第三十二話 神社の中に落ちる影


古賀こが先輩!」


 もしやと思って教室に戻ってみれば、長身で大柄な頼もしい姿。ただ、少し疲れているように見えた。後ろから無言で加賀見かがみがついて来ているのも気になる。


大磯おおいそに伝えておきたい事があって」

「僕も先輩に会いたいと思ってました。体育館裏で人を呼んでくれたのは先輩ですよね」

「ああ。たまたま裏に用があって行ってみたらあんな事になっていて。傷の具合はどうだ」

「もう治っちゃったぐらい軽症でした」

「そうか、それなら」


 ちらりと背後の少女に目線を向ける。彼女がとてつもなく不機嫌な顔で自分を睨んでいる理由がわからず、古賀こがは困惑する。


「もうすぐ午後の授業ですし、用件があればさっさとどうぞ、センパイ」


 トゲトゲしい口調で加賀見かがみが言うので、拓磨たくまはちょっと驚いてしまった。何か気に障るような事があっただろうか。

 古賀こがもいつものにこやかさが封印されて、真顔だと三白眼気味の男らしい顔は迫力がある。


「別に君に用があるわけじゃないんだから、無関係者はさっさと教室に戻ったらどうだい?」

「私もと大事なお話の途中だったんです!」


 突然の名前呼びで拓磨たくまは面食らい、少女の方を振り返る。


「ああ、君が大磯おおいそが殴られた原因の女生徒だな。誰と付き合って誰を振ろうが勝手だが、第三者に迷惑をかけるような雑な断わり方をするのはどうかと思うぞ」

古賀こが先輩、今回の件は彼女のせいじゃないです。それよりあの、ご用は何でしょうか」


 危うく一触即発の火花が散る様相を呈していたが、拓磨たくまの仲裁に一年上であるという自覚からか落着きを取り戻す。咳払いをし、加賀見かがみの存在を完全に無視して拓磨たくまにだけに向き合う。


「気に入ってくれてた壁画なんだが、理由わけあってもう神社にないんだ」

「え!? あの壁画が」

「また見たいと言ってくれたのにすまない。それと……少し相談があって。放課後、特に用事がないようならうちに立ち寄ってくれないか」

「先輩の家にですか?」


 放課後の帰宅はなるべく加賀見かがみに付き添っていたが、先程、もう必要なくなったという話を聞いたばかり。できれば白戸しろとの所に立ち寄りたかったが、それよりも古賀こがの相談の方が深刻度が高そうだった。


「大丈夫です、行きますね」


 ニッコリと笑ってそう言えば、背後で加賀見かがみが「うう……言う順番を間違えたかも……」と独り言を呟いて、先に教室に戻ってしまった。


* * *


 放課後、神社の方に足を延ばし、境内の森に入った所で「カァ」と聞き慣れた声がした。


「ヤタ?」

『タクマ? どうしてここに』


 見上げると太い杉の枝から見下ろして来る黒い鳥。


「僕はここに用があって。もしかしてねぐらにしている木って、ここにあったりするの?」

『うん。でも今日も夜はあのヒゲの所に行こうかなって』

「もう僕んちにはこない?」

『行きたいけど……ベランダの柵にとまってたら、隣の人に物干し竿を振り回されて怖かったから』

「ああ……」

『タクマが鞄に入れて連れてってくれるなら、タクマの家に行く!』

「本当!?」


 自分でも驚くほど嬉しくなって鞄の隙間を見るが、今日はレポート等の紙が多くて鴉の入れる隙間はなかった。


「ああ……今日は隙間がないや……」


 しょんぼりと気落ちした少年の肩に、黒い鳥が舞い降りる。何度か頬ずりをしてくるのが可愛いが、今日のところは諦め……。

 

 達観した表情の拓磨たくまだったが、もう慣れたトスッと唇に嘴が刺さる感触、続けて自分の首に腕をまわしてぶら下がってる少女。べりっと引きはがすと、思わず少年は頭を抱えた。先日、ヤタの格好が自分の性癖であるという事を知らされたせいもあって、思わず太ももに目が行く。


――そう、このタイツのちょっと薄くなってる部分が……って違う!!


「これから人と会う約束があるから、待っていてもらわないといけないんだけど」

「うん、明るいところで待ってる」


 夕暮れの神社の境内。空はまだ青みを残す明るさだが、森の中は光が遮られて太陽の恩恵はすでに届かず、うっすら暗い。それでも不気味とは思わないのはここが神域であるという意識なのか、ここを悪い物から守って欲しいという人々の願いに神粒しんりゅうが反応しているのか。パワースポットと呼ばれる場所は、神粒しんりゅうが多い所の事なのかもしれない。

 本殿の前あたりでいったん別れるつもりだったのだけど、その前に古賀こがとばったり会ってしまった。ここで会う彼はいつも神職らしい袴姿だ。そんな彼が目を見開いて絶句して、やっと発した台詞。


大磯おおいそ、彼女がいたんだ」

「ち、ちがいます!! えっと、親戚の女の子で偶然そこで」

「他校生かぁ……やるなあ。急に呼び出して悪かったかな。まあとりあえず、ついて来てくれ」

「え、あ、はい」

 

 ヤタと顔を見合わせると、特に拓磨たくまだけに言ってる感じではなかったので、少女も後ろをついていく事になった。

 彼が立ち止まったのは壁画のあった場所。真新しい板が張られ、瑞々しい木の香りが満ちている。


「壁画、本当にまるごとないんですね」

「売られたんだ、他の宗教団体に」

「えっ」

叢雲むらくも光輝こうきという団体に母さんが売ってしまって」

「最近とても勧誘が多いところですよね」

「売った事自体はもう仕方ないと思うんだ。もう見られないのは残念だけど。だけどその後、母さんがその団体の集会というのに参加して、ひどく体調を崩して帰って来たんだ」

「お母さんが?」


 体調を崩す母親というワードは、拓磨たくまにとっては辛い経験を呼び起こす。もう少し自分を含めた家族が母の体調に気を使っていれば。いつもと違う様子に気付いていればと、幾度ともなく後悔し続けた。古賀こがにはそんな思いをして欲しくない。


「なんていうか、空っぽな感じがするんだ」

「空っぽ?」

神粒しんりゅうが見えるお前の目から見て、どう見えるか教えて欲しい」


 真剣に、苦しそうに古賀こがは言いながら、裏手にある自宅の方に彼らを案内した。縁側の障子戸が薄く開き、その奥に布団と横たわる女性が見える。気づかれないであろうぎりぎりまで近づいた所でヤタが青ざめている事に気付く。


「どうしたのヤタ」

「あの人、全然残ってない」

「「え?」」


 古賀こが拓磨たくまの声がハモる。


「この子も見えるのか」

「僕よりよっぽど見えてると思う」

「残っていないとは、どういう事なんだ」

「タクマが言ってた神粒しんりゅう? それが全然ないの。どんな生き物でも、体の輪郭がわかるぐらいに光って見える程度はあるのに。あの人、まるで死んでるみたい……」


 思わずヤタの口を塞ぐ。古賀こがが慌てて草履を脱ぎ捨てて縁側に飛び乗り、細く開いてた障子戸を全開にして母親の元に駆け付ける。


「……よかった、生きている。呼吸もあるし心臓も動いてる。でも朝よりもっと悪くなってる気がする。救急車を呼ぶべきか」


 二人も縁側の傍に駆け寄り、様子をうかがう。


「タクマ、あの人に分けてあげて」

「え、どうやって!?」


 まさか先輩の母親に口づけろとでも言うのだろうかと思ったら、ヤタはふるふると首を振る。


「手を握って、注ぎ込むイメージを持てば流れて行くと思う」

「……先輩、試してみても?」

「え、あ、うん」


 拓磨も靴を脱いで上がりこむと、布団に力なく横たわる女性の左手を握った。


――彼女に必要な分、移動して。


 願うように、祈るように、自分の中の力に語り掛けるように力を引き出して、手から手に伝えて行く。ヤタ程ではないが、生命活動をしてる細胞達が必死にそれを取り込もうとするように吸い取られる感覚がある。速度は遅いが流れ込んでいき、やがて流入が止まった感じがした。


「う……」

「母さん?」

正樹まさき?」

「具合はどう?」

「朝より断然楽になって来たわ」


 二人が会話をしているうちに、気づかれないように拓磨たくまとヤタはそろりそろりと後ろに下がって靴を履き、少し距離を取った。


「なあ、集会で何があったんだよ」

「集会? って何のこと。町内会の会合の話かしら」

「母さん?」


 母親はきょとんと、「あなた何を言ってるの?」と言った感じで完全にその集会の事を覚えていないようだった。

 母子の会話はその後進展せず、もう少し寝てた方が良いと母を寝かしつけた古賀こがは障子戸を閉めて拓磨たくまたちのところにやってきた。


「わざわざ来てもらったうえに、ありがとう、母を助けてくれて」

「よくわからないけど、役に立てたなら良かったと思います」

「こんな遅い時間まですまなかった。良かったら明日、また学校で話せないだろうか。なんていうか、俺、ちょっと混乱してて、今は何て言えばいいのか」

「僕もその方がいいと思います」


 軽く雑談をして神社を後にする。

 古賀こがの母親から神粒しんりゅうが失われていた理由が気になる。先日会話したときに父も、体から完全に無くなるのは生命活動に支障をきたすような事を言っていた。

 そしてもう一つ気になるのが、ヤタに吸われ、古賀こがの母親に分け与えても全く不調を感じない自分の体。


 ヤタの言った「たくさんある」の”たくさん”というのは、どれくらいの量なのかと。

 更に少女の顔を見てもう一つ、思った事がある。


――キスする必要って、もしかして無くない??

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