第二十九話 義兄弟の確執


 じゃれ合う一人と一羽を見ながら、白戸しろともあの日の事を思い出していた。


 足元に転がる岩に足を置き、青空の中に巨鳥を構成していた神粒しんりゅうが完全に霧散するのを見届けてからやっと、痛みにうめく義理の兄弟を見下ろす。


「いい勲章が出来たじゃないか。歴戦の雰囲気が出る」

「……貴様ッ」


 剣持けんもちの左頬の傷は鋭く爪で抉られ、それなりの出血を伴っていたが、何の感慨も沸かなかった。


 白戸しろと拓磨たくまと出会い、陰陽師の世界で生きる事のバカバカしさに気付いた。古い慣習に縛られ、実力の有無ではなく血縁で上下が決まる社会。両親を失って一人でいた所を才能があるからと剣持けんもちの家に養子として引き取られ、そこの一人息子と兄弟のように育てられはしたが、どれほど努力をしても自分には絶対に手にれられない物を護らされる。自分が望んだわけでもないその狭い世界のために。


 権力者の娘と付き合って結婚に漕ぎつけて、剣持けんもちの家よりも優位に立ってやろうとしたこともあった。

 しかし少年を拾って、その澄んだ瞳に映りこむ自分を見た時、押し付けられた全てを今こそ捨てるべきだと思った。荒み、疲れ、意地を張り、力に執着し続ける無様な姿。そんな自分の状態こそ、一切望んだものではなかったから。

 周辺の神粒しんりゅうがゆっくりと流れ、渦巻く銀河のように少年の体に吸い込まれて行く様子はとても神秘的で、心惹かれた。と同時に、これからの彼の過酷な運命を予感させる。


――どうせ力を振るうなら、気に入った物を護る方がいい。


 そして今この腕の中に納まる小さな宇宙を、いつか自分の物にしてしまいたいと思ってしまった。その力をもって、いつか自分からすべてを奪った者達に復讐を。


 白戸しろと拓磨たくまの住まいにほど近い町内の古い家を買い取って、アンティークショップを開いたのは山を降りて一か月後の事だ。


* * *


 剣持けんもちは山積みになった書類に判を押し終えた。公務員として税金を予算にもらっている以上、報告書の類は山のように必要だし、何をするにも申告書を書いて決算が必要。二度手間、三度手間はざらで、無駄に用紙が消費されて部署間の行き来を繰り返す。


――本当に、無駄な時間だ。


 自分の陰陽師としての力を増やすために、少しでも修行をしていた方がよっぽど有意義な時間になるはずなのだが、役職を与えられては思うようにいかず。


――まるで俺達陰陽師に本来の仕事をさせないため、この小さな箱の中に閉じ込めて何も出来ないようにしているようだ……。


 そして実際に、そのような予感がする。防衛大臣懇意だという宗教団体の存在がいつになく気になる。中務省なかつかさしょうにやたらと書類仕事が増え、許可が必要だという行動の縛りが増えたのは、今の政権になってから。

 引き出しを開ければ砕けた銅鏡の欠片が和紙の上に並べられている。あと一片が欠けているといった感じの欠け具合。間違いなく加賀見かがみ博士の娘が持つものが最後だろうと考える。揃えばきっと、状況が打開できる進展があると信じてはいるが、不安は消えない。

 忌々しい記憶とセットの左頬の傷を、無意識に撫でる。

 不安の元は、白戸しろとがこの割れた銅鏡に一切の興味を示さなかったからだ。


 思い起こせば幼少期。突然、家にやって来た一つ下の少年。養子となってその日から剣持けんもちを名乗ると聞いた時、本能的に自分の跡取りの地位を脅かされると思った。それほどまでに陰陽師としての才能に溢れていたのだ。父母も祖父もその才能を讃えるのが許せず、兄弟になったとは到底認めがたく、彼を元の苗字である白戸しろとと呼び続けた。それを咎める者は誰もいなくて、安堵したものだ。


 神粒しんりゅうを操るのには自信が必要。わずかでも、例え無意識であっても、「ダメかもしれない」と考えてしまえばその分力は弱まる。白戸しろとの圧倒的な力は、絶大な己への自信から来ていた。その自信が眩しい。血筋と家の歴史という生まれながらの要素以外、自分でつかみ取ったものが何一つなく、自分はいつもどこか自信がない。


 家の中では優位であっても、一歩外に出れば。


 陰陽寮に入ってからは、仕事が出来るのは圧倒的に白戸しろとであって、周囲の崇敬は全て彼の物。負けたくないという思いから、己を磨くより相手の足を引っ張る事に邁進するようになるまでそう時間はかからなかった。煩わしい小虫を見るような目をされても、白戸しろとにそういう顔をさせる邪魔が出来たと喜びに打ち震える自分は、歪んでいたと思う。

 

 政府のパーティで一目惚れしてしまった内閣府副大臣の一人娘が、白戸しろとと付き合っていると知った時は浴びるように酒をあおった。陰陽寮でも中務省なかつかさりょうでも、結婚後の白戸しろとに憧れの地位が約束されており……家に帰れば「剣持けんもちの家から久々に、政界の足掛かりが」と大喜びする家族。

 長男は自分なのにと、荒ぶる気持ちが抑えられなかった。


 なのに。


 付き合っていた令嬢に、大変な無礼を働いたとのことで突然の婚約破棄。激怒した父親の副大臣が手をまわしたため、白戸しろと中務省なかつかさしょうでの居場所を失った。剣持けんもちの家も問題の波及を恐れ早々に養子縁組を解消し、今まで与えていたすべてを回収した。後で聞けばこれまで子供の頃からのこれまで養育にかかった費用―食費に至るすべて―まで請求したという。

 そして令嬢の婚約者の座も、白戸しろとに用意されていた地位も、すべてこちらに回って来たのである。のちになって、白戸しろとが自分を推薦していたことを知った……。




 あの日、山で苦戦した自分をあざ笑うかのように、恐るべき巨鳥の怪異を一撃で仕留めて見せた白戸しろとは、その後は岩の隙間で呻いている部下たちの救護をしていた。対する自分は、鮮血に濡れた手をズボンで拭い終えると、怪我をしている彼らを放置して、巨鳥が出て来て気になっていた岩の割れ目の中にあった鳥居をくぐる。部下たちの命より、目に見える成果の方が欲しかった。


 岩の割れ目に入ると、砕けた皿や供物の痕跡があった。山体崩壊の前は山の神をまつっていた祠なのかもしれないと周囲を探索する。

 

 光返山ひかえしやま


 太陽の光を反射するように時折輝いて見えるからと名付けられたらしいが、山自体が発光しているという噂もあった。周辺では生き物の多様な進化が多く見られ、特殊な環境であるのは間違いなく、神粒しんりゅうが見える者達にとっては驚くべき場所で、どの地域よりも濃度が高い。うっすらと霧のように漂うものが輝いて見えるほどの濃さだ。山体崩壊後はその特異性は失われてしまったが。

 そんな場所だったこの山には、神がいるのだろうと全ての人間が感じるのも当然だ。この祠は間違いなくこの山の神を祀ったものだという感触がある。その神の宿る物体が、この山に神粒しんりゅうを集めているに違いなかった。


 隙間から差し込む光を頼りに、割れた青く錆びた銅鏡を見つけた時は思わず剣持けんもちは歓喜の声を上げてしまった。古来より鏡は神の依り代である。これに違いないと欠片をかき集める。しかしどうしても一片が足りない気がする。どれほど探しても見つからなかった。

 

「そういえば、加賀見かがみ博士が銅鏡の欠片を握りしめていたと聞いたな」


 それもこの銅鏡が特別なものであるという証拠に思えた。神粒しんりゅう研究の第一人者の加賀見かがみ博士が、最期に握りしめていた鏡……間違いない、と。


 外に出て、白戸しろとに見せ付けるように掲げ、叫ぶ。


「一足遅かったな。鏡は俺が手に入れた!」


 しかし白戸しろと剣持けんもちを軽く一瞥しただけで表情を変えず、足を折った部下に添え木を当てる作業を続けたのだった。



* * *


「ところで、俺はいつまで見ないふりをしていればいい?」


 いつまでもじゃれ合っている拓磨たくまとヤタに、白戸しろとは若干の呆れを含み笑いながら言う。少年は思わず赤面し、膝上の鴉を隣の座布団に置き直した。


「す、すみません」

「クァ」


 黒い鳥も、照れたように一瞬膨らんで首をかしげて誤魔化した。


「たっくんは、セーラー服とタイツが好きなんだな」

「え!? 突然なんですか」


 男は少し意地悪く笑う。


「たっくんの神粒しんりゅうを吸って人型を形成しているんだ。服装なんかは、君の無意識の好みが反映されていてもおかしくないだろう?」


 ギクッとしてしまう。そう、拓磨はずっとブレザーの学校だったので、セーラー服が可愛いと思ってしまうのだ。そして厚手のタイツも好きで、太さのある部分だけうっすら肌色が見える感じがドキドキしてしまう。

 思わぬところで己の性癖の暴露になってしまっていたことに、少年は真っ赤になって俯くしかない。

 白戸しろとは最後に慈愛の微笑みを浮かべ、ぽそりと言葉を発する。


「俺も、その組み合わせが好きなんだ。気が合うな。さすがにこの年になると、セーラー服については大っぴらには言えないが」


 拓磨たくまは彼の顔を未だ正面からは見られなかったが、赤面しながらも二人は熱い握手を交わした。


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