第二話 初詣と白い鴉


 古賀こがの神社には長蛇の列が出来上がり、入口の鳥居の前からすでに人が並んでいる有様だった。

 だがガヤガヤとした喧噪に屋台から漂うソースの香り、キンと冷えた冬の空気に高い空は、いかにもお正月という雰囲気があって心が弾む。吐く息は白いが、風がないのでそれほど厳しい寒さは感じなかったが、日陰には朝に降りた霜の名残が見えた。


「これは一時間ぐらい並びそうだな」

「僕は大丈夫だけど、父さんは?」

「俺も大丈夫だよ」


 二人は寄り添うように最後尾に並ぶ。あれほど気まずい距離感があったのが嘘のようで、離れていた時間を埋めるように一緒にいる時間を大切にしてしまう。

 拓磨たくまはここ最近は眼鏡を外して生活をしていたが、今日はかけて来てしまった。今も時々、揺らぐように外す勇気が萎む日があるのだ。しかし理由は、かつての親戚の言葉のトラウマではなく、叢雲むらくもが原因になっている。

 彼はこの瞳を美しいと言った。抉ってコレクションに加えたいという事も。それを思い出すと背筋が凍り、何の防御にもならないのはわかっていても、ガラス一枚にも縋りたくなるのだ。

 白戸しろとに綺麗だと言われた時は嬉しかったのに、あの男に言われた時は反射的に恐怖した。

 恍惚の表情で残虐な言葉を繰り出す男と、隣にいる優しい父とが同じ遺伝子を持って同じ生活をして来たとは思えない。叢雲むらくもと対峙しても実の親子であるような情や実感が沸かなかった事は、素直に喜ばしいが。


 不意にゆっくりと数歩ずつ進んでいた列が急に止まった。

 前方からこれまでと違うざわめきが押し寄せて来たから、二人は騒ぎの方向に目をやる。

 多数の人々が携帯のカメラを木の上に向けているようだ。


「なんだろ?」

「何かいるみたいだな」


 立ち止まらないでくださいという警備員の声に、列は再び動きだしたが、歩く人々は皆、右上を見ながら歩いている。拓磨たくま廉次れんじも、それに倣うように見上げて木の梢に目をやった。


「あれって、もしかして鴉なの……?」

「アルビノだな、珍しい」


 大木の枝に、白い鳥の姿。明らかに鳩より大きく、形状は見慣れた鳥だが色だけが白。嘴や足がほのかにピンク色をしていて、一般的に鴉から受ける不吉なイメージは皆無だ。しかしルビーの如く赤い瞳に、何故だか不安な気持ちを煽られた。


「珍しいとは言っても、目立つせいで野生での生存率が低いだけで、実際には二万から三万に一羽はいると言われているから、こうやって見る機会もあるんだな。紅白だから、正月に見かけるのは縁起がよく感じるな。古来から白い生物は神の使いとも言われるし」

「御使い……」


 後ろからの人波に押され、立ち止まる事はできなかったので、白い鴉をじっくりと観察する事はできなかったが、何故だか胸にざわざわとした不安が芽吹く。

 ヤタと触れあった時間のせいか、鴉に対して忌避感はない。むしろ太陽の光で虹色に輝く黒い羽根は、世界のすべての色をかき集めて凝縮したようで、黒こそが神の使いとして相応しいようにも思える。


 白い鴉の大木を通り過ぎ、暫くたったころに後方でどよめきが起こり、振り返れば白い鳥が青い空に向けて飛んで行く所だった。

 何故かその姿が忘れられず、やっと来た順番に手を合わせはしたものの、何も願う事が出来ないままになってしまった。


「あら、もしかして大磯おおいそ君!?」


 おみくじを引きに向かう二人の背後からかかる朗らかな温かい女性の声に、父と息子は同時に振り返る。

 そこには背の低い、雰囲気の良い老婦人が杖をついて立っていた。少年の記憶の中では全く見覚えがなかったが、父が大きく目を見開いた。


「もしかして鈴木先生!?」

「ええ、そうよ。もう引退して、ただのおばあちゃんですけどね。まあ本当に立派になって、大学で頑張っていると聞いているわよ。そちらは息子さん?」

「はい、息子の拓磨たくまです」


 父の知り合いかと納得し、軽い会釈を拓磨たくまはしてみせた。


「まあまあ、あらまあ。どことなく沙耶さやちゃんに似ている気がするけど、もしかして……?」

「ええ、沙耶さやの子でもあります」


 くすぐったそうに照れた父は、今まで見た事がない。


「タク、こちら父さんの小学校の担任をしてくれていた鈴木先生だよ。厳しかったけど、色々世話になってね」

「大磯君は本当、やんちゃで問題児だったから、随分と手を焼かされたものよ。農家さんのハウスのイチゴを勝手に食べた時は、一緒に謝りに行ったわね」


 クスクスと笑う老婦人を前に、父は威厳もなくわたわたと慌てるだけである。幼い時期の父を知るのは、なんともくすぐったく、思わず少年の頬も緩み、そんな息子の顔に父は耳まで真っ赤になった。

 しかしストンと婦人は肩を落とし、溜息混じりに続ける。


「お兄さんの事、本当にごめんなさいね。今でも彼を救えなかった事が、私の教員人生唯一の心残りだわ」

敬一けいいちの事……?」


 きょとんとした表情を親子で見せてしまったせいか、老婦人はハッと表情を改めた。そしてちらりと拓磨たくまの方を見たから、少年は自分が聞いてはいけない話と直感した。彼女が小学校の担任という事は、「救えなかった」のは山での事ではなく、遠い過去の事だ。


「ねえ父さん、先生とは久々なんだよね。積もる話があったりする? 時間がかかりそうなら僕、先輩に新年の挨拶をしに行きたいかも」

「あ、うん。じゃあ父さんは少し先生と話をしていくから、先に帰っていてくれ」


 頷きを返し、老婦人にふたたび会釈をして拓磨たくまをその場を離れた。

 

「気遣いのできる子ね。ああいう人の心の機微に敏感なのは、沙耶さやちゃんの血かしら。あの時も彼女が……」


 廉次れんじは老婦人の背中に手を添え、「話の続きはもう少し落ちつける場所で」と誘い、神社の傍で新年営業の喫茶店を見つけると、二人はそこに足を向けて行った。


* * *


 本当に古賀こがに挨拶に行くか、そのまま帰宅するか迷っていると、遠くから袴姿の見慣れた人が手を振りながら駆け寄って来た。


「やっぱり大磯おおいそだ」

「あ、先輩。あけましておめでとうございます」


 新年の挨拶に慌てて頭を下げると、幼児のようなぺこりとしたお辞儀になってしまったのだが、古賀こがが目を見開いたと思ったら口元を抑え、ぱっと目を逸らした。


「まじ、可愛いかよ……」

「はい?」


 ぼそりとした男のつぶやきは周囲の喧騒で拓磨たくまの耳には届かない。


「いや、何でもない。おめでとう。もう帰るところか?」

「はい、もし会えれば先輩に挨拶をできればと思っていて。声をかけてくれてうれしかったです。忙しそうだったら見かけても話しかけられなかったと思うので」

「ぐぅ……かわ……」

「先輩?」

「いや、後輩って可愛いんだなって。部活の後輩はぶっきらぼうで生意気な奴らか、オレを怖がってビクビクしてる奴らしかいないから、新鮮で」

「そうなんですか?」


 出会った時は、もっと恐ろしい対象が間近にあったせいか、古賀こがを怖いと思った事はない。しかし大柄な体格に鋭い眼光、凛とした立ち姿だけを見れば畏怖の対象になりえるかも。しかし今の彼は柔和な微笑みを浮かべこちらを見ているから、拓磨たくまにとっては頼れる強そうな人といった印象だ。


「そうそう、連絡先を交換しておきたいと思って。……あれで終わるとは到底思えない。大ボスは逃げたし」

「あ、はい」


 あんなことに巻き込んでしまったのに、こうやってまた気さくに話しかけてくれることも嬉しかったし、時々思い起こす叢雲むらくもの事を考えると、あの出来事を知っている人と連絡手段が持てるのは素直にうれしい。おずおずと携帯を取り出すと、古賀こがはニカっと人好きする満面の笑顔を浮かべ、自分も取り出すと早速操作を始めた。


 もう少し話をしていたかったが、新年の神社でのんびりお喋りをしている余裕は関係者になかったようで、父親らしき神主さんがギャンギャン怒りながら駆け寄って来て、耳をつまんで古賀こがを連れて行ってしまった。引っ張られながらジェスチャーで「後で連絡する」と示して来たところ、先輩こそ可愛いのでは? と拓磨たくまは思わないでもなかった。


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