第二十七話 神粒、もうひとつの使い方


 翌朝、この日は父と相談の上で学校を欠席する事になった。


 校内で暴力事件というのは珍しいから、おそらく今日一日ぐらいは騒がしいはず。それに拓磨たくまの頬は赤く腫れていて、口の端と中が切れてしまっている有様。殴られるつもりなら上手く力を逃がす動作が出来れば良かったのだけど、生まれて初めて受けた直接攻撃に体は反応しなくて、ダイレクトに見事に決まったようだ。

 もしかしたら相手の激高も、周囲の悪い思念に染まった神粒しんりゅうの影響を受けての事だったのかもと思う。どんな場面にも空気感というのがあって、人はその雰囲気に踊らされるような行動をする事がある。もしかしたらああいうのはすべて、その場にある念に染まった神粒しんりゅうの影響なのかもしれない。


 父が出勤するのを見送って部屋に戻り、ふとヤタの事が気になった。昨夜はそれどころじゃなくてベランダの確認もしていない。もしかしたら外で震えているかもと、慌ててガラス戸を開けて見渡してみるが、黒い鳥の姿はなかった。ほっとすると同時に、ここ最近は毎晩自分の部屋に泊まっている感じだったから、心配にもなって来る。


 少し周辺を見てこようかと、階段を降りると集合ポストの周囲を掃除している大家の真田とばったり出会ってしまった。


「まぁまぁ! 拓磨たくまちゃん、ほっぺをどうしちゃったの」

「学校でちょっと」

「ああ、それで今日はお休みしてるのね。こんな時間にいるなんて珍しいから。病院に行くのかしら」


 真田の持っているゴミ袋に、どこかで見たチラシが大量に入っていた。


「チラシのゴミですか?」

「これ? 最近多いのよーDMやら勧誘のチラシやら。皆さん興味がないものはそこのゴミ箱に捨てて行くでしょう。以前にも増して増えちゃって、ゴミ袋もタダじゃないから本当に困るわぁ。それに玄関先まで来るセールスや布教活動も多いみたいで。管理費は少し上がるけど、入口にロックを付けようかしらねえ」


 ほぅ……と、疲れたような吐息を漏らす。ゴミ袋の中のチラシは先日拓磨たくまが駅前で受け取った物と同じだったり、デザインは違うが同じ団体の名前が入っているものが多かった。


「最近、多いんですかね」

「こうやってみると同じ所のよねえ。なんだか信者の人がこぞって布教に熱心で少し怖いわね……ううーん、やはり今度の管理組合の会合で、セキュリティ強化を提案してみるわ」

「いつもありがとうございます」


 丁寧にお礼を言ってその場を後にするが、ひとつ気になる事を思いついてしまった。爆発的に信者を増やす団体の、駅前で勧誘をしていた不気味な女性を思い出す。


――もしかして神粒しんりゅうを使えば、人を意図する思念で染める事も可能なのでは?


 二度も思念に染められたからわかるが、自分の心に反する意識でも一瞬で全部そちらに持って行かれる感覚があった。もし自分の考えに近しい、もしくは添う内容であれば、違和感もなく溶け込みそう。

 もし、もしもだ。

 特定の念を込めた神粒しんりゅうを相手に移動させる事ができれば、他人を望むように操る事だって出来てしまうのではないかと考えが至り、恐怖を覚える。

 宗教で古来からある祝福というものは、そもそも安寧や平穏を祈る念に染まった神粒しんりゅうを注ぐ行為だったのかもしれない。すでに宗教の世界で行われていたことなら、悪い方向にもいくらでも応用が利くはず。


――神粒しんりゅうを国が率先して知らしめないようにした理由、わかる気がする。これは、間違った使い方をされたら大変な事になるんだ。


 自分がその秘密にどんどん近づく事が良いのか悪いのか、少し怖くなってきた。


* * *


 周辺を散策するが、鴉は一羽も見当たらない。

 意を決して鳥達に聞いてみる事にする。屋根の上にいる雀は声を張り上げないといけないので、できれば普通に声をかけられる位置にいる小鳥を探す。

 なんとか広い庭に植えられた柿の木に、ヒヨドリの姿を見つける。頬に赤い模様がある可愛い印象の鳥だが、小鳥と言うにはやや大きい。大抵二羽でいるのを見かける事が多く、この日もつがいでいる。


「大き目の鴉で、ヤタと言う名前の女の子の居場所を知らない?」


 鳥に話しかけるのはわりかし奇行だという自覚はあったので、なるべく声を潜めて話しかける。鳥達の間でヤタという名前が通じるのかもわからないが、二羽は顔を見合わせる。

 彼らはヤタのように人間の言葉を理解しても、言葉を発する事は出来ないようで、一羽がまるでついて来いというような仕草を見せて、軽く飛んだ。拓磨たくまが追い付くと再び飛んで、先を案内してくれる。


「あれ、ここって」


 アンティークショップの鳥居のような看板の上にヒヨドリはとまり、ここが目的地だという態度を示す。

 道案内でヤタの羽根が失われると嫌なので、ポケットからすごく甘かった貰い物のミカンを取り出す。ヤタのために用意していたものだが。


「これがお礼でもいい?」


 皮をむいて丸ごとを差し出すと、ヒヨドリは躊躇なく飛び降りてきて、大きな塊を器用に嘴で掴むとよたよたと飛び去った。一緒にいた一羽と分けるつもりなのかもしれない。野生動物に餌を与えるのは通常禁止されているが、致し方ない事とする。


 連絡もせずに来てしまったが、白戸しろとは在宅しているような気がしたので玄関の方に向かうと、待ち構えていたようにカラリと軽い音を立てて引き戸が開いた。


「やぁ、たっくん」

「あ、あのこんにちは。ええと、ここに鴉がお邪魔してませんか」

「入って」


 意を決して白戸しろとの進んだ方向へ歩を進めた。


 彼は炬燵のある部屋の前で立ち止まり、拓磨たくまを待っていて、苦笑を浮かべつつ障子戸を開けた。と同時にテレビのリモコンが飛んできて、白戸しろとは首を軽く傾けてそれを避けた。


「ヤタ!」


 炬燵の上で仁王立ちし、頭の毛が逆立って、明らかに憤慨している鴉の姿がそこにあった。拓磨たくまの姿を認めると、ふわっとしていた頭の羽毛が少し落ち着く。


『そいつをやっつけて! そいつとんでもない奴なんだからっ!』

「え、え、ちょっと落ち着いて。何があったの?」

『思い出したの!! 私の記憶が欠落してるのはそいつのせいだって。私を木っ端微塵にしたのよ』

「木っ端微塵って?」


 まくしたてる鴉をとりあえず落ち着かせるべく抱き上げる。後ろから呆れたような声がした。


「俺にはカァカァとがなっているようにしか聞こえん。何の用件か知らないが、夕べいきなり来たかと思ったら、ずっとこの有様だ」


 振り返れば男は肩をすくめながら部屋に入って来て、炬燵に座り込む。


「たっくんが通訳してくれると有難いのだが?」


 通訳をするにはなかなか入り組んだ理由がありそうだった。頬が痛くてあまり長時間の会話もしにくそう。これはもうヤタに人型になり、自分で喋ってもらうしかない。だがそのためには……。

 鴉の黒い目が期待に満ちて少年を見る。だがさすがに白戸しろとの目の前でキスするわけにはいかない。


「あのすみません、ちょっとだけ時間をください!」

 

 黒い鳥を抱いたまま廊下に出て、障子戸を閉める。


「あんまりいっぱい吸わないでね?」


 自分からヤタに口づけるのは初めてだから、少し緊張する。というか、どうやってするんだっけ? と戸惑っていたら、黒い嘴の方が先にストッと拓磨たくまの唇に刺さった。


「ん……っ」


 思わず目を閉じてしまったが、唇に触れる感触は一瞬で柔らかくなり、彼女が人型になった事がわかる。抱き上げていた鴉の体は重みを増して自分の体に預けられ、目を開ければうっとりとしつつも、色気もなく唇を突き出してちゅーちゅー吸ってる美少女の姿。


「だからっ長いって!」


 べりっと引きはがす。自分がちょっと変な声を出してしまった事にも気づき、白戸しろとに聞かれたかもしれないと思うと気が気じゃない。耳の先まで熱く、赤くなっている事がわかったので、少し時間を置いてからと思ったのに、ヤタが元気よく障子戸を開けた。


「この間は、よくもやってくれたわね!!」


 最中もなかの包み紙を開けたばかりだった白戸しろとは、びっくりしたように目を見開いたが、ふっと笑うと最中もなかをヤタに差し出す。

 ヤタは男と差し出されたお菓子を交互に見比べて、幾分の葛藤の後、ぱっとお菓子を奪い取ると、炬燵の対面にドカッと座って、パクゥと口にした。


「それを食べたら、最初からちゃんと話をしてくれたら有難いんだが?」


 拓磨たくまも空いている面から炬燵に座る。

 ヤタは早く何かを問い詰めてやろうとはしつつも、最中が唇にくっついて、食べるのに苦戦している。

 白戸しろとの後ろで例の打掛がふわふわ浮きながら、三人分の茶を淹れはじめていた。

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