第五話 初夢


 弱みを握ってやろうとずっと思っていた。


 幼き頃の白戸しろとは、家族全員で事故に巻き込まれたが彼だけが生き残り、それで剣持けんもち家に引き取られる事になったと聞いている。傷が出来たとしたらその時以外考えられなくて、流石にそれをネタにどうこうするのは人としてどうなのかという常識は今ならある。

 だから彼と出会った我儘放題だった時代に知らずに済んだのは、結果的に良かったのかもしれない。それほど昔の自分は悪童だった自覚があるから。

 しかし傷の存在を全く自分に気付かせなかったとしたなら、白戸しろとの方が何枚も上手だったということでそれは少し悔しい。

 ただ、自分が余計な事をせず仲の良い兄弟として育ったなら、もしかしたらいつか告白してくれていたかもという思いも去来した。


「傷の話は、うちの両親から?」

「ええ、貴方の頬の傷が気にならないかというお話の時に。ただ、お義母さまも実際にそれを見たわけではなくて、着替えさせようとした時に本人が、見せたくない傷があるからと言ったらしいの。だから本当かどうかはわからないわね」


 傷があるとしたら、今なおそれは白戸しろとを苦しめているのだろうか。おこがましいが色々と今は恩を受けている身だから、何か力になれたらと思った。

 「もうあんな男の事なんていいでしょ」と妻は唇を尖らせて、ぐいぐいと寝室に自分を引きずっていく。せめてシャワーをという懇願は却下され、彼女が満足して眠りにつくまで剣持けんもちが解放される事はなかったし、彼自身も疲れ切ってシャワーを浴びる余裕もなく気絶するように深く眠り、初夢を見損ねた。


* * *


 ヤタがミカンをせっせと剥いている。ボロボロに剥くと片付けが大変だからと一般的な剥き方を教えたのだけど、何をどう理解したのか、実を取り出した時に残ってる皮がメルカトル図法の説明に使えそうな感じになっている。

 あっという間に箸の使い方を覚えるなど、学習能力が異様に高い。白戸しろとが言うには、ヤタはあの見た目でも結局は神粒しんりゅうの塊だから、こちらの意思を感じ取って染まるのが速い、という事らしい。悪い方にも染まりやすいから、注意が必要だとも。

 考える力は普通の鴉並みというか、小学校低学年の子供を相手にしているような感覚で、善悪の区別も曖昧だ。こちらが正しいと教えた事を素直に正しいと受け取って行くので、確かに間違えると危険な気がする。


 席を外していた白戸しろとが不意に障子戸を開けた。


「隣の部屋に布団を敷いたから泊まっていくといい」

「えっ、あ! すみません……」


 慌てて時計を見ると、ヤタに色々教えている間にすっかり深夜になっていた。帰る事自体を忘れて、ヤタの相手をし続けてしまっていたのだ。父が不在なのは幸いであった。


 寝巻として、かつてずぶ濡れの剣持けんもちも着ていた浴衣を借りて寝る準備をしていたら、布団が一組しかない事に気付く。


「すまないが客用の布団は一組しかなくてな。鴉は炬燵で寝るなりするといい」

「ひげ、ひどい~」

「眠る必要がそもそもないだろう? それに鳥のくせに猫のように炬燵で寝ていたじゃないか」

「お布団~」

「じゃあたっくんの布団で寝たらいい。俺の所でも構いはしないが」


 さらっととんでもない事を言う。

 しかし振り向いた時には、すでにいそいそと敷かれた布団にもぐりこむ少女の姿……。鴉の時は一緒に寝たけれどこれは、ビジュアル的に大変まずい気がする。

 どうしようかと逡巡している合間に、返事を待たず「おやすみ」と言って白戸しろとは出て行ってしまった。


「ヤタは服、そのままで寝るの?」

「脱いだ方がいい?」

「脱がないで!!」


 少年の食い気味の返答に少し考える様子を見せた少女は、一度頭まで布団にもぐりこんでプルプルっと動くと、次に布団をめくったときには拓磨たくまと全く同じ柄の浴衣に変わっていた。服も神粒しんりゅう製だから、どうにでもなるらしい。

 一度鴉に戻ってもらう事を考えたが、そうなるとまた明日の朝には嘴キスふたたび。絶対タイミング的に白戸しろとに見られそうな気がした。今更でもあるが、何度も見られたいものではない。

 自分が炬燵で寝るべきかもと迷ったが、ヤタとは本当に久しぶりである。今は見た目は女の子だけど、元は鴉だし神粒しんりゅうの塊だと言い訳しながら、布団の隣に滑り込む。彼女は拓磨たくまが寝る位置にしばしいて温めてくれていたらしく、ほんのり暖かい。

 打掛を布団の上にかけ、自分がもし寝ぼけて何か無体な事をしでかしそうになったら止めて欲しいと頼み込むと、彼女(?)は細い指でしっかりとOKマークを作った。


 布団の感触を堪能するようにすりすりと枕に頬を寄せるヤタの頭を、ちょいっと撫でる。

 彼女は鴉の時と同じく干した布団のお日様の香りで、何故かすごくほっとして、意外と余計な事を考えずにすんなり眠りに入ってしまった。


 しかしその日見た夢は、轟音を上げて崩れる山の光景と、青い空に高く飛ぶ白い鴉。

 そして、不思議な装飾の着物姿の自分が、不安げにこちらを見る姿。


 初夢としては不吉な様子であった。



* * *


 拓磨たくまが人の話し声に目を覚ました時、すでに外は明るくなっており、慌てて飛び起きた。隣ではヤタがスヤスヤ寝ている。鳥なのにこんなに寝坊でいいのだろうか。時間はもう九時を過ぎている。

 何処かで聞いた事がある声だなと、そっと障子戸を開けてみると、声の主と目が合った。


「きっ、君は……!?」

「え、剣持けんもち……さん?」


 ハッと、自分が寝起きの乱れた浴衣姿であることを思い出し、すみません! と叫ぶと同時に慌てて障子戸を閉める。

 急いで服を着替えて、寝ぐせを確認すると、再び障子戸を開けた。目に飛び込んで来たのはスーツ姿の頬に傷ある男が、普段の白シャツに紺色の羽織り姿の無精髭の男の胸倉に掴みかかっている所だった。


白戸しろと、ダメだ、未成年はダメだ、絶対ダメだ! おまえは何て事を。手を出したのか!? 出してしまったのか!? いつからだ」

「何の話か知らないが、落ち着いてくれないか」

剣持けんもちさん、何をしてるんですか!?」


 慌てて拓磨たくまも背後から剣持けんもちを引き剝がす。




「すまん、早とちりだった」


 畳の模様が額につきそうなほど、見事な土下座を剣持けんもちはする。いつか見た光景だ。

 状況の説明を拓磨たくまの方からしてみたところ、なんとか落ち着いて今に至るといった所だ。


「しかしおまえ、それが心配でわざわざ朝から来たのか」

「釘を刺すなら、1秒でも早い方が良いと思ったのだ」


 ふてくされてそっぽを向く姿は、いかつい見た目の割に子供のようである。

 彼は目が覚めた時、傷が本当にあるなら仕方ないが、万が一もう一つの事由だった時、あの幼気いたいけな弟子の身が危ういと思った。バレれば白戸しろとの経歴にも傷がつく。これ以上白戸しろとのマイナスになってはいけないと、居てもたっても居られなくなったのだ。


「俺の事を心配してくれたのか」

「僕の事も……?」


 顔をぐぐいと二人から背け、表情は見えなくなったが、耳がみるみるうちに真っ赤になって行った。


「ともかくだ!」


 居住まいを整えて向き直ると、傷の残る頬を紅潮させたまま男は話を変える。


「用件はもう一つある。新年の会でも話題になったのだが、彼も神粒しんりゅうを扱うなら陰陽師としての素質が十分にあるという事になる。白戸しろとの事だから変な教え方はしていないだろうが、こちらでも正式な基礎を教えたい」

「それは、たっくんを陰陽師にしたいという事か?」

「そうだ。そうすれば何かあった時、同じ陰陽師として手も貸せるし、保護も援護も出来る。あの叢雲むらくもという男に顔を見られているんだ、何かあってからでは遅い。それに……海外の動向も気になる」


 拓磨たくま神粒しんりゅうの扱い方は特殊だ。自分の意思の通りに重火器を創出できるとなれば、その力に目を付ける国や組織が出て来てもおかしくはない。今は少年の能力を目の当たりした人間は少ないが、習っていたという事実があればいざ力がバレた時に、銃の創出はあくまで目くらましの見せかけの陰陽術でしかないと誤魔化す事も出来るであろう。威力も本人の意思で思うままに出来る等は、絶対に知られてはいけない。


 剣持けんもちの強い視線を受けて、白戸しろとは髭の残る顎に手を当てると考える素振りをした。そして少年に目線を送る。


「たっくんは、家に一人でいる事が多いのだろうか」

「え、あ、はい。父は仕事で数日空ける事もザラですし、北に新種が見つかったと聞けば、着の身着のまま飛び出して一週間戻らないなんてこともたびたび……」

「なるほど、あの父君はそういうタイプか……」


 猪突猛進というか、今回の祖父母の家行きもそうだし、前回のアメリカ行きを決めた事も含め、「調べなければ!」となると脇目も振らずに行動してしまう。拓磨たくまを二の次にしているとは思いたくないが、一つが気になると他が見えなくなるのは研究者としては利しても、保護者としては致命的な欠点である。


「そうだな、俺に教えられる事は変則的な事になりがちだし、代々陰陽師の技術を受けついできている剣持けんもちに、基本を学ぶのはいいかもしれない」


 多少の迷いはあった様子だがそれを振り切って、白戸しろと拓磨たくまの陰陽師鍛錬について了承した。


「任せてくれ。お前の期待を裏切ったりはしない」


 これについて白戸しろとは追加の条件を出したが、剣持けんもちはそれについても頷きで応えた。


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