第二章

第六話 風水師


 思い出はいつも、白く輝く光の中。


 知られたくなった。君だけには。

 本当に、知られたくなかった。

 どうしていつも、君は気づいてしまうのだろう。

 どんなに些細な私の変化にも。


 その微笑みは私の心を癒し、安らぎを与え、苦難を乗り越える力をくれるから。そうだねもしかしたら、聖女というのは君みたいな人の事を言うのかもしれない。


 「自分だけが貴方を救える」と、そう思っているのは知っていたよ。

 でも聖女の君が、私を地獄に墜としていく。



* * *


愛梨あいり、お正月早々そんな事をしなくても」

「冬休みが終わったら忙しいもの」


 母と出かけていた初詣から帰宅してすぐ、長い黒髪をポニーテールに結わえなおして、割烹着を着こみ準備を整えれば、さっそく手近な本をめくって中身を確認しては分類していく。

 あの事件以降、加賀見かがみは死んだ父親の部屋の整理をしていた。片付けながら”鏡姫”にまつわる資料を探している。


 自分の事をずっと、”鏡姫”だと思いこんでいた。


 父が残した手記によると、神粒しんりゅうを集め続けるという特別な鏡の付喪神で、光返山ひかえしやまの女神として古くから信仰を集めていたらしい。いつ信仰がはじまったのか定かではないぐらい古い時代からだという。

 自分を鏡姫と思い込んでしまった理由の一つが、挟み込まれた女神の絵姿で、同じ物が父の蔵書から何度も見つかる。母がそれを見て開口一番「愛梨あいりに似てるわね」と言った事からだ。かつての加賀見かがみ家は、元は鏡という苗字から変遷したとも聞いていて、ゆかりを感じずにはいられなかった。


 ずっと特別な何かになりたかったのかもしれない。思春期特有のもの、いわゆる中二病と言われても仕方ないけれど、自分には不思議な何かがあると思いたかったのだ。


 いつも好きな事を楽しく語っただけで遠巻きにされてしまい、気づけば独りぼっち。だけどそんな風に友達が出来なくても、自分は特別な存在だから仕方ない。どうしても人間とは異なるのだから。

 自分は人の姿を取っているだけの付喪神で、人ならざる者。そう思えばどんな孤独も耐えられる。


 拓磨たくまと親しくなって、本当はずっと寂しかった事を知った。普通に話を聞いてくれるどころか、攫われた自分を助けに来てくれた雄姿が忘れられない。思い出すだけで胸が詰まって頬が熱くなる。知らず知らずに溜息も出るというものだ。

 彼が自分自身をただの加賀見愛梨かがみあいりとして見てくれるだけで、もう鏡姫というアイデンティティは自分には必要無くなってしまった。今では銅鏡が失われてしまった事もどうでもいい。


 ただ、その彼が神粒しんりゅうに興味を持っているようだったから、何でも聞かれたら答えられるようにしたいし、頼ってもらえると嬉しいから、研究の第一人者だった父の足跡を追う事で知識を身に着けようと思っている。この片付けは父や母のためではなく、自分のためだったから、新年早々も苦にならないのであった。


「私が鏡姫じゃないとしたら、本当の鏡姫は何処にいるのかしら……」


 叢雲むらくもの発言をかんがみると、とにかく神粒しんりゅうと鏡姫は切っても切れない関係。鏡姫の鏡が重要なのか、鏡の付喪神としての鏡姫が重要なのかはわからない。どちらが欠けてもいけないのかもしれない。

 父が持っていたあの銅鏡も、結局何だったのか今の所わからないし。とても古い物だったから、ただのガラクタという事はないはずだが。


 そして、叢雲むらくもは未だに自分を鏡姫だと思っているはずだからと、家の周囲では中務省なかつかさしょうから派遣されたという陰陽師の面々が、ひそかに護衛してくれている。

 以前は付きまとわれて迷惑をしていたが、今は心強い。再び攫われるような事になりたくない。鏡姫として扱われても、攫われてからそうでない事がバレても、どちらも危険な気がするからだ。


 その事もあって、鏡姫がどういう存在なのか、神粒しんりゅうが結局何なのかを知識として知っておくのはとても大事だと思うのである。

 父の残した膨大な資料の中に、必ずヒントがあるはず。手書きのメモや付箋も見逃せない。古文書の類も多いが、ファイリングされた資料もある。次に手に取った物は名刺ケースだった。


「これ、パパが会った人からもらった物かしら……」


 地方の新聞記者、教育委員会の役員、何処かのお寺の住職、何かの企業の取締役、カメラマン、文化財修復士、議員、弁護士、警察官、……風水師。


「風水師?」


 月刊レムリアでは占いに関する記事の特集もあったから、そういう系統での繋がりかもしれないが、他にそれに準ずるものはなく、名刺ケースの中でその一枚だけが異色である。なんとなく、その名前が引っかかった。


「風水師 白戸しろと げん


 中務省なかつかさしょうの傷の男が土下座していた相手。怪しげなアンティークショップの店主の男が同じ苗字ではなかっただろうか。黄ばんだ名刺は随分と古い物だから、彼と関わりがあるようには思えなかったが、風水師と父との関係も気になって、加賀見かがみはその名刺をケースから抜き取り、要調査とした重要な分類のフォルダに入れ直した。


* * *


 帰宅をしようとした拓磨たくまの手をヤタが取り、その掌に何かの破片が置かれた。薄く、親指の爪ぐらいのサイズと形。虹色がかった白銀で艶やか、かつ硬い。


「何これ。ヤタの物?」

「拾ったの~、この家の中で」

「えっ、じゃあ白戸しろとさんに渡したら?」

「うーん……」


 指先を口元にあてて、少女は何か思い悩む顔をした。


「あのね、これ今までも何回か拾ったの。そのたびにひげに渡していたんだけど、綺麗だから私もひとつ欲しいなあって」

「もらえなかったの?」

「うん」

「じゃあ、白戸しろとさんにとって大事な物なんじゃ」

「それがね、砕いちゃうの」

「砕く?」

「宝物入れに入れておいても知らない間になくなるから、タクマが持っていてくれたらいいかなあって」


 家の中にあった物という事は、これは家主である白戸しろとの物である。砕くという事は、そうしなければいけないのだろう。この家の物はいろんな付喪神だらけであるから、これもそれに関係するものだと思われた。持ち出すのは良くない気がする。


「ダメだと思う。人の物は持ち出したらいけないよ」

「そっか……」


 目に見えてヤタはしょんぼりと萎れた。心なしか、いつもぴょこんと立ってる頭頂部の毛束もしんなりしている。


「今度いい物、持ってきてあげる。これよりもっとキラキラしてるやつが確かあったから」

「ほんと!?」


 母の遺品の中で、ガラスの置物やちょっとしたアクセサリがあったはず。このままだと処分する事になるし、山に溜め込んだ宝物をもって来るぐらいだから、ヤタならずっと大切にしてくれるだろう。

 再度約束をして、拓磨たくま白戸しろと剣持けんもちに挨拶をしてから帰宅した。


 ヤタはしばらく掌で銀色の欠片を弄んでいたが、不意に閃いて部屋に戻ると打掛を呼びかけ、その手に欠片をポトリと落とした。打掛はきょとんとしていたが、ヤタが預かって欲しいと頼むと、しばし欠片を握ったり指でつついていたが、了承したとばかりにたもとにそれを入れた。


 その頃剣持けんもちは帰宅すべく玄関にいて、白戸しろとに靴ベラを返している所だった。


「修行をはじめたら、内容はおまえにも報告する」

「頼んだ」


 靴ベラを受け取りながら男は、かつての義兄あにに微笑みかけた。


「何を気にしているのか知らないが、そちらに迷惑をかけるような事はしないから」

「迷惑というかそういうのでは……」


 やらかされてはたまらないと様子を見に来たと思われたなら心外ではあるが、個人としておまえが心配であるという事を言うのもはばかれて、続く言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 しかし同性愛の線が消えたとなると、人に見せられない大きな傷があるという説が濃厚になる。しかしそれを聞く雰囲気でもなく素直に外に出ると、下駄を履いた白戸しろとも玄関先まで見送りに出てくれた。


 「じゃあまた」と声をかけて前をむこうとしたとき、白戸しろとの後ろの廊下を、セーラー服の少女がトトトトと走って行った。

 思わず目を見張れば、ぱっと背後を確認した義弟おとうとが「まずい」と言わんばかりに、軽く手を上げる軽い挨拶のみで玄関に入るとピシャっと戸を閉めた。


 慌ててガラス戸に取り付いた剣持けんもちは叫ぶ。


「女子中学生はもっとダメだからなっ! こら開けろ、白戸しろと! 今の子は何だ!」


 家の中から応答はなかった。


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