エピローグ


 演習場を無事脱出し、離れた丘で夜明けを迎える。あまりにも濃い一夜だったが、不思議と疲労を感じていない。ただ、長い夢を見ていたような非現実的な感覚。

 助け出した少女に見つめられ「どうしたの?」と声をかければ、彼女はやや躊躇して「眼鏡は?」と言った。


「今日は外して来たよ、変?」

「ううん、とてもいい」


 加賀見かがみは少年を見つめる。眼鏡のない横顔は思っていた以上に端正で、どこかあの男と似ている気がする。でも綺麗な顔立ちというのはそういう物だと懸念を振り払い、自分の腕をさりげなく彼の腕に絡ませようと思ったのに、横から古賀こがが「おい、袖がほつれてるぞ」と悪意なく拓磨たくまの腕を掴んで引いたので、少女の手は空振りをした。


 そんな光景を見つめる一人と一羽。


『私、タクマの傍にいてもいいのかな』


 バックバッグから出て来て男の腕にとまったまま、鴉は白戸しろとの顔を見上げる。言葉は通じないから、彼の耳には「カァ」と鳴いたようにしか聞こえないはずだったけど。

 それなりの長い付き合いになって、声色や羽毛のふくらみ加減でニュアンスがどうやら伝わったらしい。


「今更どうした。それがおまえの存在意義だろう?」


 ニヤリと意味深な笑みを浮かべる無精ひげの男に背中を押され、黒い鳥は羽ばたいて、大好きな少年の肩に舞い降りる。


「どうしたの、ヤタ」


 微笑みながら翼を撫でてくれる彼の頬に、顔を摺り寄せる。


『タクマ、だいすき』

「甘えん坊だね」


 すり寄って来る鴉を撫でながら、拓磨たくまはこれからの事に思いをはせる。まだ何も終わっていない。むしろこれからが本番なのだと、そんな予感が少年の心に去来していたが、自分の伸びしろを信じて前に進んでいくしかない。

 加賀見かがみが”鏡姫”でなくても、あちらがそう思っている限り、彼女には危険が付きまとう。それを回避するには、ヤタのためにも本当の鏡の在りかと、鏡姫の居場所を見つけ出すしかないと少年は思う。それまでは身に着けた力で彼女を守っていきたいと、気持ちを新たにした。


* * *


 後日、一部の自衛隊員が予定にない大規模な夜間演習を無断で行い、民間人に負傷者を出したという事で、大田原おおたわら防衛大臣は引責辞任。その後回復していたはずの心臓病が再発、政界を引退するというニュースが流れる。

 中務省なかつかさしょう解体の計画も、まるで最初からなかったかのように。

 

 あれほど入っていた宗教団体の関連チラシも見かけなくなり、人々の記憶が薄れる中で”叢雲むらくも光輝こうき”はその存在感を消失していく。


……そして、完全に消えたように見えた。


第一部 完



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