第三十三話 鏡のかけら
遅くなってしまったが、ヤタを連れて
いつものように、インターフォンを押す前にカラリと玄関の引き戸が開く。
「なんだ、また吸われたのか」
「あ、はい」
背後でテヘペロと、手を頭にして舌を出してみるお茶目な仕草をヤタはしたが、白戸は眉根を寄せただけである。
「あの、朝に預けた日記、どうでしたか」
「無事に開いて確認できたよ」
「お母さんの秘密だから、元のようにしておいたよ。君やお父さんに見せるつもりはなかっただろうしね」
「あ、そうですね」
中が見られないと気にはなるが、同時に、見なくても良いのだという安堵もあって複雑な心境になる。エコー写真を手に取ってみると、素人の
「双子だ……!」
「残念だけど、たっくんの兄弟は亡くなってるらしい」
「え」
「理由はお父さんに聞いた方がいいかもしれないね。日記には謝罪の言葉ばかりで詳細が書かれていなかったから」
「そうなんですか……」
「で、今日はどうする? 鴉」
急に少女は話しかけられ、ぴょこんと背筋を伸ばした。そして
「たっくんの家で、これの存在を隠し続けるのは難しいのではないか?」
「……はい。近所の人に出入りを見られてしまっているみたいで。それに父が部屋に入って来る時は狭いベッドの下に隠れて貰わないといけなかったりとかもありますし……」
「元の
夜に枕元にいてくれると嬉しいが、ヤタも父の気配があると気が休まらないと思われる。それに生物学者として名を馳せつつある父の元で、傍目では野生の鴉と寸分変わらぬ鳥をこっそり家に置いているのがバレたら、鳥獣保護法に触れる状況を放置した責任を父が問われるだろう。生き物の生態の学問に携わる者として、とても外聞が悪い。
「ここなら裏手に畑があったり、果樹のある庭が多いから鴉が行き来していても問題ないが、君の家は住宅街のど真ん中だからね」
「ヤタ……」
「ごめんねタクマ、私が鴉のせいで。もう物干し竿で殴られるのは怖い」
少年はふるふると首を振って、ヤタは悪くないと伝えるのが精いっぱい。自分より
そんな風に玄関先でやり取りをしていると、いつか見たような高級車が看板の前に停車する。以前と同じ三人かと思えば今日は一人だけ。見覚えのない二十歳そこそこの若い人。
「お客さんがいらっしゃったようなので、僕はこれで。日記の事、ありがとうございました。あと……ヤタをよろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ。必要なら彼女の名前を呼べばいい。名付けの絆はそういう時のためにあるのだから」
やってきた初々しいスーツ姿の青年とすれ違うようにし、しょんぼりと肩を落とした
少年が見えなくなると無精髭の男は少女姿のヤタを玄関から家の中に押し込み、「炬燵の上にたい焼きがあるから」と告げると、ヤタは嬉しそうに奥の部屋に走って行った。
それを見送って引き戸を閉めて、入口を守るようにもたれる。
「
「省の解体が、決定されたそうです」
顎に手をやり、しばし考える素振りを見せる。
青年は
その情報は有難く頂戴してはいたものの、最近になって見せるようになった愛想笑いとも違う三日月のように弧を描く笑顔の不気味さに、
* * *
省の解体に一番反対しそうだった
通常の公務員なら他の省庁に移動が可能だろうが、陰陽寮の人間は他部署に席は得られない。また細々とした、占いとまじないで
やっと表舞台に返り咲けると信じていたのに、梯子を外された形。一族から自分の力不足を非難されるのは耐えがたい。
だがそれ以上に自分を苦しめるのは、自分だけが副大臣の娘の夫であるという部分から優遇されていて、解散しても転属先があるらしい。陰陽師として現場で一番働いていた彼らを捨てて、自分だけが安寧の地位に留まり続ける事には抵抗があった。
自分が達成したいのは、陰陽師が国にとって必要不可欠な存在になる事。彼らのために目指す目標だった。それを達成できる可能性は
「
防衛大臣……
「まさか……」
自分達陰陽師の行動が的確に縛られて行ったのは、こちらの予定を把握されていたとしか思えない。信頼する部下にだけは、式神をつけていなかった。彼が一歩外に出れば何処で何をやっているのか、自分は一切把握していないのだ。
「裏切り者がいるなら、もうこれ以上の猶予はないという事か」
上着をぱっと手に取ると、軽やかに袖を通す。山のように書類仕事は残っていたが、これも本来はきっと必要のないものなのだ。
――あいつなら、もっと上手くやっただろうか。
忌まわしい義理の兄弟の顔が脳裏に浮かぶ。
式神をつけておいた無能な部下が、足しげく
だが自分はそれを咎めず、むしろ部下達に
――今更、どの面下げて。
鏡の欠片はあと一つ。
「どうせ解散するなら、少々スキャンダルになっても構わないだろう」
不穏な独り言を吐いて
* * *
「ただいま」
力なく玄関で帰りの挨拶をするが、父の反応がない。リビングにも姿がなく、とりあえず持ち帰って来た母の日記をこっそり元の段ボールの中に入れる。
「父さん?」
「ん、ああ、おかえり」
キッチンで立ったまま携帯を凝視していた父が、ぱっと顔を上げた。
「どうしたの」
『たすけて』
ただこれだけ。FROMアドレスは何故か空白。
「このアドレスは母さんと兄以外で、知る者はいないはずなんだ……」
父は、絞り出すように言った。
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