第十三話 国の機関


 父が風呂に行ったタイミングを見計らい、残ったピザを皿に移し替えて机の上を片付ける。皿を持って自室に戻ると、ヤタは大人しくベッドの真ん中で卵を温めるように座っていた。


「こんなしょっぱいもの、大丈夫かな……」

『そこいらの鳥と一緒にしないで!』


 憤慨したのか、頭の毛がふわっと逆立つ。鴉なのに近くで見るとかなり表情が豊かで、ピザを一口サイズに千切る拓磨たくまの手元を期待に満ちた顔で凝視している。

 嘴の傍にもっていくと器用に指を避けてピザだけを咥え、ひとしきりはむはむとして呑み込む。


『美味しい!』


 雛が餌を催促するように嘴を開いて、次を寄越せと仕草で示して来るので、促されるままにポイポイと口に放り込んでやった。

 結局二切れ分を完食し、けふっと満足そうに息を吐くと、きりっと表情を改める。嘴にピザソースがついていて、なんともしまらないが。


『ねえ、ちゃんとその力を使いこなせるようになろうよ』

「そんな事言われても、どうやって」

『鳥も虫も自然に使いこなすのに、なんで人間は忘れちゃったんだろう……。でもきっと覚えてる人や知ってる人がいるはずよ』

「その力ってどういう風に見えてるの?」

『塵みたいな? 薄く何処にでもあるんだけど、固まって集まって来るとキラキラしはじめるの。タクマはまわりのキラキラを、どんどん吸い込んでいってるみたい。こういうの、どこかで見た気がするんだけど……なんでだろう、思い出せないや』

「……神粒しんりゅう……」


 何処にでもあって、集まるというところ。粒子めいてる部分などの特徴を考えると、最近知ったこの物質の事が自ずと思い起こされる。それが自分の体に集まって行ってるというのは、どういう事なのだろうか。考えに沈み込み始めたところで、父が風呂から出てきた音がする。


「タクー、風呂あいたぞ」

「はーい!」


 考えても今はわからない。とにかく神粒しんりゅうに詳しそうな古賀こが白戸しろと加賀見かがみあたりに聞いてみるのがよさそうだと思い、とりあえず保留とした。


 入浴を終えて戻って来るとヤタは枕元に座り込み、首をくるりとねじって羽毛に顔を埋め、すでにすやすやと眠っていた。鳥にはもう遅い時間なのかもしれない。明らかに普通の生物とは違うオカルト的存在なのに、生き物としてのサイクルを持っているのがとても不思議だった。


 ベッドに入って携帯でネットを検索する。


――御使い……神様の使い。天使とかもそうなんだ。神粒しんりゅうが集まって神様が生まれるとすると、その神様の意思で神粒しんりゅうを集めて御使いを新たに作り出すって事なのかな……。


 と言う事は、ヤタは神粒しんりゅうで出来上がっているという事になりそうだ。拓磨たくまの中の力を吸いだして、姿を変える事が出来るという事は、自分の中に溜まっている力というのは神粒しんりゅうで間違いなさそう。


――でも、なんで?


 考えても答えはやはり出ない。悩んでいるうちに携帯を握りしめたまま眠りについてしまう。


 どちらが寒がってくっついたのかは不明だが、朝目覚めると拓磨たくまの顔は完全にヤタの羽毛にめり込んでいる形となっており、挨拶より先に盛大なクシャミが出る。


 ヤタがそれに驚いてひっくり返り、ベッドからそのまま転がり落ちて「プギャ」という変な声を出した。


* * *


 昼休み、購買で買ったパンを下げて中庭に向かっていると、モデルのような綺麗な歩き方で加賀見かがみが歩み寄って来た。


大磯おおいそ君、話があるんだけど。一緒にお昼を食べない?」

「あ、うんいいけど」


 いつも昼休みは一人、携帯でゲームの情報をチェックするのが日課だったが、真剣なまなざしの彼女を拒否する事もできず。

 いつもにぎわっている中庭だが、秋が深まって来た最近は日陰のベンチは不人気で、少し遅れたがいくつか空きがあった。その中で風の当たらない穴場のベンチを選び二人同時に腰を下ろす。

 膝上にビニール袋を置くと、加賀見かがみはハンカチに包まれたお弁当を広げ始めた。


「わ、お弁当なんだ。いいなあ」

「節約」


 学費もそれなりの学校だが、無理して通う生徒は少なくはない。仕草も気品があり教養も高そうで、良い所のお嬢様のような様子だったから、少し拓磨たくまは驚いてしまった。


「父さんが、借金を作って死んじゃってて。親戚からお金を借りて利子が高い所のは返済はしたけど、親戚に返す分はまだ終わってないから余裕なんて全然ない感じ」

「相談事って、もしかして?」

「あ、お金を貸して欲しいとか言わないから安心して」


 拓磨たくまは購買で買ったパンを袋から取り出す。横目で見た彼女のお弁当は小さなオニギリが二つ、玉子焼きにプチトマト。バランがかわいいキャラ物なので可愛らしいが、入れ物を含め園児のお弁当のようだった。


「それで足りるの?」

「ええ。大磯おおいそ君こそ、パン一個で足りるの?」


 購買のあんパンはコンビニやスーパーの物より若干大きいので、十分だと考える。同年代の男子と比べると、拓磨たくまは随分と食が細い。そのせいで背が伸びなかったのだろうかと思い悩む事もあるが、それほど食べたいという欲求が昔からなく、無理に食べるものではないかなと。

 一口サイズに千切って口に運ぶ。


「あのね、私の恋人のフリをして欲しいの」


 突然の発言に噛まずに呑み込んでしまって喉に詰まりそうになり、慌てて牛乳で流し込む。順番が逆でなくてよかった。牛乳を先に口に含んでいたら噴き出してしまったかもしれない。


「どうしたの。加賀見かがみさんの彼氏になりたい人ならいっぱいいるでしょう?」


 同じように超常現象に興味のある男子もいて、趣味が合う相手もそれなりにいそうだ。拓磨たくまとしては彼女の美貌にむしろ臆してしまうが、可愛い彼女が欲しい人は多いはず。別クラスの男子が彼女を呼び出して、告白をしていたという話も聞く。虫よけとするには、拓磨たくまはかなり頼りないはずだ。「あいつが相手なら仕方ないな」と、周囲に諦めさせるようなカッコよさが必要だと思った。


「恋人が欲しいわけじゃなくて、欲しいのはフリをしてくれる人だから」

「フリだったら尚更、候補がいそう」


 トロフィーのごとく、可愛い彼女を見せびらかしたいだけの男というのも一定数いる。恋愛にかまけている暇のない勉強重視のイケメンなんかもこの学校には多く、彼らも彼女のフリをしてくれる女子が欲しい事だろう。フリであれば趣味が合わなくても問題ない。


「……私、政府の秘密の機関に狙われてるの」

「え?」


 不思議な発言が多いと聞いていたが、まさかこれだろうかと。突拍子もなくて何処に突っ込めばいいのか咄嗟にわからなかった。そんな少年の戸惑いは容易に彼女に伝わってしまう。

 加賀見かがみは今しがたまで突いていた玉子焼きを口に放り込むとほとんど噛まずに呑み下し、パタパタと弁当箱を閉じて包みなおすと、立ち上がる。


「ごめん、今の聞かなかった事にして」

「あっ」


 呼び止める暇もなく、彼女は逃げるように去ってしまった。なんとなく拓磨たくまも食事を続ける気分になれなくて、牛乳だけを飲み干すとあんパンの残りは袋に戻した。


* * *


 放課後、秋の日暮れは早い。暗くなる前に帰らなければ、また良くない想像をして変な物を見てしまうかもしれない。今度の土曜には神社に行って、古賀こが神粒しんりゅうの扱い方を教授してもらおうと心に決める。


 近道をしようかなと、普段は通らない公園の小道に入ったところ、先を長い黒髪の少女が歩いているのが見えた。相変わらず綺麗な歩き方だなと見惚れてしまう。しかしいつもよりペースが速いようで、彼女も暗くなる前に帰宅しようとしているのかもしれない。

 普段は子供が暗くなるギリギリまで遊んでいる公園であったが、今日は珍しく人気ひとけがない事も理由かもしれない。

 昼間の事もあって気まずくて、声をかけるのもかけられるのも気おくれしたから、気づかれない程度の距離を開けたまま同じ道を行く。帰る方向が同じだったのだから仕方がないが、ストーカーのようであまり気分の良い行為ではない。


 そんなつかず離れずの距離感を保っていたのだけど、急に加賀見かがみが立ち止まったため、一瞬自分も立ち止まるべきか迷って、若干足がもつれてしまう。

 彼女は何かから逃げるように右へ道を逸れ、ついで左側からスーツ姿の二人の男が彼女を追いかけるのが見えた。


「!?」


 咄嗟に追いかけるよう走り出した拓磨たくまだったが、加賀見かがみは容易に二人の男に捕まって、引きずられるように戻って来る所だった。男達の進行方向を見れば黒塗りの車。運転手はエンジンをかけて待っている状態。どう見ても穏やかな様子ではない。


――誘拐!?


 同時に昼間の彼女の真剣な相談事を思い出す。

 男達は彼女の言う「政府の秘密の機関」というものだろうか。しかし政府の機関なら堂々と手続きに則ればいい事で、こんな人気のない公園で引きずるように連れて行くなんて許されるはずがない。

 気づけば、公園の木々をねぐらにしているムクドリ達に指示していた。


 小鳥たちは暗くなりつつあるこの時間でも、公園の街灯の多さを助けに指示を違えず、まっすぐ男達に殺到する。ムクドリはとにかく数だ。そして到底心地よいとは言えない騒音のような鳴き声。高い空を舞っていても恐怖を覚える事がある。それが間近に自分達に殺到したとなれば、大の男も当然の如くパニックになった。


 喧噪がやみ、鳥たちが再び木々に戻った時、すでに男達の元に加賀見かがみはいなかった。


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