第五話 初夢
弱みを握ってやろうとずっと思っていた。
幼き頃の
だから彼と出会った我儘放題だった時代に知らずに済んだのは、結果的に良かったのかもしれない。それほど昔の自分は悪童だった自覚があるから。
しかし傷の存在を全く自分に気付かせなかったとしたなら、
ただ、自分が余計な事をせず仲の良い兄弟として育ったなら、もしかしたらいつか告白してくれていたかもという思いも去来した。
「傷の話は、うちの両親から?」
「ええ、貴方の頬の傷が気にならないかというお話の時に。ただ、お義母さまも実際にそれを見たわけではなくて、着替えさせようとした時に本人が、見せたくない傷があるからと言ったらしいの。だから本当かどうかはわからないわね」
傷があるとしたら、今なおそれは
「もうあんな男の事なんていいでしょ」と妻は唇を尖らせて、ぐいぐいと寝室に自分を引きずっていく。せめてシャワーをという懇願は却下され、彼女が満足して眠りにつくまで
* * *
ヤタがミカンをせっせと剥いている。ボロボロに剥くと片付けが大変だからと一般的な剥き方を教えたのだけど、何をどう理解したのか、実を取り出した時に残ってる皮がメルカトル図法の説明に使えそうな感じになっている。
あっという間に箸の使い方を覚えるなど、学習能力が異様に高い。
考える力は普通の鴉並みというか、小学校低学年の子供を相手にしているような感覚で、善悪の区別も曖昧だ。こちらが正しいと教えた事を素直に正しいと受け取って行くので、確かに間違えると危険な気がする。
席を外していた
「隣の部屋に布団を敷いたから泊まっていくといい」
「えっ、あ! すみません……」
慌てて時計を見ると、ヤタに色々教えている間にすっかり深夜になっていた。帰る事自体を忘れて、ヤタの相手をし続けてしまっていたのだ。父が不在なのは幸いであった。
寝巻として、かつてずぶ濡れの
「すまないが客用の布団は一組しかなくてな。鴉は炬燵で寝るなりするといい」
「ひげ、ひどい~」
「眠る必要がそもそもないだろう? それに鳥のくせに猫のように炬燵で寝ていたじゃないか」
「お布団~」
「じゃあたっくんの布団で寝たらいい。俺の所でも構いはしないが」
さらっととんでもない事を言う。
しかし振り向いた時には、すでにいそいそと敷かれた布団にもぐりこむ少女の姿……。鴉の時は一緒に寝たけれどこれは、ビジュアル的に大変まずい気がする。
どうしようかと逡巡している合間に、返事を待たず「おやすみ」と言って
「ヤタは服、そのままで寝るの?」
「脱いだ方がいい?」
「脱がないで!!」
少年の食い気味の返答に少し考える様子を見せた少女は、一度頭まで布団にもぐりこんでプルプルっと動くと、次に布団をめくったときには
一度鴉に戻ってもらう事を考えたが、そうなるとまた明日の朝には嘴キスふたたび。絶対タイミング的に
自分が炬燵で寝るべきかもと迷ったが、ヤタとは本当に久しぶりである。今は見た目は女の子だけど、元は鴉だし
打掛を布団の上にかけ、自分がもし寝ぼけて何か無体な事をしでかしそうになったら止めて欲しいと頼み込むと、彼女(?)は細い指でしっかりとOKマークを作った。
布団の感触を堪能するようにすりすりと枕に頬を寄せるヤタの頭を、ちょいっと撫でる。
彼女は鴉の時と同じく干した布団のお日様の香りで、何故かすごくほっとして、意外と余計な事を考えずにすんなり眠りに入ってしまった。
しかしその日見た夢は、轟音を上げて崩れる山の光景と、青い空に高く飛ぶ白い鴉。
そして、不思議な装飾の着物姿の自分が、不安げにこちらを見る姿。
初夢としては不吉な様子であった。
* * *
何処かで聞いた事がある声だなと、そっと障子戸を開けてみると、声の主と目が合った。
「きっ、君は……!?」
「え、
ハッと、自分が寝起きの乱れた浴衣姿であることを思い出し、すみません! と叫ぶと同時に慌てて障子戸を閉める。
急いで服を着替えて、寝ぐせを確認すると、再び障子戸を開けた。目に飛び込んで来たのはスーツ姿の頬に傷ある男が、普段の白シャツに紺色の羽織り姿の無精髭の男の胸倉に掴みかかっている所だった。
「
「何の話か知らないが、落ち着いてくれないか」
「
慌てて
「すまん、早とちりだった」
畳の模様が額につきそうなほど、見事な土下座を
状況の説明を
「しかしおまえ、それが心配でわざわざ朝から来たのか」
「釘を刺すなら、1秒でも早い方が良いと思ったのだ」
ふてくされてそっぽを向く姿は、いかつい見た目の割に子供のようである。
彼は目が覚めた時、傷が本当にあるなら仕方ないが、万が一もう一つの事由だった時、あの
「俺の事を心配してくれたのか」
「僕の事も……?」
顔をぐぐいと二人から背け、表情は見えなくなったが、耳がみるみるうちに真っ赤になって行った。
「ともかくだ!」
居住まいを整えて向き直ると、傷の残る頬を紅潮させたまま男は話を変える。
「用件はもう一つある。新年の会でも話題になったのだが、彼も
「それは、たっくんを陰陽師にしたいという事か?」
「そうだ。そうすれば何かあった時、同じ陰陽師として手も貸せるし、保護も援護も出来る。あの
「たっくんは、家に一人でいる事が多いのだろうか」
「え、あ、はい。父は仕事で数日空ける事もザラですし、北に新種が見つかったと聞けば、着の身着のまま飛び出して一週間戻らないなんてこともたびたび……」
「なるほど、あの父君はそういうタイプか……」
猪突猛進というか、今回の祖父母の家行きもそうだし、前回のアメリカ行きを決めた事も含め、「調べなければ!」となると脇目も振らずに行動してしまう。
「そうだな、俺に教えられる事は変則的な事になりがちだし、代々陰陽師の技術を受けついできている
多少の迷いはあった様子だがそれを振り切って、
「任せてくれ。お前の期待を裏切ったりはしない」
これについて
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます