第三十八話 クリスマスイブ


 清楚な白いワンピースは裾にふわふわの白いファーが飾られていて、思い切った膝上丈。黒い厚手のタイツとショートブーツを合わせて全体を引き締め、少し大人っぽく。

 ポシェットはガマ口タイプで赤い色が全体のコーディネートのアクセント。ふんわり軽いキャメルカラーのコートを羽織れば完璧なデートスタイル。

 拓磨たくまをイブに誘ってOKが出たら着るつもりでいたコレを、望まないお見合い相手との気が乗らない食事会のために着ている。もう彼の隣で着る事はないのだと思えば、出し惜しみするのもおかしい気がして、結局考え抜いたこの服装で家を出る。


 あの日以降、終業式の日まで完全に彼を避けてしまった。何か言いたそうに時折こちらを見てくれたけれど、目を逸らすしかなく。今となっては連絡先の交換をしていなかった事が、良かったのか悪かったのか。

 もし交換していたら、「先輩が何か言ったみたいだけど、僕に彼女はいないよ」なんて一言がもらえたかも知れないのに。

 でももう、何もかも遅いのだ。

 加賀見かがみとしてはもう、処刑台に上る心持ち。

 母と一緒に向かう待ち合わせのホテルのロビーに繋がる階段は、まさにそれだった。

 ずっと俯いて足元だけを見ていたが、母が立ち止まったので顔を上げる。


「やあやあ、よく来てくれたね、愛梨あいりちゃん」


 そこにいたのはテレビでもよく見かける多忙な政治家、大田原おおたわら防衛大臣その人であった。確かに高齢の大叔父が出て来る事はないだろうと思ったが、まさか四十過ぎてまで父親を付き添いに連れて来たのかと、今日の食事相手を思うとげんなりする。

 さぁさぁと促されロビーの軽く沈む赤い絨毯を踏みしめて進めば、その先に待っていた男が柔和に微笑む。


 四十を過ぎていると聞いていた見合い相手はどう見ても二十代にしか見えず、着物姿が馴染んでいる。細身で小柄でありながら、凛とした姿勢で小さくは見えない。さらりと流れる黒髪に透けて見える切れ長の目は、くっきりとした睫毛に縁どられていた。白磁の肌に対して色の良い唇は、紅を引いているかのようだ。左右対称の完璧な造形。人としての美がそこにあった。


* * *


 ホテルのレストランの個室が貸切られ、家族ぐるみのイブの夕食会が始まる。困惑したのは母親も同じだったようで、少女の不安を少しでも解消しようと、話を切り出した。


「あの、失礼ですが大田原おおたわらさんの息子さんは四十を過ぎてると伺っておりまして、そちらの方はお話があった息子さんでよろしいのでしょうか」

「おおそうでした、加賀見かがみさんは親類と言っても少し遠めでしたので、お披露目の際は招待出来ておりませんで、紹介がまだでしたな」


 大げさな演技じみた動作で頷いて、隣の美青年に視線を送ると、それに対して青年は柔和な微笑みを返し、自己紹介をはじめた。


「わたくし、五年ほど前に養子縁組にて親子の縁を結ばせていただきまして、現在は大田原おおたわらを名乗らせていただいております、名をりゅうと申します」

大田原おおたわら りゅうさん、と言う事でよろしいのでしょうか。お若いようですが年齢はおいくつですか。歳を伺うのは失礼とは思いますが、娘はまだ十六になったばかりなので」

「お母様のご心配はごもっとも。ただこの新しい息子は、実は記憶を失っておりましてね。生まれはおろか本名も忘れておりまして。見た目通りの年齢で新しく戸籍を作りましてね」


 母親は露骨に眉をしかめた。何かおかしいと感じたのだろう。


「娘を見初めたのは、りゅうさんなのですか?」

「最初に懸想したのはうちの一番上のバカ息子の方なんですが、いやあ写真を見せたところりゅうが随分と愛梨あいりちゃんに興味を持ちましてね。長男は親の私が言うのもあれなんですが、とても人様の大切なお嬢様を伴侶にするのは相応しくないと言いますか。未だに親の脛をかじっているような有様で。年齢も上過ぎで流石に若いお嫁さんはね。りゅうはこれから私の跡を継いで政治家として日本を背負いますし、年齢も程よい。並べば素晴らしい美男美女。最高の組み合わせではないかと思いましてね」


 喋りが上手いのは、普段から演説慣れをしているせいだろうか。こちらが言葉をはさむ暇もない。養子にした男を跡取りにするために、結婚相手に血縁者を入れておきたいという考えも、昔かたぎの大田原おおたわらの家では考えそうな事ではあるが。


「そのような事は、大人の都合で決める事ではありませんし、娘は恋もこれからというような年齢。そのように先走られては」


 さすがは敏腕編集長、政治家の圧力にも負けずに言い返す。愛梨あいりの方はというと、先程から美しい男に微笑みかけられ、愛想笑いを返すのが精いっぱい。


「そうですね、やはり当人同士の相性が大事ですね! ここは若い二人に任せて、邪魔者の大人は退散しようじゃありませんか」


 半ば強引に、母は腕を引かれて席を立たされた。


「ママ!」

愛梨あいりちゃんはりゅうと食事を最後まで楽しんでくれたまえ。さあさあ大人の都合が邪魔をしないよう、我々は外に」

愛梨あいり!」


 なかば引きずられるように、強引としかいえない所作で手を引かれ、加賀見かがみの母は扉の向こうに消えて行く。追いかけるべく席を立ちたかった愛梨あいりだったが、何故だか震えて足が言う事を聞かない。

 目の前の男は先ほどよりさらに美しさを増したように見えた。恐ろしい程の美。少女は蛇ににらまれた蛙。かつて古賀こがが出会ったと言ったあの男が、今、目の前にいるのだと加賀見かがみは知った。


「もしかして、叢雲むらくも……?」


 絞り出すようにその名を呼べば、男は机に肘をつき、目を細める。


「おや、御存じでしたか。それなら話は早い」


* * *


 泣き腫れた目でボロボロになった加賀見かがみの母が剣持けんもちに連れられ、白戸しろとの店の玄関をくぐったのはクリスマスの翌日。


愛梨あいりが帰ってこないんです。クリスマスイブの食事を最後に行方がわからなくなって」


 何度も大田原おおたわらの家に連絡をしたが「二人は意気投合して、すでに新居を構える程の勢いだ。このまま若い二人に任せてみてはどうか」と、取りあってくれないという。霞が関に赴いて、あの時二人を取り持った防衛大臣に会おうとしたが追い返され、話すら聞いてもらえない有様。あげく警備員だけでなく警察まで呼ばれ、なんとか逃げ込んだのが中務省なかつかさしょうのビルだったという。

 先日、少女を車で送り届けた剣持けんもちは、たまたま叔母の家に来ていた彼女の母と会い、鏡の件での謝罪等でそれなりに長く会話をし、顔を知る仲になっていたから、取り急ぎ保護をしたものの落ち着ける場所が思い浮かばず、ここに来てしまった。


 神粒しんりゅうの扱いについて、古賀こが白戸しろとから教授を受けるようになっていて、この日もたまたま訪れていて、突然の出来事に高校生二人は顔を見合わせる。

 加賀見かがみ母の言う「美しすぎる男」と言えば、もうあの教祖しか思い浮かばない。


「でも何故、加賀見かがみさんが……」


 本人がそれを鼻にかけたり利用する事が一切なかったので、拓磨たくまは意識していなかったが、彼女は絶世の美少女。気品があって、それこそ”鏡姫”という神秘的な存在と見まごう程に。

 無精ひげを撫でながら考えていた白戸しろとと目が合うと、彼も同じ事を思いついたようだ。


「鏡を手に入れたものの何の力も発揮しない。何かが足りないとなったとき、鏡にいるはずの付喪神”鏡姫”がいないから、という結論に達した可能性はあるな。陰陽師と違って付喪神がどういう存在かの知識はないだろうから、彼女をその鏡姫の化身、もしくは身に宿す存在だと思っているとも考えられる」


 超常現象の雑誌を刊行している割に、加賀見かがみの母は白戸しろとの説明に目を白黒させている。


「娘が、そんなものであるはずないです。何処にでもいる普通の女の子ですわ。私にとっては最大の宝物だけど、勉強も運動も普通で……」

「一番怖いのは、彼女が”鏡姫”じゃないと相手が気付いた時にどうでるかですな。役に立たないからと素直に解放してくれるのか、あの見目を利用して団体の求心力を高める旗印に使うか、それとも……」


 剣持けんもちが発する懸念に、母親は蒼白になる。

 

「大臣があちら側と言う事は、自衛隊も警察もあちらの味方。大っぴらに何かして来る事はないだろうが妨害はあるだろう。誘拐と訴えても取りあってはもらえないはずだ。つまり正攻法では彼女を取り戻す方法はないという事になる。テレビ放映の件もあるしもしかしたら、一部のマスコミもあちら側かもな」


 白戸しろとの言葉に母親は気を失いかねない勢い。そこに話を聞いているだけだった古賀こがが口を開く。


「俺達で救出できないだろうか。あいつらまだそれほど神粒しんりゅうの扱いに長けてるわけじゃないのだろう。信者の大部分は洗脳されているだけだろうし、洗脳を解く事も可能なのでは」

「力づくで取り戻すしか手はないとしても、高校生の君達を連れて行くわけにはいかないな。行くとするなら俺達、大人だ」


 白戸しろとがそう言えば拓磨たくまが意を決したように言う。


加賀見かがみさんは大事な友達です。それに僕は白戸しろとさんの弟子ですし、彼女とは実質無関係の師匠に危険な救出を託して、ただ待つなんて出来ないです」


 怖くないと言えばウソになる。助け出した後どうするかも懸念される部分だ。それでも、自分に出来る事があるなら。

 少しずつ積み重ねた修行の日々は、本当の実力と自信を培ってくれた。この気持ちは、いつぞやのような慢心ではない。こういう時にこそマスターしたスキルを使わねば、いつ使うというのか。


 拓磨たくまはついに、人前で眼鏡を外す。

 そして真っすぐに白戸しろとを見つめた。

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