第十九話 実践
ひとしきり説明を終えた後、男はしばし考える素振りを見せたが、数度頭を振る。
「今は俺も
残念そうな口調であった。だが
「そのクラスメイトのために何かしたいなら、たっくんも陰陽師としてのスキルや知識を持っていた方がいいかもしれない。直接危害を加えて来るような事はさすがに国の機関だからないだろうが、式神で監視されたりすると気分のいい物ではないと思う。教えるのは不得手だが、うちの仕事を手伝ってもらうのにもマスターしてもらえると有難いところではある」
「……やって、みたいです」
些細な事で鳥を呼んでヤタの羽根を失わせるのは辞めたいという思いもあるし、身に着けられる可能性のあるスキルは手に入れておきたい。
改めて、掌の上の鳥の形をした紙を見つめる。
「印を切るのも呪文を唱えるのも、己の集中力を高めるための作法でしかない。だから実際の行動は何でもいい。イメージを明確にし、
腕を組み、実験の観察をする研究者のような様子でこちらを見る無精髭の男を前に緊張しないでもないが、指でつまんだ白い和紙の欠片を見つめ、周囲にあるという
――集まれ、固まれ、この依り代に。
息を止めて集中するが、紙は紙のままだ。
ハァーと声を出しながら止めていた息を吐いて、
「こういうの、全然ダメみたいです」
「最初は三本目の腕を動かすようなものだからな。感覚を掴むまでが難ししいだけで、一度マスターすれば簡単なんだが」
ふと、先日も同じ事を言われた事を
「あの、もう一度いいですか?」
「ん? やってみるか」
再度紙片を受け取ると目を閉じて、周囲の
目を開けて白い紙の上に小さな小鳥をイメージすると、指先の熱が紙に吸い取られるような感覚。同時に紙片は光を帯びて小鳥を造形した。ただし、
「おお、出来てるな!」
それでも驚いた表情で
「やはり才能があるな。ダメ元だったんだが」
感心した様子で何度もうなずく。振り向くと打掛から伸びた白い腕がサムズアップして
才能があると連呼されると、照れながらも嬉しさが募る。玄関で靴を履きながら振り返ると、奥の部屋で打掛が元気に手を振っていた。自分でも順応性の高さに驚くが、不気味に見えたあれも今では愛嬌があって可愛いとさえ思う。
「お疲れ様でした」
「じゃあまた来週頼むよ」
「はい」
雇い主には会釈をして、打掛には軽く手を振る。そんな
しかし少年が扉を閉めてその姿が見えなくなると、視線は冷徹で殺意すら感じるものに変わり、何度か顎をしごくと踵を返す。
「
打掛の両腕が、怯えたように袖の中に隠れた。
* * *
秋の日は短くて日はもう落ちかけている。目線をあげるとアンティークショップの鳥居のような看板の上に見慣れた鴉がいて、カァと鳴いた。
「ヤタどうしたの、もう暗くなるのに」
『今夜も一緒にいたい』
台詞だけ聞くとセクシーなお誘いだが、毎朝クシャミで起きるのは流石に辛い。しかしこの日暮れの速さを考えると、ねぐらにしている木まで戻るのも鳥目では辛い事だろう。
「今日はバッグを持ってないんだよ、どうやって部屋まで連れて行こう……」
悩む少年に構わず、鳥は肩に舞い降りた。
「ちょっ、こんな人目のある道路で肩に乗せては歩けないよ!」
慌てて路地の暗がりに身を投じると、不服そうにカァと鳴いたから諦めてくれるのかと思いきや、くいっと体を捻って
「んぐっ」
反射的に目を閉じてしまったが、唇に触れる硬い嘴が、柔らかな少女の物に代わって、おそるおそる瞼を上げると黒髪の少女のかわいい耳が見えた。預けられた体をこれまた反射的に抱き締めてしまって、傍から見ると熱烈なキスシーンになってしまう。
身長の低い拓磨より更に少女のヤタは背が低くて、首に腕をまわしてしがみ付くようにぶら下がっている状態でもあって、それがまた濃厚さを醸し出す。
実際はちゅるちゅると、
さすがにいつまでも吸われている訳にいかないので、なんとか体を押して引きはがすと、うっとりと少女が見上げる。くりくりとした黒い瞳が濡れて、より一層魅力的に見えて心臓が跳ねた。
――鴉にときめいてどうするんだ僕は。
鴉を連れていくのも問題だが、こんな女の子を連れてマンションに帰ると、それはそれで誰かに見られると噂になってしまいそうな気がする。だいたい、父が帰っていたら何と言い訳すればいいのか。
当然のような顔でヤタが腕を絡めて来る。ウキウキと嬉しそうにしているから、この表情を曇らせるのも気が咎めた。
とりあえずマンションの近くに行って、通路に誰もいなければそのまま部屋へ。廊下やエレベーターに誰かいるようなら、そして自宅に電気がついているようなら、鴉に戻ってマンションの照明を頼りにベランダから入ってもらうしかない。
「ヤタはその姿になるの好きなの?」
「うん!」
目線が新鮮なのかもしれない。ウキウキとこれからデートでもするのかと楽しそうにしているので、まあいいかと歩き出す。
人の姿になっても鳥目らしくて、拓磨の腕にしがみつくように歩く少女。彼女と初めて出会ったゴミ置き場のそばに差し掛かかったところで、一度立ち止まる。
「そういえばヤタはここで何をしてたの?」
「ん-ー、
確かにゴミ置き場に集まっているというのは不思議に思えた。そういえばあの時、黒い何かが見えた気がして……と思い出していたところ、「しまった」と思った時にはもう遅く、ゴミ置き場に黒くてのっそりとした塊が現れてしまった。
「……何をやっているんだろ……」
ヤタが、先程より強く腕に抱き着いて来た。
「怖いの?」
「あれは良くないものだわ。誰かを傷つけたりするかもしれない……」
ゴミを漁る事が出来るという事は、物理的に何か出来るという事だ。ゴミ袋を裂く事が出来るなら、人や動物を傷つける事も容易だろう。自分以外にも見える人はいるだろうから、そういう人が刺激をしてしまったら。襲われる事をイメージしてしまえば、いつかの
この出来事を後で思い返す時、少年はいかに自分が慢心していたのか思い知る事になるだろう。
何年もかけて習得したという
自分にはこういう事に対処可能な才能があると、――なんとかできると思ってしまったのだ。
しかし結局は小さなろうそくの炎を消し、小鳥の輪郭の靄を作れる程度のスキルである。
数歩近づいた段階で、黒い塊に気付かれた気がした。
想像より大きく、靄のような曖昧なものではない存在感と重量感に、反射的に恐怖を覚えた
黒い塊は間髪を入れずに走り寄って来ると、少年の悪い想像の通りに両手の巨大な鍵爪を振り下ろしてきた。全ては数秒の出来事で、足がすくみ何もできない。
視界全てが巨体によって黒になり、銀色の爪だけが軌跡を描くその光景を、瞬きもせずスローモーションで見つめる中、ヤタの悲鳴が聞こえた気がした。
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