第六章

第三十話 癒しの力


 ヤタは全ての記憶を早く取り戻したいからと、神粒しんりゅうの濃度の高い白戸しろとの店に泊まりたいと言い出して、店主もそれを了承したので、拓磨たくまは一人で帰宅する事になった。単に炬燵とお菓子の多さに惹かれてるだけのようにも思えたし、最近はずっと一緒だったから少し寂しい気もする。


 いつもの一丁目のゴミ置き場に差し掛かる。目を凝らすと、わずかな靄の気配があった。


「……ヤタの浮気者……朝、すごく心配したのに」


 なんとなく沸いた苛立ちを振り切るために、指を銃の形に見立てて拓磨たくまの放った神粒しんりゅうの弾丸が靄にあたり、微かな靄は四散して消えた。

 最近はこの場所を練習に使っていて、だいぶ濃さを増した靄の塊も散らす事が出来るようになってきた。

 幾度となく祓っても、何度もこの場所の靄は蘇る。あの女性は今も苦しい恋心に苦しんで、男性の全てを知りたいと思い悩んでいるのだろう。だがそれは少年にはどうする事も出来ない事で、ここで靄が完全に固まるまでに祓い続けるしかなさそうだった。

 もうしばらくしたら古賀こがに付き合ってもらって、校内で溜まっている靄を祓ってみようとも思った。


 マンションの入り口に差し掛かると、大家の真田が掲示板に何かを貼りだしていた。彼女は掲示を終えるとそのまま立ち去ったので、拓磨はその張り紙に目を向ける。


「げ……」


 思わず声が漏れてしまったのも当然。今朝のチラシの件の張り紙だと思っていたら、「最近、ベランダ付近でカラスの目撃情報があります。ベランダに生ごみを出すのはやめましょう!」と書かれていた。

 犯人に思い当たる節がある。うちに出入りをしているヤタの姿を、近所の誰かに見られてしまったようだ。これは案外、白戸しろとの所に入り浸ってもらった方がいいのかもしれない。


 家に帰ると、父がまた母の遺品を整理していた。「ただいま」という声に、父は手元を見たまま「おかえり」と答える。彼が広げているアルバムを覗き込むと、父と母の結婚式の親族集合写真だった。


「わ、本当に双子が多いんだね! この人とこの人そっくりだ。あ、こっちの人も双子かな」


 父方の親戚の方には確かに双子が多くて、なかなか壮観だった。そしてふと、過去に受けた毒針が心で主張する。


 嫌味な親類のいやらしい表情と「大磯おおいその家系って双子が多いのに、一人っ子でしょう? 兄弟以外の相手がいた可能性もあるわよ~」というセリフ。


「みんながみんな、双子というわけじゃないぞ」


 息子の不安を感じ取ったのか、父が顔を上げて笑顔を見せてくれる。そしてハッとした顔をした。


「頬の傷……もう治ったのか……?」

「あ、これは」


 慌てて左頬を左手で隠してしまう。ヤタの癒しの術については、「たっくんの父上に聞いてみるといいよ」と白戸しろとは言った。


「ねえ父さん。神粒しんりゅうって父さんの研究にも関係ある?」

「……!? おま……、そういえばテレビで何かやってたと聞いたな。そうか。わりかしもう知られて来てるものなのか。父さんの時代は、表だって言う話ではなかったのだが」


 ううむ、と唸るとしばし考えに沈むが、膝をパンと叩くと立ち上がって書棚からファイルをいくつか取り出し、ソファーの前のテーブルに並べる。


「昔おまえが昆虫採集をしている時に、面白い事を言ったのを覚えているか? どうして蝶の羽根にお目目がたくさんあるの? と可愛い事を言ったのだが」

「そ、そんなの覚えてないよ」


 おそらく小学校に上がるかどうかという年齢の頃の話だろう。眼状紋と呼ばれる、一見すると目に見えるような模様の事だ。蝶は幼虫の時代からもそういう模様を持って、鳥からの捕食から逃れようとする。

 鳥は天敵の蛇を認識するために目を意識していて、目玉柄を反射的に恐れて怯む習性があるという。蝶はその蛇の目に似せた模様を持つものがいるのだ。


「不思議だと思わないか? 鳥がどうして目玉柄を恐れると蝶は知っているのか。そして自分の体にその模様をどうやってつけたのか」


 確かに不思議である。人間のように体に直接入れ墨やペイントが出来るわけではない。そもそも鳥が蛇を恐れているとか、今自分自身がどんな姿をしているのか、わかるものなのだろうか?


「偶然の突然変異で、そういう柄の個体が鳥を回避でき、生き残って子孫を増やしたんじゃないの?」

「今でもその説が有力だな。だが、鳥を驚かせるような模様を持つ突然変異が起こるのと、その個体が子孫を残すまで生き残るのと、その属性が子孫に受け継がれるとなると、どれくらいの確率だろう」


 かなりの低確率になってしまう。せっかく偶然、天敵を避ける模様を持って生まれても、別の要因で死に至るのは当然のようにあるだろう。


神粒しんりゅう理論なら、これが説明出来てしまうんだな。それは各細胞に最低1粒は必ず存在していて、分裂での不足分は周囲のものを取り込む。細胞は自分のコピーを作る動作を基本とするが、ある程度の知性、意思めいたものを持つに至った生物は、神粒しんりゅうを使って意思の力で細胞の分裂の方向性を決めることができるのだ。”なりたい自分になる”という感じだろうか。神粒しんりゅうは意思に反応して、望む通りに動作するから」


 父は卓上のファイルを広げて、図示しながら説明を続ける。


「一粒の神粒しんりゅうで起こる変化は微々たるものだが、世代でそれを繰り返す事で変化は確実なものになる。もし保有数が多ければ変化の速度はもっと速まるだろう。未熟な生物ほど意思が明確で純粋だから変化は都度大きくなるが、ある程度の個体になると意思が複雑になってノイズが増え、神粒しんりゅうが進化に影響しにくくなる。知性が高い動物ほど、恩恵が得られにくくなるのは皮肉な点だな」

「じゃあ虫や動物の方が、神粒しんりゅうを使いこなしてる?」


 かつてヤタが、そのような事を言っていた。


「そういう事になるな。神粒しんりゅうで細胞に明確な指示が出せれば代謝を加速させる事で傷も速く癒える。人間より野生動物の方が傷が癒えるのが早いだろう? 同じタンパク質で構成されているはずなのに」


 思わず左頬を撫でる。ヤタの癒しの力は、治癒のための代謝の加速なのかと理解した。ファンタジーの回復魔法も、実際存在するならそういうものなのかもしれない。


「じゃあ神粒しんりゅうを使えば、どんな病気も怪我も治せたりするの?」

「理論上は。ただそれには純化された明確な意思がいる。小さな擦り傷程度なら、皮膚表面の細胞という限られた範囲に指示を出せばいいだけだからそれほど複雑ではないが、腕が切断されたから再生というレベルになると、この筋肉細胞は次にこちらに分化して、この神経細胞はこちらの方向に延び、なんて複雑なすべてを意思で操作する事になる。プラナリアやサンショウウオのように、生物として再生能力を進化の中で獲得して来た生物ならノウハウがあるのだろうが、人間は生憎そのような進化はしていない。むしろ薬や治療法を獲得して来た事もあって、自身の再生能力を限界まで引き上げようという意思を持たなくなってしまっているから」


 だから人は、病気やケガに弱いんだよと、少し悲し気に微笑んだ父は、病気で亡くなった母を思い出したのかもしれない。先ほどまで饒舌に語っていた生物の事も、しおれるように言葉少なくなって行った。


「死んだ人を生き返らせたりは……?」

「残念ながら、その部分は神粒しんりゅうにも限界があるらしい。生きているかのように動かす、ゾンビのような物なら作れるかもしれないが。あと突き詰めれば、細胞の老化を止めて、不死はともかく不老は可能になるかもという期待はされているな」

「ねえ父さん、神粒しんりゅうって人の体にもあるんだよね」

「どんな生物もある程度の量は細胞内に固定的に保有しているよ。その数はまだ計測の方法がないから断定はできないけれど。個人差もあると思う。中には相当な量を持ってる人もいるかもしれないね」


 その答えに、少しほっとする。自分だけが特殊ではないんだと。


「もし、逆に少なかったらどうなるの?」

「うーん、細胞分裂に影響している事を顧みると、代謝が落ちるという事になるから、体調に影響はかなり出る可能性があるな」


 ふぅむと顎に手を添えて、父は考える。


「タクの視点はいつも面白いな、なるほど。少ない、もしくは存在しない場合を突き詰めれば新しい事がわかるかもしれない、うむ」


 父は立ち上がると卓上のファイル類を片付け、再び母の遺品の箱に向かった。


「そういえば最初の話だが、タクも双子だったんだよ」

「え!? 僕に兄弟がいるの?」

「母さんには辛い記憶だったから……」


 遺品の箱から一冊の日記帳を父が取り出した。

 

「この日記に、当時のエコー写真を挟んでいるのを見た気がするんだが、開かないんだ」


 父が日記を開こうとすると、特定のページだけ貼りついたようになって開かない状態。少し皺になった紙は、母の涙で濡れた痕跡なのかもしれない。しかし濡れて貼りついているにしても、頑なに開かない。


 父がページを損傷しないようなんとか開こうとするたび、拓磨たくまには神粒しんりゅうの靄が、まるで鎖のように絡まっている様子が見えた。


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