第二十二話 濃度
新しいが小さなビルの事務机が五つしかない部屋で、窓を背にした席の長身の男はブラインドを上げる。傾き始めた太陽は丁度真向かいにあって、眩しさに目を細めると溜息と共に再び下ろした。
「……またか」
「これ以上は情報を抑え込めないかもしれません。SNSでは個人の発信が多いですし、先日のテレビ放送の影響も少なからずあるようで」
「信じる人間が増えるとやっかいだな……」
事務机を前に
今日の部下は、彼にとっても部署にとっても数少ない優秀な人材で、報告内容の信ぴょう性は高い。他の部下達には式神をつけ、動向を監視しているが、彼だけにはつけていないという信頼度だった。
兼ねてより心霊スポットと呼ばれる場所がそのような状態だったが、今は
日本国内の濃度が他国に比べて高濃度な理由は、一神教の国では一か所に集まってそのままだが、日本のように
更には”神”という言葉を、優秀な人材に対する呼称として多用する事によって神性も生じにくく、本来の意味での神が形成される頻度も少ない。
「幽霊を見た、妖怪がいた程度なら笑い飛ばせても、実際に病気を癒す奇跡なんかが出て来ると」
「出たのか」
「……はい。新興宗教団体の”
「日本列島は竜神の姿を模したものと言ってる連中だな」
「
「先日の番組もそいつらの仕業か」
「おそらく」
「性善説で世の中は成り立っていないという事がわからないのか。薬にもなるだろうが毒にもなる。むしろ扱いを間違えれば湖の生き物を全滅させる一滴にもなりうるんだぞ……!」
「現在の陰陽師の知識独占に敵意があるのは間違いないでしょう。式という形で神を作り出し使役するなどと、神の存在を信じ心棒する彼らにとっては許しがたい行為ですし。もしかすると彼らはまだ
「はた迷惑な……!」
比喩ではなく実際に頭を抱えてしまう。ぐしゃりと音が聞こえるのではないかと言う程に力強く、整えた前髪を握りつぶす。
陰陽師は
一歩ではダメなのだ。
全てに先んじて何歩も前に行かねばならぬ。追いかける気力も沸かないほどに振り切らねば意味がない。解明に最も近かった
――当時の政府が彼を排除せず、うまく
当時は政府内でも意見は半々だったという。今でも半信半疑の議員は多いと聞く。目に見えない力を信じるのは難しいし、それを国の武力とするというのは流石に突飛なアイデアだったろう。雑誌の回収で一般に流布する事を防いだ後の行動は散々だった。研究は陰陽寮に丸投げされ、わずかな人員と予算で回す日々。結果を出すために先んじて資金が必要なのに、結果が出るまでろくに予算が組まれない矛盾。
「……
「……あいつには古物の墓守がお似合いだ」
部下の視線が頬の三本の傷をチロリと撫でたのがわかった。椅子を軋ませて背もたれに深く体を預けると吐き捨てるように言い放つ。
「どいつもこいつも、あいつが大人しく引いたと思っている。人好きする性格のように見えて、その実はとことん冷徹という二面性の持ち主だぞ。状況をひっくり返す切り札を手に入れたか、別の方法を見出したのだろう。あいつはみんなで仲良くゴールを目指すタイプじゃない、貪欲に独り勝ちを狙うしたたかな猛獣だ。傍に置くと足元を掬われるぞ」
「……そういえば兄弟であらせられましたか」
「あいつは養子で血のつながりはないが、六歳の時から一緒に育った。だからわかる」
憎しみすら籠める口ぶりに、部下はこれ以上の発言の無意味さを感じ取った。優秀な上司だが、ことライバルだった人物の名を出すと途端に頑なになる。
直接の勝負に勝って手に入れると息巻いていた陰陽師としての名声も、妻となる令嬢も、今の地位も全て、のしを付けて押し付けられたとあっては、その気持ちもわからないでもなかったが。
* * *
帰宅する
『タクマ、もう大丈夫?』
「うん」
『ごめんね、私のせいだよね。人間にあれが見えるようになることがそんなに悪い事になるとは思わなかったの』
大きく膨らんだかと思うと一気に貧相に細まって、どうやら溜息をついたようだった。
「何が悪いかというと、僕が臆病なのが一番悪いかな」
『タクマは臆病じゃないよ、あれに立ち向かったじゃない』
「結果は散々だったし、悪化したみたいだから。
あんなに不調だったのが嘘のように体が軽い。人の念の強さと重さを改めて実感する。健康って素晴らしいなと考えていると途端にお腹がすいてきたので、コンビニへ軽食を買いに行く事にする。着替えをしていると、ヤタがちょこちょこと窓際に寄って行った。
「ヤタも出かける?」
『うん』
「今夜はどうするの」
『ここに帰って来てもいい?』
「いいよ」
そう答えると嬉しそうにクアと軽く鳴き、窓を開けるとばさりと羽ばたきの音を残して飛び立って行った。
コンビニでオニギリ一個と、ヤタのためのカットフルーツ。
ヤタは実際の野鳥と見た目や身体組成がより近く構成されているらしく、怪我をすれば血も出るが、伝染病やダニやノミの類もつかないからペットとするのには悪くはないという。普通の鳥に見える作りにはなっているが、そこはやはり
しかし御使いといえど、国が異なれば悪魔だとか魔物と呼ばれる事になる存在だから、油断はしないようにと念を押された。
今のところヤタの普通の鳥ではないという所は、人間の姿になる事が出来る事と喋れる事ぐらいで、魔物のような強さや魔法のような力を使う様子は全く見受けられない。むしろそういう力があるなら
彼女が探す鏡姫についても、他の鳥に噂を聞くような地道な探し方をしている様子だ。
コンビニの袋を下げて、一丁目のゴミ置き場のところで足が止まる。
――見えるとつい、悪い方向に想像しちゃうんだよな。
草葉の影や木目が顔に見えてしまったりする類像現象は、本能として備わっているものだから反射的に想像してしまう事を避けるのは難しい。
そうなると
いきなり先日のような強固なものは失敗したときのリスクが大きいが、まだ固まり切る前の薄い状態なら、上手くいかなくても大きな被害が出ないと思われる。
――ここを練習の場所にするのはいいのかもしれない。通り道だし。
今日見た所、まだ
現状はろうそくの炎を消す程度のスキルだから、見えるか見えないかぐらいの濃度の時から練習すればいいのかもしれないと思う。
「麻の苗木を毎日飛び越える忍者の修行みたいだな」と思うと、少しゲームの成長要素のようで、やってみようかという気持ちが沸いて来た。
眼鏡を外して生活する勇気はまだ持てなかったが、
そしてその日は、遠くはないのではないかと。
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