第五章

第二十三話 美なるもの


 息子の体調を心配をしたのだろう、その日の父の帰宅は早かった。


 ベッドの下にあった古いゲーム機を片づけて、ヤタが隠れる場所をあらかじめ作っておいたので、彼女が部屋にいる事はバレずに済んだが、予想より早い帰宅に少し慌てた。


「具合が良くなったなら、少し母さんの遺品を整理するか?」

「うん」


 廉次れんじが半端に手をつけたせいで、部屋が散らかり気味なので流石にそろそろ片付けたい所でもある。

 衣類は基本的にすべて処分する事にしたようで、それらは透明のビニル袋にまとめられていたが、彼女は元々、服を多くは持っていないタイプだったから、それが無くなってもあまり片付いた気にはならないかもしれない。一番多いのは書籍だろうか。

 しかし父と一緒にひとつひとつ選んで片付けて行くのが、自分達親子には必要な作業に思えたから、素直に隣に腰を下ろして段ボール箱を開けて行く。


「学校の卒業アルバムだ、父さんも写ってるの?」

「ああ」


 拓磨たくまの手からアルバムを預かると数ページパラパラとめくって、集合写真を指差してくれる。


「これが父さん、これが母さん。……そしてこれが、父さんの兄の敬一けいいち


 父の一瞬の躊躇に何かを感じ取ってしまいつつ、指先にある敬一けいいちという人を見る。


「あれ? 父さんって双子じゃなかったの」


 父母は自分の知る面影が学生時代にもある。しかし指された少年は、父と全く似ていない。父は少しあか抜けない朴訥さがあって柔和な感じがあるが、兄という人はどちらかというと美人系で、冷たい印象がある。小柄な体格は同じだが、言われなければ兄弟であるという事すらわからないだろう。

 

「二卵性だからかな」


 肩をすくめながらアルバムを閉じ、処分する本の山の上に置かれる。


「あれ? 捨てちゃうの」

「父さんも持ってるから、同じ物二冊はいらないだろう」

「あ、そうか」


 拓磨たくまの前にある段ボールは、本棚からごっそり抜き取ってそのままを押し込んだようで、アルバム類が続いてる。

 次のアルバムは大学生時代のもののようだ。成人式の写真等もあって、祖父母の姿もある。どんなイベントのシーンでも、母の両隣には敬一けいいち廉次れんじの二人が常にいる。だが彼女が腕を絡めているのは、敬一けいいちの方。

 少し眉をひそめてしまったのかもしれない。表情に出てしまった事に気付き顔を上げると、父が苦しそうに微笑んでいた。


「親戚筋のお喋りばあさん達から聞かされた事もあったと思うが、母さんがずっと付き合っていたのは兄の方なんだ」

「そ、そうなんだ。うん、時々聞かされてた」


 しどろもどろにそう答えれば、父はアルバムを拓磨たくまの手から取り上げて元の段ボール箱の中に戻し、蓋をして隅に寄せてしまった。

 

「彼女は兄にとことん恋焦がれていて、山から帰らないという一報のあとまだ地盤が不安定だというのに、立ち入り禁止の柵を潜り抜けて何度も無断で、危険な状態の山にあいつを探しに……」


 当時を思い出したのか、父は苦し気に息を吐く。吐ききって、大きく息を吸ったのち、絞り出すような声を出した。


「いつか、話さなければならないと思っていた」


 父はソファーにどかりと腰を下ろしたので、拓磨たくまもそれにならって向かいに座る。


「最初にどうしても言っておきたい事がある。何があっても、どういう事であっても、お前の父親はこのオレだ。生まれたばかりのタクを抱き上げたのも、名前を付けたのも、運動会で一緒に走ったのも全部」

「うん」

「だが実の父が誰かと言えば、兄の敬一けいいちだ」


 覚悟はしていた。

 何をもって父親とするというのかをいえば、育ててくれた彼こそが父であるという気持ちは強い。遺伝子的にも双子ならばそれほど差もないはず。実父と伯父の差はあれど血のつながりは問題なくあるのだ。だから生活上の絆だけじゃなく命の絆もあると言っていい。だから大丈夫と、何故か必死に自分に言い聞かせる事に気付いてハッとする。無意識に手は膝上で強く握りこまれていて慌てて緩めると、父も同じように手を開き、汗をかいたのか掌をズボンにこすりつけて拭いている。


「多分そうじゃないかなとは思ってた。でも僕にとっての父親は父さんだけだよ」


 そう言うと廉次れんじはホッとした顔をした。だが、すぐに再び苦し気な顔に戻る。


「……生きていたんだ」

「え?」

「兄さんが、生きていたんだ。山で行方不明になって死んだはずの敬一けいいちが」


――実の父……が生きてる……?


「この間、急いでアメリカに行ったのってもしかして」

「仕事があったのは本当だが、本当は直接現地に行く必要まではなかった。生きているかもしれないと思ったのは、母さんと兄とだけで使っていたプライベートのメールアドレスに、空っぽのメールが届いたから。だからおまえとこの話をしなければならないと決心した所で、あいつをアメリカで見たという噂を聞いて、居ても立っても居られなくて」


 父が遺品整理をしようと言い出したあの日。あれがメールの届いた日だったのかと気づく。


「会ったの?」

「いや、入れ違いだったみたいだ。だが話を聞く限り、敬一けいいちで間違いない」


 あの日、父からの過保護なメール。親戚を名乗る者が現れても玄関を開けるなというのはこのせいだったのかと得心がいく。

 もし実の父がここにやってきたら自分はどうするだろう。写真を見ても何もピンとこなかった。父はきっと、生きていた兄が親として名乗りを上げる事を恐れたのかもしれない。いつかは言わなければと思いながらも先延ばしにしてきたこの事実を、母の遺品整理を口実にしてきっかけを作ってまで急に伝える気になったのは、彼が生きていたから。


「どういう人だったのか、聞いてもいい?」

「そうだな、知っておいた方がいいかもしれない。さっき写真を見て、おまえはどう思った?」


 廉次れんじは前屈みで手を前に組み、所在なさげにもじもじと指を弄ぶ落着きのなさを見せる。解答の内容によっては、父を傷つけるかもしれないと思うと緊張してしまったが、正直な第一印象を口にする。


「なんだか、綺麗な顔立ちの人だなって。秀麗な、というのかな。女の人とはまた違うけど、惹かれるものがあると思う」

「そうだろう。そしてあいつは自分のその美しさに対して自覚があった。とにかく美しい物が好きで、宝石や花、美術品を眺めてはうっとりとしていた。そして鏡を見ては同じように恍惚の表情を浮かべる。自分が一番美しいってね。俺と双子である事を嫌がる素振りもあったが、引き立て役には丁度いいと思ったのか、何処に行くのにもよく連れまわされたよ」

「何それひどい」

「母さんは、兄さんに夢中だった。だが敬一けいいちは美しい物にしか興味を示さなかったから、見目はそれなりに可愛らしいがあいつの望むを持ち合わせていなかった彼女の独り相撲というか、一方的に恋人ぶっていたというのが正しいかもしれない。だからおまえがお腹にいると知った時は、随分驚いてしまった。敬一けいいちにとって母さんは、……例え欲望の処理に使うだけであっても対象外だったというか……幼馴染だから義理で、傍に置いてやってるといった感じの」


 父は、彼を嫌っていてあえて悪く言っているのか、真実そういう人だったのかわからず拓磨たくまは口をつぐむ。


「親戚にも聞いただろ、母さんはしたたかだって。確かに自分の欲求のためには手段を選ばないような所があったかな。父さんとしては、そういう強さに惹かれたんだが。兄も、自分の美しさを認めて心棒する母の存在はそれなりには心地よいものだったのかもしれない」

「母さんが、僕が美術の成績が良かったり綺麗なものが好きと言ったら喜んでいたのってもしかして」

「失われた愛する人物の片鱗を感じて、嬉しかったんだろうな」


 父が、自分が美術の道に進む事に微妙な態度だった理由は、実父の属性を継いでいる部分が見えてしまうからだったのかと。ただそれでも、好きな道に進む事を遮るような事はしなかった。今の高校に勝手に決められはしたけども、「タクが自分で決められないなら、将来食べて行く職業として堅実な方を」と未来を慮っての事であろう。


「そんな人だったのに、生物学を修めていたの? ファッション業界とか芸能界とか、美術の方に進みそうなのに」

「俺は生物の進化について興味を持って理学部に進んだが、あいつは生物の造詣に美を感じて、だな」

「どの生き物も洗練されていて綺麗だと、僕も思っちゃう」


 やはり自分はその人の子なのかもしれないと思ってしまう。先日見た龍の絵も、生き物の美の集大成のようで感動したものだ。

 しかし廉次れんじは目を閉じて首を振る。


「蝶の羽根が綺麗だとか魚の曲線美に惚れ惚れするのは、俺にだってあるし、生きて行く上で必要な造形が作り出す美は理解できる。あいつの美しさの感じ方はもっとこう、何ていうか」


 言いにくそうに口籠るが、深呼吸の後一気に吐き出すように語られる言葉に、拓磨たくまは背筋が凍った。


「解剖の授業で、ばらばらになったパーツや内臓を舐めるように眺めて、恍惚の表情を浮かべるような愛で方だ。確かに内部の構造も素晴らしく効率的で整った美はあると思うが、あいつはいつか生きた人間をばらして美しいと言い出すのではないかと。……言い出しかねない奴だった」

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