第一章

第一話 思い出の整理


 思い出はいつも、白く輝く光の中。


 校庭の金木犀は、造園業者の手によって可愛らしくキノコのような形に刈られ、花はかぐわしい芳香を放つ季節。

 風がない日、花びらは真下に落ちて、木の下にオレンジ色の整った円形が出来上がっていた。


「丸いカーペットみたい。すごく綺麗ね」


 そう言って微笑んだ彼女こそ輝いて、美しく、眩しい。思わず目を細めてしまった。それを私の笑顔だと受け取った沙耶さやは、嬉しそうにはじけるように笑った。


 そんな君に相応しいのは、私ではない。


 汚れ、醜く歪んだ私を、これ以上見ないでくれ。

 その鏡のような瞳に映しだし、現実を見せつけないで欲しいと何度願った事か。


* * *


 拓磨たくまはぐぐっと腕を上げて伸びをして、窓から入る外の空気を大きく吸い込んでから、部屋が冷えすぎる前に閉めた。


 冬休みのはじまりは、思わぬ大冒険になってしまったけれど、戻って来てからはそれなりに穏やかに過ごす事が出来ている。

 白戸しろとはしばらく中務省なかつかさしょう関連の業務があるとのことで、バイトはしばらく休みになってしまった。あの剣持けんもちという人が、また畳に頭を擦りつけて頼み事をした結果だ。

 ヤタはいったん山に戻ると言って、あの日以降は会っていない。


 寂しい冬休みになりそうだったけど、父も流石に年末年始の冬休みは取れたようで、大晦日の今日になってから再び母の遺品の整理を始めた。


 リビングにたくさんの段ボールを並べ、端から順番に中身を改める。「残すのは小さな段ボールひと箱分にしよう」と二人で決めて、ゆっくりと吟味を続ける。本当に大事なものだけ。もし災害等で避難する事になったときに持ち出せるようにと、最小限にする事になったのだ。


 実は母個人の持ち物はそれほど多くなく、家族の共通の思い出の品だったりするから、それが中々難航する。拓磨たくまが生まれて初めて履いた靴を記念に取り置いていたり、母の思いが感じられる物というのが迷いを生む。廉次れんじとしても、可愛い息子のファーストシューズは記念品として残したい。だが、初めて〇〇した時の記念品が思いのほか多く、母が何でも取っておきたがりの性格だという思わぬ一面も垣間見え、二人で笑い合ったりもした。


 一つ思い出の品が出て来るたびに話が弾んで中々進まなかったけれど、心もどんどん整理がついて、同時に彼女がもうこの世にはなく、そして二度と戻ってこない喪失感が心に満ちる。神粒しんりゅうは願いを叶えるとは言うけれど、死者は蘇らない。「生きとし生ける物が、明日を生き抜くために存在している」と、生物学の方向から研究を進める父は言った。

 拓磨たくまは彼がどんなに彼女を愛していたかを間近に見て知っていたから、生き返って欲しいと切望し、多少なりとも研究を進めたはずだと思っている。しかし早々に諦めた事も感じた。

 母は日を置かずして、すぐに灰になってしまっていたから。


「人間だけが自然から離れてしまった。どんな生物も命を終えたら、他の生物の明日の命を繋ぐ糧になれるのに、燃やしてしまってはね」


 今はどんな田舎でも土葬の風習は残っていない。火葬は伝染病の予防という意味もあるし、なかなか土葬のための土地を確保するのが難しいというのも理由のようだ。だが生物学を学んで行けば、生き物は常に繋がっていて、死は生を、生は死を連綿と綴る。その輪の中から外れて、人はこれからどうなるのだろう。


「母さん、本当に死んじゃったんだな……」


 整理が進むたび、家の中から母の物がどんどん無くなる。父が片付けていた時はとにかく恐ろしかったが、今は寂しくて哀しい。


「明日は、一緒に初詣に行こうか」

「父さんと初詣だなんてすごく久しぶり」

「三が日はどこも混んでるだろうが、並んで詣でるのもお正月らしくていいだろう。友達と行く約束をしているか?」

「ううん、特には」


 ふるふると顔を左右に振ると「そうか、彼女はまだか……」と、少し父が残念そうにした。

 最近仲良くなった古賀こが加賀見かがみとも、未だに連絡先の交換もしていないし、唯一連絡先を知っている白戸しろととは、そういう事をする関係性ではないと思う。交友関係の薄さを自嘲せざるを得ないが、今までそれで特に不便を感じた事もないから。


「町の境の、竜神様の神社に行くか」

「うん」


 古賀こがの神社だ。この近辺では一番大きいから、おそらく明日の人出はひと際多く、古賀こがには会うのは難しいだろうが。


「父さんも、子供の頃から初詣といったらあそこだったからなあ。最近は非公開になっているがそれは見事な龍の絵があって」

「すごいよね、呼吸すら忘れるぐらい見入っちゃった」

「お、タクも見たのか」

「あの神社、先輩の家なんだ。それで普段は公開していないけど見せてもらえて……」


 声が小さくなってしまったのは、あの龍の絵がどうなったのか自分は知っているから。あの宗教団体に買われ、御神体として崇められていた。そして、その教祖の男の事を自ずと思い出してしまう。

 そういえば、あの絵はどうなったのだろうか。あの日以降、パタリと勧誘のやんだ”叢雲むらくも光輝こうき”。まるで最初から存在しなかったように視界から消えた。

 関わりがあったという防衛大臣が心臓の発作で入院したというニュースも流れていたが、年末の特番に押し流されて続報を聞かない。

 あの不気味な男の事を、父に話すかどうか悩み、言えていない。加賀見かがみを救いに行った日の事も、友達と遅めのクリスマスパーティにすると言って出かけたのだ。余計な心配をかけたくはなかったし……。


「あの龍の絵を、兄……敬一けいいちがすごく気に入ってね。大人になったらこんな龍になるんだと、それはもうはしゃいでね。まだ六歳かそれぐらいの年齢だったから無邪気なものだったよ。人が龍になるなんてそんな……」


 件の男の名前に、びくりと拓磨たくまの体が揺れる。たまたま振り向いた廉次れんじが、それを見てしまった。ぎゅっと眉を寄せて歩みよると、サラサラの少年の髪をかき乱すように撫でる。


「あいつの話は聞きたくないか、すまん」

「う、ううん、そういう訳じゃなくて。……あの、生きてるって情報、誰かが敬一けいいちおじさんに会ったって事なんだよね」


 あえて伯父と呼ぶ事で、あの人が父親だから反応してしまったわけではないという事を咄嗟にアピールしてしまう。


「ああ。アメリカに小学校から付き合いがある奴が行っていて、そいつが政府高官の主催するパーティで会ったと。着物姿だったらしいが」

「会って、すぐにそれがおじさんだという事がわかったのかな。だってほら、年齢を重ねているわけだし? 他人の空似とか」

「まあ、あれだけの顔立ちだからなあ。それなりに老けてはいたけど間違いないと」

「老けていた……?」

「流石に十七年も経てば多少は。まあ父さんはちょっと老けすぎてしまったかもだが。写真ももらっているんだ。あまり鮮明ではないけど見るか?」

「うん!」


 息子の思わぬ食いつきに、少し怪訝な顔をしながらも携帯を操作して、一枚の写真を表示した。

 何処かのホテルのような場所で、アメリカらしく様々な人種の着飾った男女が立食パーティで歓談している風景。その画面の中央に、見覚えのある男の顔が。


 だが。


「……老けてるね」

「おいおい、父さんと同じ年だぞ」

「あ、そうだね。うん、そうだよね。そうだよね……」

「まあおまえは、二十歳そこそこの写真しか見てないし、美人も時間が動いているから仕方ないさ。どうしたんだいったい」

「いや、あの。美魔女の男版みたいなのが、見られるのかなあってちょっと期待しちゃった」

「何を言ってるんだか」


 笑いながら父は携帯を仕舞い、ポンポンと息子の背中を叩いた。


「年越し蕎麦は、外に食べに行くか」


 笑いながら頷いて見せたが、自分の中の混乱を父にばれないようにする事に拓磨たくまは必死だった。


 間近で見た教祖の叢雲むらくもは、どう多く見積もっても二十代にしか見えなかったのだ。



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