第三話 ヤタのお引越し
五時をまわっても父は帰ってこなかった。
冬の日暮れはまだ早く、そっとベランダの窓から外を見れば、地平線の間際以外はすっかり夜といってもいい。
話が弾んだにしても遅すぎる気がするし、夕食の準備もあるからメッセージを送る事にしようと携帯を手にすると、ポロンとピアノのような音がして、その父からの連絡が届いた。
『急遽、おじいちゃんとおばあちゃんの所に行く事になった。二人に何かあったわけじゃないから心配しないように。明日の昼には帰る』
祖父母の家は隣の県だ。新年の挨拶は一月最初の連休を使う予定だったから、正月早々に父だけが向かう事にひどく違和感を感じた。
「
久々に会ったという小学校の担任から、父は何かを聞いた。そしてそれはすぐに、自らの父母に問いただしたい事であるという事だ。
父と同じ境遇と環境で育ったはずの彼が、大きく変わった理由が小学生時代にあったのかもしれない。
”了解”と短く返事をして、少しそっけなかったかと続けてウサギのスタンプを送る。すぐに既読はついたが返信はなかった。
ぎゅっと携帯を握りしめる。
夕食はコンビニでいいやと上着を羽織ると、そのまま外に出た。眼鏡も、流れるようにかけてしまった。
コンビニに行くには遠回りになるけれど、
それでも見上げるように足を止めると、ガラリと玄関のガラス戸が開けられた。
「あっ、
まるで自分が来る事を知っていたかのように、戸口で出迎えられたことは一度二度ではない。無精髭の残る顔に困ったような苦笑がひらめいたが、軽く指で手招きしてもらったので、そそくさと歩み寄ると、するりと彼は家の中に入ってしまい、玄関先で軽く挨拶だけをと思っていたけれど、お邪魔する形になってしまった。
そしていつも通り、後ろで勝手に戸は閉まる。
廊下の先に行ってしまった白戸を追うように、靴を脱いでお邪魔しますと小さく呟いてから上がらせてもらう。昼食を食べるのに使っていた炬燵のある部屋に入っていくのが見えたので、少し足早に向かった。
「夕食はまだの感じかな?」
「あ、はい。コンビニへ行く途中だったので……」
「一人?」
「……はい」
元日のこんな時間にふらついていれば、何かあったと考えるのが当然だろう。色んな事が見透かされているようで恥ずかしくなったが、白戸は何も言わずに先に炬燵に入ると、すぐ傍に置かれたポットでお茶を淹れ始める。
「俺も少し話たい事があるから、付き合ってもらえると有難い。座ってくれ?」
ぼーっと立ちすくんでいたので慌てて障子戸を閉めると、対面に座りこむ。同時に目の前に年季の入った湯飲みを置かれた。これも明らかに
「大した事ではないのだが、一応報告すべき事が出来た」
「え? 何でしょう」
身構えて返事をすれば、フッと彼は笑い、目線を炬燵の脇に移したので、それに従うとそこにはブリキの菓子缶が床に鎮座していた。ヤタの宝物入れだ。体を伸ばし、炬燵に入ったまま缶を持ち上げると、ズシリと重い。
「え、何が入ってるの……」
「開けてみるといい」
促されるままにブリキの蓋を開ければ、ぎっしりとガラクタが入っていた。ガラスの欠片に、片方だけのイヤリング、ボタンにネジ、謎の鍵から本物の宝石らしきもの、時計や車の部品のようなものまであった。
「これ、ヤタが全部持ってきたんですか!?」
「今夜は月夜で明るいから、そろそろ帰って来るんじゃないかな。どうやら住んでいた山に溜め込んでいたガラクタを、全部この家に運んで来るつもりらしくて、あの日からかなりの頻度の往復をしている」
「ええっ……」
「外に出せのアピールと帰って来たから入れろのアピールで、毎回ガラスが割れそうな勢いで叩かれるし、俺も不在がちだったので屋根に彼女用の出入り口を作った」
「すみません、まさかそんな迷惑をかけていたとは……」
平身低頭するしかなく、縮こまっていた
トトトトトと軽快な音が続き、隣の部屋にバサリと羽ばたきの音。
壁際の衣紋掛けにかけられた打掛からすっと手が伸びたと思えば、慣れた手つきでに障子戸が開けられ、黒い鳥がヒョコっと顔を出した。
『タクマ!』
パカンと開いた嘴から、ビーズのブレスレットと有名ブランドのキーホルダーが落ちた。落ちたそれらを気にせず、チャチャチャと爪を畳に立てながら走り寄る。手を差し伸べれば膝に駆け上がって来た。
『タクマ、会いたかった!』
「ヤタ、一体何をやってるの?
『お引越し? お山の宝物を全部持ってきたの』
「え、ここに永住するつもり!?」
『タクマの傍にいたいから』
どうしたらいいのかわからず
「何となく、そんな気はしてた」
言葉がわからないので、ヤタは何も説明もしていないのだろう。
ゆっくりと男は立ち上がると、床に落ちたままのブレスレットとキーホルダーをつまみ上げ、ヤタの宝物入れの菓子缶の中に投げ入れた。
「騒々しいが、彼女も
「本当にすみません……僕の家で飼えればいいですけど」
「見た目は完全に普通の鴉だからな。野生の鳥を飼うなんて、父君の職業的にも外聞が悪いだろう。言葉がわかればもう少しなんとかなるんだがな」
「ヤタ、あの印って
『あれは一人限定だから。タクマとお話できなくなっちゃうもん』
膝上の鴉は、プイっとそっぽを向いたが、急に頭に電球が灯ったかのようにパッと振り帰る。嫌な予感しかしない。
『タクマが
言うか言わないかで凶悪な嘴が付きだされたので、反射的に避けた。
「人前じゃダメだって! だいたいなんでいつもキ……あんなことするのさ」
キスという単語を口に出すのすら恥ずかしい。
生命活動に必要な分の
「手から送るから大人しくして」
『チッ』
「今、舌打ちしなかった!? 本当にもう……」
呆れながらも目を閉じて集中する。両手で鳥の体を挟み込むようにし、手からの流れを意識する。膝の上の重さが増し、両手が触れる翼の面積が広がる感触。いつもより時間はかかるだろうが、これでいけるはずと思ったのだが。
耐えきれないように
「えー、何で!?」
「生物の体からは簡単に
『わたしは嘴からじゃないと吸えないもん。だから、ね?』
超巨大鴉がにじり寄る。
睫毛が長めで可愛いが、嘴は怖さを増していた。だけどその巨体に抗う事は出来ず、結局押し倒されて、
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