第十五話 会議室の陰陽師


「まだ手に入らないのか!」

「あの娘、中々一人になる機会がなくて。鏡さえ素直に渡してくれれば手荒な事はしないと伝えてはあるんですが強情で」


 会議室の安いパイプ椅子に足を組み座る男の左頬には、三本の傷。中務省なかつかさしょう陰陽寮所属、剣持 基文けんもち もとふみである。不機嫌を隠そうともせず、手に持つボールペンをクルリと回すと、机の上にたたきつける。その音に、剣持けんもちの前に立つ二人の男はびくりと体を揺らした。


「国の機関で文化財として調査をしたい、一時的に預からせて欲しいという申し出で始めてるのに、何がこじれてこんな事になっているんだ。穏便に手に入れられるはずだろう!」

「最初は父親の遺品という事で拒否しているのだと思ったのですがあの娘、別の理由で一時も手放したくないようで……では本人と一緒にという事で」

「それで誘拐未遂か、愚かな」

「誘拐だなんて、少し時間をもらおうと」


 再度机を叩く音に、二人の男は肩をすくめてより小さくなる。


「ですが本当に手段がないんです。国の機関なのに他の機関の手を借りる事が出来ない、権限を利用する事もできない、協力を仰ぐ事もできない……正体を知られてはいけない、存在がばれてはいけない、そんな縛りの中ではもう力づくという方法しか」


 国の秘密の機関といえば格好はいいが、内閣府の上層部しか存在を認知していない。何も知らない人間向けにはこの省は、誰にも興味を持たれないよう文部科学省の外局の下っ端中の下っ端として扱われている。秘密が過ぎて独立孤高を保つしかない上に、迂闊に新たな協力者を得るわけにもいかない。秘密を守る事で利益のある者しか、秘密は守れないものだ。大抵の人間は漏らす方で利益を得がちだ。

 深い深いため息が会議室に響く、頭を抱えるようにした剣持けんもちは無能な部下たちを手を振って追い出す。解放されると知った二人はあからさまに安堵の表情を浮かべ、そそくさと会議室から出て行く。その後ろ姿を見送りながらもう一度聞こえるように溜息をついた。


――こんなはずではなかった。


 陰陽寮の筆頭として順風満帆に事は運ぶと考えていた。光返山ひかえしやまから持ち帰られた銅鏡が自分達が探し求めて来た”神粒しんりゅうを安定的に集める道具”に違いないのだ。

 五つに砕けた銅鏡の四つの破片は手元にある。あとは、加賀見かがみ博士の娘が持つ一片。恐らく本来の完璧な形を取り戻せば元の力を発揮すると思われた。今はただのでしかないがきっと……。


――あの娘、何故あんなに頑なに鏡を手放さないのだ。我々の知らない何かがまだあるというのか。


「まだ揃わないのか」

大高おおたかさん」


 会議室にちらほらと白髪交じりの男がバインダーを抱えて入って来る。大高 一郎おおたかいちろう、中務省陰陽寮室の室長という役職に相応しい身なりには、一部の隙もない。着こなしたスーツにくたびれた様子は一切ないが、顔にはやや疲れが見えるのは光の加減だろうか。


「部下を叱責したものの、やはり力づくで来てもらうしかないかもしれません。もしくは自ら足を運ばざるを得ない状況に追い込むか」

「まさかこんな部分で時間を取られるとはな」

「申し訳ございません」


 ギシッと軋んだ音をたてながら大高おおたかも椅子に腰を沈める。


「おまえのせいではないさ。ただ、予算は来年度からまた絞られるらしい。そろそろ成果を出さないと不味いところにきている。防衛大臣が懇意にしている新興宗教団体がいるらしいが、そこの教祖が見事に神粒しんりゅうを操ってみせたらしい。最早、ノウハウは陰陽師だけのものではないようだ。もたもたしてる間に追いつかれたな」


 その言に剣持けんもちは言いたい事は山程あったが溜息と一緒に呑み込むと、両手を組んで目を閉じ指を複雑に組み合わせ、集中をする。

 男の前の机の上に置かれた白い付箋紙がむくりと起き上がり、人型に形状を変える。しばしくるりくるりと踊るように舞ったと思うと、ふっとその姿を消した。


「まずは娘が常に持ち歩いているのか、何処かに隠しているのかを突き止めたいと思います。持ち歩いているようであれば、直接ここに来ていただきましょう」

「手段はそれなりのものを選んでくれ」


 目を閉じたまま大高おおたかはつぶやく。


――のちのち出世の足枷になるようなスキャンダルや問題は御免、という事か。そんな態度だからいつまで経っても……。


 と、ここまで考えて自分が部下たちと同じ結論にすでに到達していた事に気付く。そう、結局は力づくでというのが手っ取り早いのだと。



* * *



 話し込んで時間が遅くなってしまったので、拓磨たくま加賀見かがみを彼女が世話になっているという親戚の家の前まで送り届けた。


「今度また詳しい話を聞かせて。一人にならなきゃ大丈夫なんでしょう? 帰りに誰も周囲にいないようだったら、僕がなるべく一緒にいるようにするよ。少しルートは違うけど方角は同じだし」

「彼氏のふりをしてくれるという事?」

「ああ、彼氏が欲しいってまさかそのため? それは……別に友達でも行き帰りが一緒になるのはおかしくないし」

「それもそうね。それじゃあ……また明日学校で」

「またね、加賀見かがみさん」


 手を振って、彼女が玄関の奥に消えるのを待ってから、踵を返す。窮屈なバッグの中で鴉が不満げにクァと小さく鳴いた。


「探していた鏡姫が見つかったのに、なんだかテンション低いね」

『まだ自称だし』

「見てわかるとか、そういうものじゃないの?」

『会えば気配でわかるのかなと思ったけど、そういうものじゃないのかもしれない。……なんでわからないんだろ』

「そういえば以前、彼女に向かって飛んで来たボールが何度思い出しても絶対にガラスが割れるコースだったんだよね……。もし彼女が鏡姫という神様なら、無意識にガラスが割れないようにするというような事も出来るのでは」

『……出来る、とは思うけど……。あの子は普通の人間にしか見えない』


 集まって塊になって初めて自我が芽生えるような記述もあったから、薄い濃度ではそのあたりの靄と変わらないのかもしれない。彼女が持っているのは。もしかしたらそれが揃えばと思ってしまうのはゲーム脳というやつなんだろうか。でももし鏡姫だと確定したとき、彼女はどうなってしまうのか。

 ここで何故か、父の口癖である「知識の檻に囚われるな」という言葉がぎる。一つ正解らしきものが見つかると、人は自然に今ある知識でそれが正解であるというような理由を補完し、それが正答であると信じ込んでしまう事がある。そしてそれが、真実から目を遠ざけるのだ。


「鏡姫が人間にくっついて山を降りた、というのは確かなんだよね」

『うん』

「その時、ヤタは何をしていたの? ついていったりしなかったんだ」

『……ついていけなかったというか、後から追いかければいいと思ったというか、それどころじゃなかったというか……』


 もごもごと言いづらそうなのは鞄が窮屈なせいではなさそうだ。何か言いづらい事があるのは明らかであるが、問い詰めてもどうしようもない気もした。


「協力して欲しいというなら、情報を全部開示してもらえないと僕にはどうしようもないよ」

『私、なんだか記憶が足りない気がするの。もっといろんな事を知ってたはずなんだけど、何を忘れてるのか自体を忘れててわからないっていうか。目が覚めた時、とにかく姫様を探さなきゃいけない事だけは覚えていて、少しずつ思い出しては来ているけど……まだ何かが足りないかもしれない』

「ちゃんと彼女が鏡姫って確定したら、この額の印は消してくれるの?」

『……タクマが嫌ならそうする……でも多分、あの子じゃない』


 しゅんと落ち込んだ様子で、鞄の僅かな隙間に顔を突っ込んで表情を隠してしまった。


 帰宅すると父はまだ帰っておらず、玄関は暗い。鍵を取り出すついでに携帯を見るとメールが来ており「すまない今夜は帰れない」という一行。「了解」と、簡単な返信を済ませると鍵を開け、中に入るなり窮屈な鞄から鴉を出してやる。すごすごと出て来たがフローリングは歩きにくいらしくつるつると滑りながらラグにたどり着いて、やっとクイっと頭を起こした。


「あれ? 血?」


 鞄の中の教科書に、一筋の赤いラインが斜めにこすりつけられたように付着していた。その教科書を取り出し、ティッシュで拭いてみると、酸化しはじめて黒くなりつつあるそれは、明らかに血液。


「ヤタ、怪我してるの!?」


 ラグの上にいた鴉を慌てて抱き上げ、足や翼をを確認していく。黒い羽根は出血箇所を見つけるのがとても難しい。羽根をめくったりしていると、ヤタがじたばた暴れ始めた。


『やだ! えっち! すけべ!』

「ちょっ……! 怪我の場所を探してるだけだから、何処か痛いところあるなら言ってよ」

『羽根を抜いただけだからっ』

「え!? 何でそんな事を」

『だってお礼が必要だったんだもの』

「お礼?」


 暴れる鴉をソファーに下してやると、乱れた羽毛をせっせと羽繕いしはじめる。血はもう止まっているのかソファーが汚れる事はなかった。ひとしきり翼を整え直すと、きりっとした表情で少年を見つめる。


『タクマが友達にお願いをしたら、お礼をするのは当然でしょう? 手助けしてもらって返礼もしないなんて不義理はできないわ』

「僕が鳥達に助けてもらうたび、ヤタは羽根をあげないといけないの?」

『人間が神さまの痕跡を有難るのと同じで、動物もそういう対象が嬉しいものなのよ。私は優秀な御使いで、神様に、えっへん、近いからっ』


 偉そうに胸を張るが、血が出るような抜き方で、痛くないはずがない。御使いの体がどうなっているのかわからないけど、体温があったり心臓の鼓動がしたりと、体自体はふつうの鳥と違いがわからない程だ。軽はずみに鳥たちの助けを借りてしまった事を後悔する。

 ヤタは特別気にしていないようだが、なんとか自分で戦える術を身につけられたらと改めて思ったのだ。

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