第三十六話 トリガーを引く


 服が乾いたので着替え直し、剣持けんもちが呼んだ車で古賀こが加賀見かがみらは、今日のところは帰宅していった。

 拓磨たくまは今夜、父が帰宅できないと連絡を受けたので、未だアンティークショップにいる。


「……と言う感じで、先輩のお母さんの神粒しんりゅうが空っぽだったんです」

神粒しんりゅうは例え体の中に留まっているものでも強い意思の通りに動作するから、無意識に抱えてるだけの人間からは外部からの指示でいくらでも吸い出せるだろうな。あの鴉がやってるように」

「防ぐ方法ってあるんでしょうか」

「吸い出す意思より強く、自分の体に留まる事を念じるしかないな」

「やはり叢雲むらくも光輝こうきは、信者から吸い出して、それを癒しの技や次の信者を増やすために使っているんでしょうか」

「あの娘さんの情報を聞く感じ、そんな所だろう」

「なんだか怖いですね。吸出し用の信者と、癒しを与える信者を分けているような感じがあるのもちょっと……」

「闇雲にだれかれ構わず信者としておきたい、という感じではないかもしれない。あの娘さんの親戚のような政治家や金持ち、影響力のありそうな人間には癒しを施して、後は神粒しんりゅうの貯蔵庫のような扱いなのかも知れない。どちらにしろ、絶対に関わらない方がいい。たっくんの保有量には気付かれたくはないところだな」

「はい」


 その夜は白戸しろとが近所のラーメン屋で夕食を驕ってくれ、そのまま家に泊めてもらった。寝室に使える部屋は一部屋しかないとのことで、家主と布団を並べて寝たのだが、布団の上に例の打掛をふぁさりを被せられ、少年が寝付くまで白い腕が小さい子供にするようにトントンと背中を叩いてくれたものだから、驚くほどぐっすりと眠ってしまったという。


* * *


 翌朝早く、ヤタが帰って来た。カツカツとガラスを叩く音に白戸しろとが起き出して窓を開けると、黒い鳥はご機嫌な様子で部屋に入って来る。拓磨たくまも布団から身を起こし、舞い降りて来た鴉を膝上に乗せると、その羽根はひんやりとしていた。


「ヤタ、どうだった」

『結構北の方だったよ』


 拓磨たくまはあの時、ヤタを呼んでいた。驚くべき速度で少年の元に駆け付けた鴉に、少女の鏡を奪ったカップルを上空から追ってもらったのだ。骨惜しみしない御使いは、その後タクシーに乗ったカップルを追跡した。

 少年は携帯で衛星写真の地図を表示する。


「どの辺かわかる?」

『えっと、ん-と、ココ!』


 カツンと音を立てて嘴が画面に当たる。保護フィルムのおかげで幸い割れなかったが、結構な勢いだったので一瞬焦ったのは秘密だ。次回があるなら、足で指し示して欲しい。


「自衛隊の演習場……?」


 鏡が特に意味のあるものではなさそうという事で、今更その在りかを知っても意味はないかもしれないが。何故彼らがその力を欲しているのかは気にならないわけではない。


 この日は土曜だったので、父が帰って来る予定の昼まで、白戸しろとに陰陽術の手ほどきをしてもらう事になった。


「たっくんは筋がいい。ただ、鳥の詳細はイメージできないみたいだね」

「すみません……」


 和紙の欠片は、拓磨の手の中でぼやぼやのヒヨコを形成している。鳥ってどうだっけ? と思うと実はあまり細かい所まで覚えていなくて、全くイメージが固まらないのだ。それがそのまま手元に反映されてしまう。


「よく知って、観察しているものにしてみよう。何かないかな、もう目を閉じても思い浮かぶような物は。生き物でなく無機物でもイメージ出来るならやってごらん」


 背後に立ち、後ろから腕を支えるようにして、まさしく手取り足取り丁寧に教えてくれるが、距離が近くて少し恥ずかしい。先ほどまでその距離感に膨れていたヤタも、昨日の移動がこたえたのかスヤスヤと座布団の上で寝ている。


「無機物……」


 もう完璧に細部まで覚えているとなると、恥ずかしい話だが普段遊んでるゲームの武器だ。プレイヤー視点でプレイしているので、常に武器は視線の先にある。

 武器を生成するために、紙片は必要ない気がした。そもそもこの紙片は、意思の到達点の目印のような物なのだろう。少年は指でつまんでいた紙を机の上に置くと、両方の掌を上に向け、その上に使いなれたハンドガンをイメージする。材料は例にもれず、自分の体の中にある神粒しんりゅうだ。

 目を閉じて集中し、イメージする事に専念する。


「む」


 白戸しろとの漏らした声に反応して意識がぶれると、掌にすとんと重みが加わった。目を開けると、いつも【VORTEX ONLINEヴォルテックオンライン】で自キャラが使っているメイン武器のハンドガンが実在していた。

 恐る恐る、右手で持ってみる。重さや持った感触がゲームのコントローラそのままと言う事に、ちょっと笑ってしまうが、ものすごく手に馴染んだ。


「銃か……それは撃てるのだろうか、もしや」


 白戸しろとは的になるものはないかと、戸棚を漁り始める。この家の物はどれも付喪神が宿っているので、迂闊な物は使えない。

 しばし探していたが見つからなかったようで、彼は諦めて紙を取り出し、ペンで丸を書いて的を手作りした。

 障子戸を開け、長い廊下の端に貼ると、拓磨たくまに撃ってみるように促した。


 指で銃を形作る時は、神粒しんりゅうを弾にして撃っているというイメージだったが、今自分の手元にある武器はレーザー銃という設定であるから、おそらく自分の記憶にある通りにレーザーを発射する事になるように思えた。

 壁に穴が開いてしまったりしないだろうかと不安になりつつも、的を狙ってトリガーを引く。

 軽い反動、バシュッという軽快な音、青い光線。全てがゲーム通り。光の線は的の中央に吸い込まれて、用紙は軽く揺れた。

 白戸が歩を進め、紙を取り外してみると、的の紙には穴は開いていなかった。


「武器として使えるような物ではなさそうですね」


 人を殺傷するような物でなかった事に安堵する。水鉄砲のようなものなのかもしれない。


「いや、これは」


 白戸は懐から和紙を取り出し、印を結んで呪文を唱える。和紙は浮いた火の玉となった。


「これを撃って欲しい」


 拓磨は再びハンドガンを構え、揺れる火の玉の中心を狙う。

 トリガーを引き、青い光線が通過した瞬間、火の玉は砕け散った。


「神粒に対しては効果がある……? いや、そういう事ではないのか?」


 白戸は体を斜めにし、左の掌を少年に向けた。


「俺の手を撃ってみてくれ」

「そ、そんな事できません! 無理です、人を撃つなんて」


 少年の手から、フッとハンドガンが消失した。


「大丈夫だ。俺を信じろ、どうしても試してみたいんだ。怖がるな、逃げないでくれ」


 幾度となく助けてくれた恩人に乞われたからといって、銃口を向けるなんて。だが白戸しろとの目は真剣で、そうする事を望んでいた。逃げるなと言われた事も心に刺さる。

 少年は意を決すると、再度集中してハンドガンを創出する。手が震えて汗が止まらない。でも白戸しろとが大丈夫という言葉を今は信じる。


 トリガーを引く。何事もありませんようにと願いながら。

 逸れる事なく光線は男の手を貫通した。慌てて駆け寄って手を取って見る。掌は何ともなかった。


「もう一度、火の玉をやろう」


 白戸しろとが一体どういう実験をしているのか把握できず、混乱する。


「この火の玉、実は壊されると俺はその瞬間にズキンと頭痛がする」

「え!? そうなんですか、じゃあさっきのは……」

「という事を知った上で撃ってみてくれ」


 白戸は先ほど眉ひとつ動かさなかったが、そんな事を言われると掌を狙った時と同じ緊張をしてしまう。それでも促され、トリガーを引くしかなかった。

 すると今度は光線が火の玉を素通りし、壊さなかったのだ。


「あれ!?」

「やはりな。たっくんはレーザーの効果をコントロールしている。ちなみに火の玉を壊されたら頭痛がするのは嘘だ」

「ぐっ」


 簡単に騙されてしまった自分が少し恥ずかしい。ハンドガンはそうしているうちに手の中から消えた。


「たっくんはもしかしたら見えるようになるずっと前から、神粒しんりゅうをコントロールして来たのかもしれない。無意識にやっていて、記憶に残っていないだけで。それぐらい自然で、手慣れている感じだ」

「そんな事……」


 と、言いかけて口ごもる。あの日、加賀見かがみに向けて飛んだソフトボール。割れなかったガラス窓。自分はあの時、何かを望まなかっただろうか。


「良い事だよ。才能があるという事だ」


 そう微笑みながら言われれば、これはきっと良い事なのだと繰り返し心の中で反芻した。

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