第二話 初詣と白い鴉
だがガヤガヤとした喧噪に屋台から漂うソースの香り、キンと冷えた冬の空気に高い空は、いかにもお正月という雰囲気があって心が弾む。吐く息は白いが、風がないのでそれほど厳しい寒さは感じなかったが、日陰には朝に降りた霜の名残が見えた。
「これは一時間ぐらい並びそうだな」
「僕は大丈夫だけど、父さんは?」
「俺も大丈夫だよ」
二人は寄り添うように最後尾に並ぶ。あれほど気まずい距離感があったのが嘘のようで、離れていた時間を埋めるように一緒にいる時間を大切にしてしまう。
彼はこの瞳を美しいと言った。抉ってコレクションに加えたいという事も。それを思い出すと背筋が凍り、何の防御にもならないのはわかっていても、ガラス一枚にも縋りたくなるのだ。
恍惚の表情で残虐な言葉を繰り出す男と、隣にいる優しい父とが同じ遺伝子を持って同じ生活をして来たとは思えない。
不意にゆっくりと数歩ずつ進んでいた列が急に止まった。
前方からこれまでと違うざわめきが押し寄せて来たから、二人は騒ぎの方向に目をやる。
多数の人々が携帯のカメラを木の上に向けているようだ。
「なんだろ?」
「何かいるみたいだな」
立ち止まらないでくださいという警備員の声に、列は再び動きだしたが、歩く人々は皆、右上を見ながら歩いている。
「あれって、もしかして鴉なの……?」
「アルビノだな、珍しい」
大木の枝に、白い鳥の姿。明らかに鳩より大きく、形状は見慣れた鳥だが色だけが白。嘴や足がほのかにピンク色をしていて、一般的に鴉から受ける不吉なイメージは皆無だ。しかしルビーの如く赤い瞳に、何故だか不安な気持ちを煽られた。
「珍しいとは言っても、目立つせいで野生での生存率が低いだけで、実際には二万から三万に一羽はいると言われているから、こうやって見る機会もあるんだな。紅白だから、正月に見かけるのは縁起がよく感じるな。古来から白い生物は神の使いとも言われるし」
「御使い……」
後ろからの人波に押され、立ち止まる事はできなかったので、白い鴉をじっくりと観察する事はできなかったが、何故だか胸にざわざわとした不安が芽吹く。
ヤタと触れあった時間のせいか、鴉に対して忌避感はない。むしろ太陽の光で虹色に輝く黒い羽根は、世界のすべての色をかき集めて凝縮したようで、黒こそが神の使いとして相応しいようにも思える。
白い鴉の大木を通り過ぎ、暫くたったころに後方でどよめきが起こり、振り返れば白い鳥が青い空に向けて飛んで行く所だった。
何故かその姿が忘れられず、やっと来た順番に手を合わせはしたものの、何も願う事が出来ないままになってしまった。
「あら、もしかして
おみくじを引きに向かう二人の背後からかかる朗らかな温かい女性の声に、父と息子は同時に振り返る。
そこには背の低い、雰囲気の良い老婦人が杖をついて立っていた。少年の記憶の中では全く見覚えがなかったが、父が大きく目を見開いた。
「もしかして鈴木先生!?」
「ええ、そうよ。もう引退して、ただのおばあちゃんですけどね。まあ本当に立派になって、大学で頑張っていると聞いているわよ。そちらは息子さん?」
「はい、息子の
父の知り合いかと納得し、軽い会釈を
「まあまあ、あらまあ。どことなく
「ええ、
くすぐったそうに照れた父は、今まで見た事がない。
「タク、こちら父さんの小学校の担任をしてくれていた鈴木先生だよ。厳しかったけど、色々世話になってね」
「大磯君は本当、やんちゃで問題児だったから、随分と手を焼かされたものよ。農家さんのハウスのイチゴを勝手に食べた時は、一緒に謝りに行ったわね」
クスクスと笑う老婦人を前に、父は威厳もなくわたわたと慌てるだけである。幼い時期の父を知るのは、なんともくすぐったく、思わず少年の頬も緩み、そんな息子の顔に父は耳まで真っ赤になった。
しかしストンと婦人は肩を落とし、溜息混じりに続ける。
「お兄さんの事、本当にごめんなさいね。今でも彼を救えなかった事が、私の教員人生唯一の心残りだわ」
「
きょとんとした表情を親子で見せてしまったせいか、老婦人はハッと表情を改めた。そしてちらりと
「ねえ父さん、先生とは久々なんだよね。積もる話があったりする? 時間がかかりそうなら僕、先輩に新年の挨拶をしに行きたいかも」
「あ、うん。じゃあ父さんは少し先生と話をしていくから、先に帰っていてくれ」
頷きを返し、老婦人にふたたび会釈をして
「気遣いのできる子ね。ああいう人の心の機微に敏感なのは、
* * *
本当に
「やっぱり
「あ、先輩。あけましておめでとうございます」
新年の挨拶に慌てて頭を下げると、幼児のようなぺこりとしたお辞儀になってしまったのだが、
「まじ、可愛いかよ……」
「はい?」
ぼそりとした男のつぶやきは周囲の喧騒で
「いや、何でもない。おめでとう。もう帰るところか?」
「はい、もし会えれば先輩に挨拶をできればと思っていて。声をかけてくれてうれしかったです。忙しそうだったら見かけても話しかけられなかったと思うので」
「ぐぅ……かわ……」
「先輩?」
「いや、後輩って可愛いんだなって。部活の後輩はぶっきらぼうで生意気な奴らか、オレを怖がってビクビクしてる奴らしかいないから、新鮮で」
「そうなんですか?」
出会った時は、もっと恐ろしい対象が間近にあったせいか、
「そうそう、連絡先を交換しておきたいと思って。……あれで終わるとは到底思えない。大ボスは逃げたし」
「あ、はい」
あんなことに巻き込んでしまったのに、こうやってまた気さくに話しかけてくれることも嬉しかったし、時々思い起こす
もう少し話をしていたかったが、新年の神社でのんびりお喋りをしている余裕は関係者になかったようで、父親らしき神主さんがギャンギャン怒りながら駆け寄って来て、耳をつまんで
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます