第十七話 過去、あの日も雨
ポケットに両手を入れて足早に歩いていると、ヤタと最初に出会った一丁目のゴミ置き場に差し掛かる。つい先日の事なのに懐かしい気もして、ついつい足が止まりかける。
目を向ければ昨日もゴミが荒らされたらしく、若い主婦らしき人が箒と塵取りを使って収集される事のなかった残骸を片付けていた。こういう仕事は当番制か気づいた住民がやる事になるが、誰が出したかわからないような残飯や汚物類を掃除する事を大抵の人は嫌悪する。
この人も大変だなと思いながら通り過ぎる際、ふと目に入ったその女性の嬉しそうな横顔が見えた。楽し気にゴミを集め、散らばったグシャグシャのレシートを拾っている。傍を通る
――さっきまで楽しそうだったのに、何でだろ?
漠然と、ただ掃除をする事で場が綺麗になる事が楽しくて好きな人なのかと思ったが、ある程度進んで振り返った際、その女性は拾い集めたレシートを広げて見ているところだった。
拓磨は軽く首をかしげはしたものの、約束の時間を考えると寄り道の余裕はないから、その場をとりあえず後にした。
* * *
「時給は千二百円、毎週日曜の朝九時から夕方の五時まで。昼の休憩は一時間で、ランチは隣の喫茶店が用意して持って来てくれる。十時と三時はおやつ休憩としよう。主な業務は品物の目録作りと記録。時々荷物の移動の力仕事があるので、動きやすい服装が理想だな」
今日の
「仕事は、今日からでもいいかい?」
「はい、そのつもりで来ました」
満足げに
「何ですこれ?」
「事務仕事の時はそれを羽織っておいてくれ。思いが込められまくって付喪神が宿るに至ったのに、結局着られる事なくしまい込まれて呪いのアイテムと化したやつだ」
その説明に、少年はげんなりとした表情を浮かべた。
「女物はサイズ的に俺は着て歩けなくてな」
そう言って笑って肩をすくめる姿に、着物なぞサイズはあってないようなものではないかとチラリと思わなくもないが、自分と比べると随分男らしい肩幅を見ると打掛の方が満足しないのかもしれないとも思えた。ずるりと肩から落ちかけた打掛を肩にひっかけ直していると、
「手書きのメモをとりあえず入力してデータ化して欲しい、タイピングは大丈夫かな?」
ゲームのチャット入力はお手の物であるから、「はい」としっかり返事をした。そんな
漠然とそんな風に思いながらも、指示された仕事を始める。暖房が使えないと言っていた部屋は気温が低い様子だが、羽織っている打掛がとても暖かくて苦にならない。出会った時から感じていた事だが、随分と細やかな気遣いをする人だなと。そういう繊細なところが、付喪神に寄り添うこの仕事に合うのだろうか。
初めてのバイト、初めての仕事。最初は緊張もあったが、持ち前の集中力で時間を忘れて入力を続けていて、トントンと肩を指でつつかれる感触に我に返ると、一瞬自分が何処にいるのかもわからなくなっていた。
「初日からそんなに根を詰めなくてもいい」
「あれっもうお昼です!?」
時計を見ると十二時を指していた。本当にあっという間だった
「打掛はそこにかけておいて、ランチにしよう」
いつの間にか背後に、衣紋掛けが用意されていた。指示された通りに打掛を丁寧にかけると、見事な出来栄えの鶴と花の刺繍に思わず「すごいですね」と感嘆の声が漏れる。
「良いものだが、しまい込んでいちゃな。こんなふうに飾っておくのも何か違うだろうし」
資産価値があったり資料的価値が増して来ると、物は本来の用途で使われる事はすっかりなくなってしまう。本来の目的とは違う、飾って鑑賞されるだけになるものも多いだろう。使えば減る、傷む、壊れるというのは物の運命だが、価値あるものを自分の手で喪失させる勇気を持てる人はまずいない。それでも、使われたいという思いや願いを叶えてやるべきではないかとも、思う自分がいた。
案内された別の部屋は六畳ほどの狭さだが、中央に年季の入っていそうな炬燵。まさかこれも、と視線を
喫茶店が用意してくれたというランチは、湯気のたつ出来立てのビーフシチューとサラダ、それに添えられたパンは籐で編まれたお洒落なバスケットに入っていた。炬燵のある風景には合わないが、用意された座布団に腰を下ろすと、「冷めないうちに」と声をかけられたので素直にスプーンを手に取った。
再びの既視感。
あの時も、同じように促されスプーンを手に取った。
はっと顔を上げて、食事をはじめている
「思い出したかい、たっくん」
* * *
中学二年。進路のアンケートを前にして、
窓の外でざぁざぁと降り注ぐ雨の音がやたらと大きく部屋に満ち、重苦しい二人きりの空間で、突然呼吸が出来なくなった。
この部屋で溺れるような感覚に陥った未熟な少年は、「僕に何が決められるって言うんだよ! 美術の方がいいって言ったら、いつも微妙な顔をするくせに!」と叫ぶと、衝動的に靴も履かずに外に飛び出してしまった。
「タク!」
だが少年にとっては、追いかけてくれなかった心細さが自棄の気持ちに拍車をかけてしまった。
――もうどうなったっていい。何もかもどうでもいい。
そんな気持ちで土砂降りの夜、車道に飛び出してしまったのだ。死にたい等と具体的に思ったわけではない。だが、目がくらむヘッドライトの光で世界が真っ白に見えたとき、自分は死ぬのだと思った。
次に我に返った時、路肩に止められた高級車のハザードランプのチカチカとしたオレンジ色が暖かく見え、自分が抱き上げられている事に気付いた。助手席の窓を少しだけ開き、女性が男に呼びかける。
「
拓磨の背に腕をまわす男性は、高価そうでスタイリッシュなスリーピースのスーツに身を包み、撫でつけられた髪はやや乱れているものの、雨に濡れる端正な顔には色気すらあって、モデルか俳優かとぼんやり考えてしまう程度に混乱したまま。
抱き上げられるが四肢に力は入らず、ぐったりとしたまま車の後部座席に横たえられると、女性が嫌悪も露わに悲鳴のようにまくしたて始めた。
「やだ、汚い! 信じられないまさかその子を連れて行くつもり? あり得ない、私よりその小汚い子供を優先するつもりなの!?」
無言のまま男は通りかかったタクシーに手をあげて停めると、女の二の腕を掴んで助手席から引きずり出し、そのままタクシーに押しこんだ。罵倒の声が聞こえ続けていたが、彼が運転席に戻り、開けっ放しだったドアを閉めるとカチカチというハザードの音と車のエンジン音だけの空間になった。
――僕、一体何を……。
衝動的に自殺めいた事をしてしまったという恐怖と、濡れたために急激に下がる体温にぶるりと体が震える。気づいたのかどうかこちらを見る素振りはなかったが、彼はパネルをいくつか操作する。コーーと音を立て、カーエアコンの温風が頬を撫でて来た。
「家は?」
この状況では真っ当な問いであったが、
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