第四章
第十六話 練習
隣町との境目に、古くからこの地にある神社が佇む。昨今の宅地開発の中で自然を多く残すこの場所は、周辺住民の憩いの場でもあるし町の数少ない観光名所の一つでもある。
見どころは社殿の天井画。干ばつでこの地域が存亡の危機に陥った時、巫女の祈りこたえて龍神が現れた事に由来する伝承の図でもあった。
極彩色の詳細な図柄は無名の絵師の手によるものだとは到底思えないが、作者は不詳。拓磨は今年の絵画コンクールで、この龍神図をモチーフに一枚の油絵を仕上げて賞をもらった。天井画を模写したものではなく、初めてそれを見た時に感じた美しさの感動を龍の絵に重ねたもので、この神社の天井画が着想の元になっているというのは、この神社で生まれ育った
午後、柔らかな陽光を感じつつ軽く参拝をし神様に挨拶をする。
この閉ざされた本殿の奥で、
「おう、来たなっ」
よっと軽い感じで右手を挙げる
「先輩、今日でも大丈夫ですか?」
「ああ。土曜の仕事はだいたい午前におわるから。先に壁画を見ておくか?」
「ぜひ!」
関係者以外立ち入り禁止と書かれた立て札の横を抜け、古い扉を開けて中に消えて行く浅黄色の袴を追いかけて、
暗い廊下を進むと、大きな襖の前で
明るさに目が慣れるのを待たず、
襖の奥は部屋ではなく、板張りの壁面に大きな龍の絵。墨だけで描かれているそれは筆致に迫力がありつつも、鱗の細部に至るまで細やかに描写され優美でもあり、墨一色なのに銀色に輝いているようにさえ見える。
何より、この龍自体が生物の完成形と言っても良い程の美しさ。
実際にこのような生物がいたら、あまりの美しさに呼吸すら忘れるであろう絶対的な美。地球上の生き物の美しい所をさらに洗練して編み上げたような感じ。
口を開けて見入る
「天井画も見事だが、これも中々のものだろう?」
「これが非公開だなんて」
「昔は公開してたらしいんだが、売ってくれという好事家が次々に現れたりして。なんとかいう新興宗教団体……”
”
「素敵なものを見せてくださってありがとうございます」
「これの良さ、
自慢の逸品に、予想通りの反応をもらえた事に満足げに頷くと、襖を閉めて電気を消す。再び暗闇に包まれた廊下では、床の僅かな艶の反射がなければ上下感覚すら失いそうだ。だがそのおかげで瞼裏に焼き付いた美が損なわれずに維持され、残像が消えるまで何度も記憶に刻みつけた。
前を行く
「ここでちょっと待っていてくれ」
頷きで答えると、
周囲を見渡すが何の変哲もない和室で、手持無沙汰になった
井戸がちらりと見えたのだが、それにとぐろを巻く蛇のように、黒くどろりとしたものが……。ただの
「お、見えたのか?」
古賀は燭台とマッチを手に戻って来て、薄く開いていた障子を閉めて庭が見えないようにした。
「どんな場所にも、人が集まるところにはあいいう淀んだ意識の
気遣いをしつつ
そんな事を考えている間に、
「それを使うんですか?」
「ああ。イメージが掴みやすいかなと思ってな。この炎が群れた
ろうそくの炎は、
「手本を見せる」
そういうと、先程とは打って変わった真剣なまなざしで燭台に向かって仁王立ちになると、場の空気が一気に引き締まる。何度か深く深呼吸をしたのちの気合一閃、銃声と聞き間違うほどの大きな音を立てて柏手を打つ。
「すごい、消えた! ……でも何で……?」
距離的には柏手の起こした風とも、
「
「なるほど……」
「力を入れなくても押せる燭台に届く棒があると思えばいい。押して炎に当てれば火は消える。とにかく鋭い点に凝縮するほどいい感じかな。これが出来るようになると、広い範囲の靄に対しても面で押して散らす事が出来るようになる。とりあえず実際にやってみようか。柏手は自分への集中の合図になるから、試しに打ってみるか?」
「火を消す……鋭い点……押し出すように」
ぶつぶつと習った事をおさらいし、火を消す事に集中して柏手を打ってみる。しかし、炎は揺らぎもしなかった。
「一度わかるまでが長いんだ。自転車の乗り方と同じだな。俺はこのやり方で出来るようになったが、もしかしたら
その後、意識の仕方を変えたり柏手を辞めて足を踏み鳴らす、声を出す等を試してみたが、そうこうしているうちにろうそくは尽きてきた。
「時間を取らせてしまってすみません……」
気落ちして俯きがちにそう言えば、スポーツマンらしい爽やかさで朗らかに
「すまん、実は正直ほっとしてる。
「数年……!」
そう簡単にはいかない事は残念だが、
ふと一つの事が閃いた。周辺に満ちているという
――僕の中にたくさん溜まっていると、ヤタが言ってたっけ。
彼女に吸い出された時の感覚を覚えている。確かに自分の中にある程度の量が集まっているのかもと。
「ろうそく的にはラスト一回だな」
指先から何かが放たれた、という感覚。
直後、ろうそくの炎はフッと掻き消えた。
「……ろうそくが、終わったのか?」
少年も自分で自分が信じられないといった様子で、ゆっくりと右腕を下ろすが、茫然と開いた目はろうそくから視線を外さない。
「一日で成功とは恐れ入った……」
頭をかきながら、己の数年間を振り返るしかない
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