈴山の家に怒鳴り込んだらしい。しかし両親は先方の提示した示談を易々と受け入れてしまった。双子はライフステージ毎に同時に金がかかる。これからの学費の事、家のローン、新しくしたい車。

 あの二人が興味を持っているのは幼く可愛い男児、そろそろ飽きて解放する頃だから。せいぜい裸を見られて撫でまわされた程度、親愛のスキンシップとそれほど変わらないと、重大な被害を完全に軽量化されてしまったという。


 両親が当てに出来ない事を知った沙耶さやは担任教師にも救いを求めたが、親族間のこと、家族の問題に当時の教師が出来る事もなく。話を聞いてやり、保健室でのカウンセリングの手配をするのが精いっぱいだったが、敬一けいいちはそれらを拒否した。学校で何か対応されれば、廉次れんじに知られる、と。

 正義感で敬一けいいちを守ろうと動く沙耶さや。しかし彼女が周囲に助けを求めれば求めるほど、事件を知る人間が増えて行く。

 最終的に彼は「自分はあの経験を何とも感じていない。もう忘れた、加害者二人の事もどうでもいい」と、両親と幼馴染に告げる事で、騒ぎの鎮静化を図った。


 兄は弟に知られる事を、とにかく恐れていた、と。


 沈黙がリビングを支配する。


* * *


 白戸しろと剣持けんもちに出したもう一つの条件。それは陰陽師の修行を古賀こがにも受けさせることだった。


「先輩、これってどうしたらいいんです?」

「ああ、これはこうまわして、そう、そこで結ぶ。ああ結び方はこうやって、……こうだ」


 着慣れない道着、特に袴がよくわからなくて、拓磨たくま古賀こがに教えてもらいながらなんとか着付ける事が出来た。

 準備が整った所で迎えが来て、長い廊下を歩いて行く。都内のはずれにあるこの建物が、陰陽師修行の道場だという。



 父との会話はあの日は沈黙のあと、それ以上続けるのは難しく、以降は敬一けいいちの話題は家ではタブーになってしまった。

 過去の秘密を知ってしまえば、兄の行動も幼馴染の行動も全て合点が行ったようで、廉次れんじは苦悩のただなかにある。

 女性をはべらせているように見えたが、実際は女性に恐怖と嫌悪を持つようになっていたことを周囲に悟らせないためのフェイクだったのだろうと。派手な服や化粧で存在感を出し、自分が敬一けいいちの一番だからと周囲に示し、一定以上は他の女が敬一けいいちに近づかないように牽制し続けた沙耶さや

 力にはなってくれなかった両親、正義感で暴走する幼馴染、何も気づかずにいる弟。人間不信になるのには十分すぎる環境に思える。


 敬一けいいちが主体性なく廉次れんじと同じ高校、同じ大学、同じ学科、同じ職業を選び続けたのは、自分の夢や望みを示談金で叶えたくはないという気持ちの表れだったのだろうか。

 あの人が生物のパーツを美しいというのは、それ以外は醜くしか見えず、命を構成する部品の単位で認識をしてやっと、彼は生物と向き合う事が出来たのかもしれない。


 そんな事をついつい考えてしまって、気がそぞろ。俯いて廊下をゆく自分の足元に視線を落としていたら、古賀こがが気遣わしく声をかけてくれる。


「すごく広いな。修行ってもしや、この廊下の雑巾がけだったりするかもよ。相当な足腰の鍛錬になりそうだ」

「え、それだと僕、半分も無理かも」


 前を行く案内の人がクスクスと笑う。三十手前頃の優しそうな男性だ。同じく道着を纏っている。


「陰陽師は学者に近いですから、肉体労働はそれほど怖がらなくていいですよ」

「げっ、勉強だったら俺がヤバイんだけど」

剣持けんもち様が二人に必要な修行内容を示してくださいますよ。さあ、こちらです」


 いくつも通り過ぎた似た障子戸や襖がたくさんあって、後から一人でこの部屋に来いと言われてもわからなさそうだった。無限に続くかのような廊下の不自然さに、古賀こが拓磨たくまは二人同時に、陰陽師の目くらましの一つがすでに作用しているのではと思い至る。こちらの考えを読んだように案内の男性が微笑んだのは、その肯定に見えた。

 障子戸が開けられるとそこは板間で、旅館の宴会場ぐらいの広さはありそう。


 その奥に正座をし、道着を着込んだ剣持けんもちがいて、二人を前に目を開ける。


 と同時に、後ろの障子戸は勝手に閉まり、案内役は消え、部屋の両脇から多種多様、角の数も体格も色も異なる鬼が次々と沸きだして、二人を取り囲んだ。


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