第十四話 少女の過去


 息を切らして路地に飛び込む。

 冷たいコンクリートの壁に背を預け、上下する肩の動きが収まるまで、拓磨たくまは空を仰いで、加賀見かがみは項垂れるようにして喘ぐ。

 やっと呼吸が落ち着き、耳を澄ましても自分達を探し追いかけて来る足音も気配もない事を確認すると、やっと大きく深呼吸をする事が出来た。


「……手ッ」


 加賀見かがみも呼吸が落ち着いて、やっと言葉を発する事が出来たようだ。


「あっごめん」


 彼女を連れてあの場から逃げるのに、引いていた手をつなぎっぱなしであった事に気付き、慌てて離す。


「あれがもしかして、昼間言ってた?」

「うん……」

「何なのあれ、力づくでだなんて。本当に政府の機関なの?」

中務省なかつかさしょう

「なかつかさ……?」


 聞き慣れない単語に、咄嗟に漢字が思いつかない拓磨たくまを見て、加賀見かがみは鞄から歴史の教科書を取り出した。灯り始めた街灯の明かりに捧げるように持ち、指をさしたその場所には飛鳥時代後期の国の機関を説明する箇所がある。中務省なかつかさしょうはその中にあり、少年は思わず眉をひそめる。

 

「え、そんな昔の機関が今もあるというの?」

「二十年程前に秘密裡に新設されたらしいわ。神粒しんりゅうのために。同時に陰陽寮も併設されたようよ」

「国がそんなものを……?」

「日本人は古来から神粒しんりゅうを使いこなして来た民族なの。それが何かはわからなくても、目に見えない何かがあり、それを操作できる事は理解できていたのね。自然と共にある事でどんな事象も素直に受け入れる性質が、それに気づくきっかけだったとされているわ。陰陽師はその中でも、特に神粒しんりゅうの扱いに長けていたみたい」


 陰陽師といえば安倍晴明という人がいた、ぐらいの知識しかない拓磨たくまは、彼女の説明に口を挟む事すらできず、静かに耳を傾ける。


「彼らはある程度の濃度になった神粒しんりゅうを見る事が出来て、それを操って式神を作ったり、呪ったり、呪いを返したり、占いをしたりしてたそうよ」

「そう、なんだ」


 自分が最近になって見えるようになったあれが、古賀こがのように生まれながらに見える人はそれなりにいるのかもしれない。いわゆる、霊感が強いと言われるような人。


「国民にまだ知られるわけにはいかないから、機関が存在するのはもちろん秘密。堂々と令状のようなものをもって来る事も出来ないから、私が一人になるのを見計らってやって来るの」


 「なぜ君が」と問いかけようと口を開いた瞬間、最近すっかり聞き慣れたバサリと羽ばたく音。と、同時に拓磨たくまの頭の上に鴉が乗った。

 加賀見かがみは驚いたようで口をポカンと開いて、拓磨たくまの頭上にくぎ付けだ。

 黒い鳥はもふっとくなって彼の頭上にしっかりと腰を落ち着け、偉そうに胸を張る。


「えっえっ、か、カラス??」

「えっと、ヤタっていうんだけど」

「飼ってるの?」

『失礼ね! 私がタクマを使役してるの。飼われてるのはタクマの方なんだから』


 聞き捨てならないフレーズがあったが、加賀見かがみの耳にはカァカァとしか聞こえないであろう。それでも黙らせるために嘴をつまみつつ頭上から地面に下し、鞄から昼の残りのアンパンを取り出すと、無言で鴉の前に差し出す。瞳が一気に輝いて、パクゥっと音がしそうな勢いでかぶりつくと、とてもおいしそうにみ始めた。


「えっと、何の話だっけ。そうだ、神粒しんりゅうといえば教えてもらった雑誌の創刊号を持ってる人がいて、見せてもらえたよ。突拍子もない理論かと思ったらかなり科学的で驚いた! あれを書いた人はかなり優秀だと思う」

「そう……ありがとう。私の父が、神粒しんりゅうの提唱者の一人なの。父は古典の研究者で、特に地方で伝えられている昔話を集めたりしていて。各地にある心霊現象や妖怪、神の奇跡、竜神伝説を調べてるうちに、もしも全ての現象が同じ物質を原因とした場合の仮定を立て、それを突き詰めたの。論文は学会で一笑に付されたと聞くわ」

「奇抜……ではあると思う」

「でも何人かの研究者は興味を持ったみたい。それで父は他の研究者に盗まれると焦ったのね。なんとか誰よりも早く世に出そうと発表の場としたのが雑誌。でもそんな論文を載せてくれるような本はなかった。だから自分で創刊する事にした、それが月刊レムリア」

「え! あれって加賀見かがみさんのお父さんの雑誌なの!?」


 少女は両手を握りしめ、何かに耐えるように背中を深く壁に預けながら頷く。目線はあんパンに夢中な黒い鳥に向けられたまま。


「借金をして必死の思いで刊行した雑誌なのに……一週間で発禁になって回収命令。個人の家にまで政府の人間が来て回収して行ったと聞くわ。その当時はすごく話題になったみたい、そんなにヤバイ本なのかって」

「創刊号で回収騒ぎだなんて……」

「父は抜け殻のようになって。だからといって刊行のために作った借金の返済もあったし、たくさんの関係者のために雑誌を廃刊にするわけにもいかず、母が編集長となって続刊。人の興味を引きやすい超常現象紹介本として。でもその事もあって創刊号の内容も眉唾ものであると皆思ったみたいで、誰も興味を持たなくなったの」


 横顔を覗き見ると少女の瞳に涙が盛り上がっていたが、彼女はかたくなにそれを流す事も落とす事もしない。


「母の献身もあってその後の雑誌は順調、親戚がお金を貸してくれたおかげもあって創刊号の負債はなんとか。親戚への返済はあるとしても、父はそれで気持ちが上向いたみたいで、また執筆をしたり研究をしたりを再開。母との仲も睦まじくて今でも親戚の集まりでは揶揄われる程なのに」


 拓磨たくまは彼女の父が亡くなってしまっている事を思い出し、辛い話をこれ以上させない方が良いのではと、遮ろうとしたが、足元のヤタがカァと鳴いた。「続きが聞きたい」と。


「父は何かの文献で気になる記述を見つけ、現地を調査したいと泊りがけで出かけ、そして冷たくなって帰って来た。十六年前に発生した光返山ひかえしやまの山体崩壊に巻き込まれたのだろうという事だったわ」

光返山ひかえしやま……」

「そろそろまた慰霊登山なんかでニュースになるかもね。あの崩壊で何人も死者行方不明者を出してるから」


 拓磨たくまも密かに唇を噛む。もしかしたら本当の父かもしれない伯父も、その地で行方不明になった一人だ。父廉次れんじと同じ生物学者として、学生を連れてフィールドワークに出かけていての事だったという。遺体は今なお発見されていない。

 火山でもなく断層もないあの山だけが、突然山容を変える程に崩壊した原因は今も謎のままだ。地中に溜まったガスが爆発したのではないかというのがおおよその見解で、十一月になると犠牲者の遺族が慰霊のために赴く土地となっている。かつては登山をするなら中級者向けのそれなりの山だったが、現在は標高も随分と低くなり崩落の危険のないエリアには初心者のハイキングコースが整備されている。

 今となっては、かつての悲劇を伝えるのは山頂の慰霊碑だけであろう。


「父のお葬式が終わったあと、母は私を宿している事に気付いたらしいわ。今度は私を育てるために身を粉にして働いて家には帰れない有様。今も私は親戚の家でお世話になっている感じなんだけど、去年久々に実家に帰ってやった遺品の整理で、父の手記を見つけたの」

「読んでみたの?」

「ええ。どうして父があの山に行ったのかがわかったわ。あの山には、神粒しんりゅうを安定的に蓄積し留めておける物があったらしいの。普段でも少しは集合するけど、その程度では普通の人には存在がわからない。でも集める規模を大きくし濃度を高めて圧縮できれば、発光するなどで誰にでも目で見てわかるようになるはずだから、それをぜひ手に入れたいと思ったみたい」

「そんなものが」

「昔から神様の依り代には鏡を使うでしょう? だから父はそれが鏡のような物ではないかと考えたみたい」

「鏡……」


 足元に目をやると、ヤタが興味深そうに加賀見かがみを見上げている。


神粒しんりゅうは、一定の濃度を超えると意思の力で与えられた行動原理で動作をはじめ、その願いを叶える方向に動きはじめるのだけど、更に多くなれば自我を持って自律的に行動を開始し、更に濃度を増せば万能の神の域に到達する……」


 ごくりと拓磨たくまの喉が鳴る。気づけば体ごと少女に向き直っていた。


光返山ひかえしやまには鏡姫という神様がいるという伝承があって、父は鏡姫こそが神の域に到達した神粒しんりゅうの塊だと判断したのね。そしてそこまで神粒しんりゅうを集める何かの存在を確信して赴いた。そんな父が死してなお握りしめていたのは銅鏡の破片……父の遺体と共に母に託されたそれが、私の命の源となったのだと思う」

「それは、どういう事?」


 加賀見かがみも壁から背を離すと、拓磨たくまに向き直る。


「私が多分、その鏡姫なの」


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