第二十二話 濃度


 新しいが小さなビルの事務机が五つしかない部屋で、窓を背にした席の長身の男はブラインドを上げる。傾き始めた太陽は丁度真向かいにあって、眩しさに目を細めると溜息と共に再び下ろした。


「……またか」

「これ以上は情報を抑え込めないかもしれません。SNSでは個人の発信が多いですし、先日のテレビ放送の影響も少なからずあるようで」

「信じる人間が増えるとやっかいだな……」


 事務机を前に剣持けんもちは右手のペンを無意識にまわす。

 今日の部下は、彼にとっても部署にとっても数少ない優秀な人材で、報告内容の信ぴょう性は高い。他の部下達には式神をつけ、動向を監視しているが、彼だけにはつけていないという信頼度だった。


 神粒しんりゅうのやっかいな点は、信じる人間が増える程、すべてが真実になってしまう点だ。疑念を持つ人間のノイズが減れば些細な願いやイメージでも具現化しやすい。するとまた奇跡や超常現象を目の当たりにした人間が出て、信じる者が増える。妖怪が現れたという地域では、妖怪の目撃情報が頻発するであろう。

 兼ねてより心霊スポットと呼ばれる場所がそのような状態だったが、今は神粒しんりゅうの濃度が高く、より多くの人間の目に触れるレベルの塊を生じさせやすい。

 日本国内の濃度が他国に比べて高濃度な理由は、一神教の国では一か所に集まってそのままだが、日本のように八百万やおよろずと称されるほどに小さな神々が多いと、祀られていた地域文化が廃れると完全に存在を忘れ去られ、元の神粒しんりゅうに戻っていく頻度が高い。付喪神が現れるほど大切に長く使われる物が減った使い捨ての時代というのも、原因の一つになっている。

 更には”神”という言葉を、優秀な人材に対する呼称として多用する事によって神性も生じにくく、本来の意味での神が形成される頻度も少ない。


「幽霊を見た、妖怪がいた程度なら笑い飛ばせても、実際に病気を癒す奇跡なんかが出て来ると」

「出たのか」

「……はい。新興宗教団体の”叢雲むらくも光輝こうき”という団体が、余命半年の少女の病を癒したとかで、人が殺到しているようです。実際回復したかどうかは眉唾ですが」

「日本列島は竜神の姿を模したものと言ってる連中だな」

神粒しんりゅうは一部の独占ではなく、全ての人間が恩恵を得るべきとして、布教に努めているようです」

「先日の番組もそいつらの仕業か」

「おそらく」

「性善説で世の中は成り立っていないという事がわからないのか。薬にもなるだろうが毒にもなる。むしろ扱いを間違えれば湖の生き物を全滅させる一滴にもなりうるんだぞ……!」

「現在の陰陽師の知識独占に敵意があるのは間違いないでしょう。式という形で神を作り出し使役するなどと、神の存在を信じ心棒する彼らにとっては許しがたい行為ですし。もしかすると彼らはまだ神粒しんりゅうの使い方を完全にマスターできておらず、多くの人間に使わせる事で、薬となるか毒になるかの力加減を見極めようとしている可能性もあります」

「はた迷惑な……!」


 比喩ではなく実際に頭を抱えてしまう。ぐしゃりと音が聞こえるのではないかと言う程に力強く、整えた前髪を握りつぶす。


 陰陽師は神粒しんりゅうの扱いについて一歩リードしているとはいえ、未だに解明できていない事は多い。海外を中心とした、生物との関わりからの科学的な解明や発見も見過ごす事はできない。

 一歩ではダメなのだ。

 全てに先んじて何歩も前に行かねばならぬ。追いかける気力も沸かないほどに振り切らねば意味がない。解明に最も近かった加賀見かがみ博士が亡くなってしまったのは、今となってはかなりの痛手である。


――当時の政府が彼を排除せず、うまく中務省なかつかさしょうに取り込んでおけば。


 当時は政府内でも意見は半々だったという。今でも半信半疑の議員は多いと聞く。目に見えない力を信じるのは難しいし、それを国の武力とするというのは流石に突飛なアイデアだったろう。雑誌の回収で一般に流布する事を防いだ後の行動は散々だった。研究は陰陽寮に丸投げされ、わずかな人員と予算で回す日々。結果を出すために先んじて資金が必要なのに、結果が出るまでろくに予算が組まれない矛盾。


「……剣持けんもち様、やはりここは白戸しろと様の手を借りるべきでは」

「……あいつには古物の墓守がお似合いだ」


 部下の視線が頬の三本の傷をチロリと撫でたのがわかった。椅子を軋ませて背もたれに深く体を預けると吐き捨てるように言い放つ。


「どいつもこいつも、あいつが大人しく引いたと思っている。人好きする性格のように見えて、その実はとことん冷徹という二面性の持ち主だぞ。状況をひっくり返す切り札を手に入れたか、別の方法を見出したのだろう。あいつはみんなで仲良くゴールを目指すタイプじゃない、貪欲に独り勝ちを狙うしたたかな猛獣だ。傍に置くと足元を掬われるぞ」

「……そういえば兄弟であらせられましたか」

「あいつは養子で血のつながりはないが、六歳の時から一緒に育った。だからわかる」


 憎しみすら籠める口ぶりに、部下はこれ以上の発言の無意味さを感じ取った。優秀な上司だが、ことライバルだった人物の名を出すと途端に頑なになる。


 直接の勝負に勝って手に入れると息巻いていた陰陽師としての名声も、妻となる令嬢も、今の地位も全て、押し付けられたとあっては、その気持ちもわからないでもなかったが。


* * *


 帰宅する白戸しろとを見送ってリビングに戻ると、寝てたはずの鴉が起きていた。


『タクマ、もう大丈夫?』

「うん」

『ごめんね、私のせいだよね。人間にあれが見えるようになることがそんなに悪い事になるとは思わなかったの』


 大きく膨らんだかと思うと一気に貧相に細まって、どうやら溜息をついたようだった。


「何が悪いかというと、僕が臆病なのが一番悪いかな」

『タクマは臆病じゃないよ、あれに立ち向かったじゃない』

「結果は散々だったし、悪化したみたいだから。白戸しろとさんに迷惑をかけちゃったな。またお詫びに羊羹を買っていかないと」


 あんなに不調だったのが嘘のように体が軽い。人の念の強さと重さを改めて実感する。健康って素晴らしいなと考えていると途端にお腹がすいてきたので、コンビニへ軽食を買いに行く事にする。着替えをしていると、ヤタがちょこちょこと窓際に寄って行った。


「ヤタも出かける?」

『うん』

「今夜はどうするの」

『ここに帰って来てもいい?』

「いいよ」


 そう答えると嬉しそうにクアと軽く鳴き、窓を開けるとばさりと羽ばたきの音を残して飛び立って行った。


 コンビニでオニギリ一個と、ヤタのためのカットフルーツ。白戸しろとの話によると、御使いは特に食べる必要はないらしいが、彼女が食べている姿が好きなのでつい買ってしまった。

 ヤタは実際の野鳥と見た目や身体組成がより近く構成されているらしく、怪我をすれば血も出るが、伝染病やダニやノミの類もつかないからペットとするのには悪くはないという。普通の鳥に見える作りにはなっているが、そこはやはり神粒しんりゅうで出来上がった御使い。大きなダメージを受けて一時的に霧散しても、周辺の神粒しんりゅうが集まれば一定の時間で元の姿を形成するから死ぬ事もない。

 しかし御使いといえど、国が異なれば悪魔だとか魔物と呼ばれる事になる存在だから、油断はしないようにと念を押された。

 今のところヤタの普通の鳥ではないという所は、人間の姿になる事が出来る事と喋れる事ぐらいで、魔物のような強さや魔法のような力を使う様子は全く見受けられない。むしろそういう力があるなら拓磨たくまの力など必要としなかっただろう。

 彼女が探す鏡姫についても、他の鳥に噂を聞くような地道な探し方をしている様子だ。


 コンビニの袋を下げて、一丁目のゴミ置き場のところで足が止まる。


――見えるとつい、悪い方向に想像しちゃうんだよな。


 草葉の影や木目が顔に見えてしまったりする類像現象は、本能として備わっているものだから反射的に想像してしまう事を避けるのは難しい。

 そうなると白戸しろとの言う通り、祓う事が出来るようになるのは大事に思えた。古賀こががやっている事が、いわゆる祓いなのだろう。集まった神粒しんりゅうを四散させて濃度を薄める事ができれば、もし悪い想像が反映されてしまっても何とかできる。

 いきなり先日のような強固なものは失敗したときのリスクが大きいが、まだ固まり切る前の薄い状態なら、上手くいかなくても大きな被害が出ないと思われる。


――ここを練習の場所にするのはいいのかもしれない。通り道だし。


 今日見た所、まだ拓磨たくまの目で認識できるほどは神粒しんりゅうは集まって来てはいないようだった。

 現状はろうそくの炎を消す程度のスキルだから、見えるか見えないかぐらいの濃度の時から練習すればいいのかもしれないと思う。

 「麻の苗木を毎日飛び越える忍者の修行みたいだな」と思うと、少しゲームの成長要素のようで、やってみようかという気持ちが沸いて来た。


 眼鏡を外して生活する勇気はまだ持てなかったが、神粒しんりゅうに対抗できるようになっていく過程で、その勇気が芽生える日が来るのではないかという予感があった。

 そしてその日は、遠くはないのではないかと。

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