第三十二話 神社の中に落ちる影
「
もしやと思って教室に戻ってみれば、長身で大柄な頼もしい姿。ただ、少し疲れているように見えた。後ろから無言で
「
「僕も先輩に会いたいと思ってました。体育館裏で人を呼んでくれたのは先輩ですよね」
「ああ。たまたま裏に用があって行ってみたらあんな事になっていて。傷の具合はどうだ」
「もう治っちゃったぐらい軽症でした」
「そうか、それなら」
ちらりと背後の少女に目線を向ける。彼女がとてつもなく不機嫌な顔で自分を睨んでいる理由がわからず、
「もうすぐ午後の授業ですし、用件があればさっさとどうぞ、センパイ」
トゲトゲしい口調で
「別に君に用があるわけじゃないんだから、無関係者はさっさと教室に戻ったらどうだい?」
「私も拓磨君と大事なお話の途中だったんです!」
突然の名前呼びで
「ああ、君が
「
危うく一触即発の火花が散る様相を呈していたが、
「気に入ってくれてた壁画なんだが、
「え!? あの壁画が」
「また見たいと言ってくれたのにすまない。それと……少し相談があって。放課後、特に用事がないようならうちに立ち寄ってくれないか」
「先輩の家にですか?」
放課後の帰宅はなるべく
「大丈夫です、行きますね」
ニッコリと笑ってそう言えば、背後で
* * *
放課後、神社の方に足を延ばし、境内の森に入った所で「カァ」と聞き慣れた声がした。
「ヤタ?」
『タクマ? どうしてここに』
見上げると太い杉の枝から見下ろして来る黒い鳥。
「僕はここに用があって。もしかしてねぐらにしている木って、ここにあったりするの?」
『うん。でも今日も夜はあのヒゲの所に行こうかなって』
「もう僕んちにはこない?」
『行きたいけど……ベランダの柵にとまってたら、隣の人に物干し竿を振り回されて怖かったから』
「ああ……」
『タクマが鞄に入れて連れてってくれるなら、タクマの家に行く!』
「本当!?」
自分でも驚くほど嬉しくなって鞄の隙間を見るが、今日はレポート等の紙が多くて鴉の入れる隙間はなかった。
「ああ……今日は隙間がないや……」
しょんぼりと気落ちした少年の肩に、黒い鳥が舞い降りる。何度か頬ずりをしてくるのが可愛いが、今日のところは諦め……。
達観した表情の
――そう、このタイツのちょっと薄くなってる部分が……って違う!!
「これから人と会う約束があるから、待っていてもらわないといけないんだけど」
「うん、明るいところで待ってる」
夕暮れの神社の境内。空はまだ青みを残す明るさだが、森の中は光が遮られて太陽の恩恵はすでに届かず、うっすら暗い。それでも不気味とは思わないのはここが神域であるという意識なのか、ここを悪い物から守って欲しいという人々の願いに
本殿の前あたりでいったん別れるつもりだったのだけど、その前に
「
「ち、ちがいます!! えっと、親戚の女の子で偶然そこで」
「他校生かぁ……やるなあ。急に呼び出して悪かったかな。まあとりあえず、ついて来てくれ」
「え、あ、はい」
ヤタと顔を見合わせると、特に
彼が立ち止まったのは壁画のあった場所。真新しい板が張られ、瑞々しい木の香りが満ちている。
「壁画、本当にまるごとないんですね」
「売られたんだ、他の宗教団体に」
「えっ」
「
「最近とても勧誘が多いところですよね」
「売った事自体はもう仕方ないと思うんだ。もう見られないのは残念だけど。だけどその後、母さんがその団体の集会というのに参加して、ひどく体調を崩して帰って来たんだ」
「お母さんが?」
体調を崩す母親というワードは、
「なんていうか、空っぽな感じがするんだ」
「空っぽ?」
「
真剣に、苦しそうに
「どうしたのヤタ」
「あの人、全然残ってない」
「「え?」」
「この子も見えるのか」
「僕よりよっぽど見えてると思う」
「残っていないとは、どういう事なんだ」
「タクマが言ってた
思わずヤタの口を塞ぐ。
「……よかった、生きている。呼吸もあるし心臓も動いてる。でも朝よりもっと悪くなってる気がする。救急車を呼ぶべきか」
二人も縁側の傍に駆け寄り、様子をうかがう。
「タクマ、あの人に分けてあげて」
「え、どうやって!?」
まさか先輩の母親に口づけろとでも言うのだろうかと思ったら、ヤタはふるふると首を振る。
「手を握って、注ぎ込むイメージを持てば流れて行くと思う」
「……先輩、試してみても?」
「え、あ、うん」
拓磨も靴を脱いで上がりこむと、布団に力なく横たわる女性の左手を握った。
――彼女に必要な分、移動して。
願うように、祈るように、自分の中の力に語り掛けるように力を引き出して、手から手に伝えて行く。ヤタ程ではないが、生命活動をしてる細胞達が必死にそれを取り込もうとするように吸い取られる感覚がある。速度は遅いが流れ込んでいき、やがて流入が止まった感じがした。
「う……」
「母さん?」
「
「具合はどう?」
「朝より断然楽になって来たわ」
二人が会話をしているうちに、気づかれないように
「なあ、集会で何があったんだよ」
「集会? って何のこと。町内会の会合の話かしら」
「母さん?」
母親はきょとんと、「あなた何を言ってるの?」と言った感じで完全にその集会の事を覚えていないようだった。
母子の会話はその後進展せず、もう少し寝てた方が良いと母を寝かしつけた
「わざわざ来てもらったうえに、ありがとう、母を助けてくれて」
「よくわからないけど、役に立てたなら良かったと思います」
「こんな遅い時間まですまなかった。良かったら明日、また学校で話せないだろうか。なんていうか、俺、ちょっと混乱してて、今は何て言えばいいのか」
「僕もその方がいいと思います」
軽く雑談をして神社を後にする。
そしてもう一つ気になるのが、ヤタに吸われ、
ヤタの言った「たくさんある」の”たくさん”というのは、どれくらいの量なのかと。
更に少女の顔を見てもう一つ、思った事がある。
――キスする必要って、もしかして無くない??
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