第二十四話 光を返す山
一般的ではないにせよ、好みや性癖は人それぞれである。社会的に外れなければそれぞれの内心は自由であるとは思う。ただ、そういう人であるなら、母は心からは愛されてはいなかったのだろうと思えた。それでも一途に愛し続けて、父は、そんな母が好きだという三角関係。幼馴染の哀しい運命。
しんみりとした空気の中、不意に父が顔を上げて独り言のように言葉を発する。
「そろそろ
つけっぱなしのテレビニュースから、慰霊登山の話題が流れている。この時期になると毎年ニュースになるから、当時を知らない
「新種に自分の名を付けたければ、
テレビ画面を見つめながら父は続ける。
「大学から日帰りできる距離だったから、俺もよく通ったよ。新種とまでは行かないが、亜種や変異種はいくつか見つけている」
「その山で?」
「ああ。まるで進化が早送りされているように、あの山では次々と真新しい種が発見されるんだ。当初は放射能の存在が疑われたりもして、地質の調査に地学部の連中も行っていたっけ。あの災害さえなければおまえを連れて行きたかったなぁ……」
まだ若い血気盛んな研究者にとって思い出深いのか、青春の日々を語る父の顔は輝いて見えた。生物進化の魅力を語る
「僕も、父さんと同じ大学に行って、同じ研究をしたい」
ぴたりと父の動きが止まり、驚いたように目が見開かれる。「そんなに驚かなくても」と、笑ってみせると父も照れたように破顔した。
――僕のお父さんはこの人だけだ。
父は見知らぬあの人じゃない。例え生きているとしても、母を一途に愛し、自分を慈しんでくれたこの人こそが本当の父親なんだと、改めて実感を得た気持ちで。
美しいものに傾倒し、己しか愛せない
* * *
学校を終え、
「ママ!」
「おかえり
「あら、
リビングのソファで叔母と談笑をしていた母親の、ふくよかな胸に飛び込む。
「いつ帰って来たの?」
「さっきよ~。お土産は部屋に入れておいたわ。
「編集長が自ら取材に行かなくても」
呆れたように笑う叔母に、
「だめだめ、最近の若い子は全然使い物にならないんだから。想像力が貧困なのよ~。合併号の特集を任せられる記者はまだ育ってないわ」
「あなたがそうやって自分でやっちゃうから育たないんでしょう。後進を育てるなら信頼して任せないとー」
「……二度失敗するわけにはいかないのよ」
表情を引き締め、怒りにも似た表情を浮かべる母の行動の原動力はすべて、創刊号の回収事件である。
叔母が溜息をつきながら席を立つ。
「だからといって、
「いけない事なの。大田原からの借金もまだ残ってるしね」
キッチンで湯を沸かし、帰って来た姪の分の茶を淹れ始めていた叔母は大きくため息をついた。
「あの話、もしかしてまだ有効なの?」
「らしいわ、もう嫌になっちゃう! 本の内容にも口出しされるし、さっさと稼いで全額返済してみせるわよ~」
「あの話って?」
母親の横に寄り添うように座っていた少女が眉を寄せる。そんな娘を見て、首を左右に振って残念そうに口を開く。
「ああ、
「似てるのは髪質ぐらいでしょ。お人形みたいなお顔は
お茶を机の上に置きながら、叔母は笑う。頬を膨らませるという子供っぽい仕草をしながら、母は娘に向き直った。
「大田原の大叔父が無利子で貸してくれていたんだけど、あなたがあまりにも綺麗に育ったもんだから、孫の嫁にしたいってうるさいのよぉ。借金があると断わりにくいじゃない~」
「大田原のとこの孫って? 息子の方は防衛大臣になったんだよねたしか」
「そうよ、大臣になった政治家の父親の脛をかじり続ける無職の道楽者、しかも四十過ぎのおっさんのはずよ! 十八になったら結婚式とか言い出しててもう焦るったら。何処かの親戚の集まりで見初めたみたいなのよねえ。そりゃあ年の差があっても、
母と父は高校で出会って卒業と同時に結婚するハイスピード婚だったらしく、娘にもそういうドラマや情熱を期待しているようだった。
「彼氏はまだ、かな」
でも不意に、クラスメイトの黒縁眼鏡の少年の姿が脳裏をかすめる。カッコイイより可愛い感じだけど、つないだ手のぬくもりと、女子とは違う骨ばった手を思い出し、微かに頬が上気したのを母親は見逃さなかった。
「好きな人はいるのねぇ? ママが頑張って稼いで、スパッと大叔父の方のお話は断って見せるから、そっちも頑張りなさい!」
パワフルにぎゅっと抱きしめられて、まだ好きかどうかはわからないし、という言葉は紡ぐ事はできなかった。
* * *
夕食を食べ終えると母は帰り支度をはじめ、少女は少し拗ねた表情で彼女のまわりをウロウロする。
「もう行っちゃうの?」
「撮って来た写真を整理しないとねっ。あ、そうだ、あなたまだ鏡の欠片を国のなんとかいう研究所に出してないの? 家に帰ったらポストにお願いの手紙がぎっしりでびっくりしたわあ」
そのうちの最新の一通だけを持って来たらしく、母は上着のポケットから茶封筒を取り出し娘に手渡す。
「文化財的な価値があるかどうか確認したい・調査終了次第返却するって書いてあるし、もう預けちゃったら? パパが最期に握りしめていたものだからと愛着があるのかもだけど」
「そういうのじゃないし……」
「もし貴重な文化財で国に取り上げられるという事なら、ママが何とかしてあげるから。歴史的価値のあるものは国民全員の財産でもあるし、一度ちゃんと調査してもらいなさい~。その方がすっきりするでしょう」
「ママは私がいなくなっちゃってもいいの?」
突然娘が泣きそうな声でこのような事を言うものだから、母は驚いたように目を見開き「あなたって子は何て事を言うの」と強く抱き締めた。
「いなくなったらなんて考えたくないわ。
「研究所で調査中に壊されちゃったらと思って怖いんじゃないの。砕いて成分を調べるとかの検査があったりするし」
食器を洗っていた叔母がキッチンで声を上げる。
「ああ、確かにそういうのがあったら嫌よねえ。もういっそのこと、自分の目の前で調査してくれるなら、っていう条件にしちゃえば? ママがついて行ってあげるわよ」
その言葉に少女は目を輝かせる。
「ママが一緒に行ってくれるなら、そうする」
「会社に戻ってスケジュールを確認したら、そこの何とかいう研究所に問い合わせてみるわ。こちらの希望日で、目の前で調査する事、すぐに返却する事を条件に交渉するわ」
「ありがとうママ!」
「大事な娘の大切な物だもの、ママ頑張っちゃうわよ~」
出張帰りの疲れも見せずに、パワフルな女編集長は勇まし気に胸を叩いた。
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